「緑豆の花」予告版
治安維持法③ 韓国テレビドラマ『緑豆の花』。日本の朝鮮支配と治安維持法、朝鮮民衆の決起 (読書メモ)
参照 「日本統治下の朝鮮」山辺健太郎 岩波新書
「植民地朝鮮と日本」趙景達 岩波新書
「東学農民戦争と日本」「歴史の偽造をただす」「現代日本の歴史認識」中塚明など 高文研発行
韓国テレビドラマ『緑豆の花』
今、BS日テレで放映中の韓国時代劇『緑豆の花』は、朝鮮における1894年からはじまる大きな農民反乱の物語です。現在韓国・朝鮮ではこの年が甲午の年であったことから甲午農民戦争、または東学農民戦争、東学農民革命などと呼ばれている朝鮮農民の武装決起のドラマです。東学思想、「人すなわち天」という人間の尊厳は誰でも平等という思想の東学党は、「地上に天国を!」との理想を掲げ、腐敗した朝鮮王朝と闘い、また西洋と日本の侵略とも闘いました。清国軍の出兵を理由として日本軍が出兵しソウルの王宮を占領し、事実上朝鮮国王をとりことした日清戦争がはじまります。これに怒った東学農民の全国的な抗日戦争が勃発します。日本軍の鎮圧基本方針は「東学党に対する処置はきびしくはげしいものであることを要する。今後は皆殺しにせよ」(1894年10月27日河上操六兵站総督の電報)というものでした。これら日本軍の電報には「殺戮」「殲滅」など、農民軍の皆殺しを指示する言葉が飛び交いました。農民軍は近代兵器で武装した日朝連合軍と果敢に闘いますが、3万は優に超えた農民が殺害され、少なくない農民がみせしめとしてさらし首にされました。
2001年におこなわれた東学農民革命107周年記念大会に金大中・韓国大統領はビデオで下のメッセージを送りました。
『東学農民革命はこの国の民衆革命の頂点であると同時に、反封建と反帝国主義の先鋒的(さきがけになる)運動でありました。東学革命の精神は、3.1運動(1919年)と4.19革命(1960年)、そして光州民主化運動(1980年5月)など、この国の自主独立と民主化の歴史に綿々と受け継がれてきています。そして今も民主主義と人権、社会改革という今日の時代精神として生き、呼吸しています。』
(「東学農民戦争と日本」中塚明・井上勝生・朴孟洙 高文研発行)
日本でも戦前・戦後を通じて、民衆、労働者、農民、学生らによる立派な闘いはたくさんたくさんありました。このような過去の誇れる闘いとその弾圧の歴史をきちんと評価し讃美し総括し、弾圧を心から糾弾し、犠牲者を追悼する総理大臣が登場する日はくるのでしょうか。いまのところはこれだけ地獄のような格差と差別を広げ労働者とその家族を苦しめている元首相(=統一教会)を、よりによって国葬で崇めようとするお友達ばかりですが。
日本の労働運動に関わる者の一人としても、日本民衆と労働者の歴史の数々の闘いと敵の非道の弾圧をしっかり学び、なにより<綿々と受け継がれてきています>と言われて胸を張れるような運動のため、今、全国で奮闘している人々と手をにぎりあって行きたいと思います。
日本の朝鮮支配と治安維持法、朝鮮民衆の決起
(治安維持法を最初に適用・弾圧された朝鮮)
1925年治安維持法が制定され、この法律が最初に猛威を振るったのは朝鮮でした。治安維持法の適用の第一号は1925年11月の第一次朝鮮共産党事件で66人が検挙されています。この年、日本国内での治安維持法違反の検挙者ゼロに対し、朝鮮では88人、関東州で1人、間島では100人が記録されています。1926年においても、日本国内の検挙数が38人であるのに対して、朝鮮で279人、台湾では85人、関東州で62人、間島で257人です。最初の3年間に限ってみても日本国内では検挙者数は58人であるのに対して、朝鮮・台湾・関東州・間島の検挙者総数は実に1,291人を数えています。また20年間を通じて日本国内の死刑判決がゼロの一方、朝鮮では治安維持法違反で大量の死刑判決を下している事で明らかのように治安維持法は朝鮮民衆の独立運動を弾圧する侵略法、抵抗圧殺法そのものでした。
朝鮮では、
1928年、斉藤実総督狙撃事件で2人に死刑判決
1930年、5・30共産党事件で22人に死刑判決
1933年、朝鮮革命党員徐元俊事件で1人に死刑判決
1936年、間島共産党事件で被告18人に死刑執行
1937年、恵山事件で5人に死刑判決」
1941年、治安維持法違反で5人に死刑判決
などの例があります。
「朝鮮ノ独立ヲ達成セムトスルハ我帝国領土ノ一部ヲ僣窃シテ其ノ統治権ノ内容ヲ実質的ニ縮小シ之ヲ侵害セムトスルニ外ナラサレハ即チ治安維持法ニ所謂国体ノ変革ヲ企図スルモノト解スルヲ妥当トス」(新幹会鉄山支部設置にたいする治安維持法違反事件、1930年7月21日、朝鮮総督府高等法務院判決)
つまり、独立することは日本帝国の一部を奪うことになる、だから植民地における独立運動は日本の「国体変革」の運動で、これは治安維持法違反だからと死刑だというわけです。ひどすぎる論法です。
〈参考〉吉岡吉典著『侵略の歴史と日本政治の戦後』(新日本出版社)
朝鮮総督府は元山ゼネスト、光州闘争など、活発する労働運動、民族独立運動、社会主義運動を厳しく弾圧、1930年代になるとさらなる弾圧体制をさらに強化。1936年12月には朝鮮思想犯保護観察令を交付し、治安維持法違反者で執行猶予、起訴猶予となった者、出獄した者を「保護観察」処分にし、思想転向を強要し、宗教弾圧も始まります。
*1929年元山ストライキ
朝鮮の労働者は、不当な違約金徴収、日本人との賃金格差も極端化し、賃金労働者の生活は困窮。1921年から釜山の埠頭労働者争議を皮切りに争議が勃発。なかでも1929年の元山ストライキは最大の争議。しかし、警察や日本軍400名の動員により弾圧。朝鮮人労働者を主体とする労働運動スイライキ。この争議への応援は日本国内でも取組まれ、朝鮮では光州学生闘争、新幹会の結成など民衆闘争へと続いた。
(次回)
治安維持法④ ー検束につぐ検束ー治安維持法案反対の闘い