先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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治安維持法① はじめに (読書メモ)

2022年09月15日 10時49分26秒 | 1925年治安維持法

治安維持法① はじめに (読書メモ)
参照「治安維持法小史」奥平康弘 岩波現代文庫
  「証言 治安維持法「検挙者10万人の記録」が明かす真実」NHK「ETV」特集取材班

 この7月に暗殺された元首相(=統一教会)の醜聞と国葬に反対する声は全国で燎原の火のごとく止まることがない。生前、その首相夫人の前で並んだ幼い園児たちに大声で教育勅語を唱和させ、「安倍首相頑張ってください」と言わせる姿を満面の笑顔で喜ぶ彼ら彼女らを見る時、彼が大声で言いふらしていた「美しい国日本」の中身がまさにこれ、治安維持法社会国家体制だととつくづく思う。その園児たちを「痛々しい」、「本当におぞましい」と心から思う人々とかの元首相らとの対立は、1925年に治安維持法を作った者たちやその先兵の特高と治安維持法で弾圧された労働者、虐殺された小林多喜二たち多くの先輩たちの対立とその本質は同じだと思う。

 今、1925年の労働運動を勉強していて、いよいよこの年最大のテーマ「治安維持法」に入った。1925年から1945年終戦までの20年間に日本、朝鮮、台湾の労働者・民衆の自由を奪い続けた弾圧法だ。虐殺、獄死、拷問、スパイ・・・特高、監視社会、暗黒社会等イメージされる大変な悪法の中の悪法だ。しかもこの20年間こそが日本がファシスト国家として抑圧と侵略と全面戦争の時代であり、これの道を作った一つが治安維持法だ。こんな時代に内外の先輩労働者たちは、いかに闘ったのか。正直荷は重いが、なんとかこれからしばらくは「治安維持法」とその時代を少しでも勉強していきたいと思う。

治安維持法
治安維持法第一条(1925年)
「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役(1929年に「死刑」)マタハ禁固ニ処ス」

 1925年に公布された治安維持法は「国体の変革」と「私有財産制度の否認」を目的として結社を組織したり、加入することを禁じた。「国体」とは天皇制であり、「私有財産制度」とは資本主義社会制度である。表向きは共産党を取り締まる目的で作られたが、たちまち植民地に於ける独立運動、抗日運動弾圧の非情残酷な武器として、国内においても労働組合、学生、社会主義者、学者、文学者、宗教家、教員、政党、判事、弁護士等あらゆる人々の自由と権利を奪う悪魔のごとくの弾圧法として猛威を振るい、圧倒的多くの人々を侵略戦争賛成・協力者へと仕立て「転向」させ、自ら労働組合解散、政党解体を宣言させ、侵略戦争へと突っ走った。しかも、これら治安維持法違反で捕らえれ殺害や拷問や強制収容され続けた国内外の被害者に対して、政府は、いまだ国家としての一片の反省もなく、謝罪は勿論、損害賠償も全くなされていない。

 治安維持法違反で終戦までの20年間、国内でのべ68,332人、朝鮮、台湾なども含め10万余名が検挙された。その他の取締法、弾圧法などで検挙されることも多く、実際は何十万人もの人たちが警察に連行された。1925年当初の最高刑10年から1929年の勅令で最高刑は「死刑」とされ、「死刑」は朝鮮で猛威をふるった。朝鮮では治安維持法違反で26,543人が検挙され、少なくても50名が死刑にされた。41年の全面改悪の「予防拘禁」制度では、刑期が終えた後も釈放せず強制収容をし続けるという文字通りの暗黒社会を合法化したのが治安維持法であった。

  1945年敗戦し、GHQに占領されてもなお内務大臣山崎巌は、10月3日のイギリスの新聞記者のインタビューに答え「思想取締の秘密警察は現在なお活動を続けており、反皇室的宣伝を行う共産主義者は容赦なく逮捕する」「政府形体の変革とくに、天皇制廃止を主張するものはすべて共産主義者と考え、治安維持法によって逮捕される」と述べ、岩田司法大臣も「司法当局としては現在のところ政治犯の釈放のごときは考慮していない」と断言する始末だった。「治安維持法は合法的に制定された」。これが敗戦してもなお悔い改めることがなかった支配者の言い分だった。
続く

(予定)
「治安維持法② 治安維持法以前の弾圧(法)」
「治安維持法③  韓国テレビドラマ『緑豆の花』。日本の朝鮮支配と治安維持法、朝鮮民衆の決起」



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