原殿御書
日興上人が身延を離山されるにあたり、弟子の原殿に手紙を送られていた。その当時のいきさつ、日興上人の心境等が述べられている「身延沢をまかり出で候事、面目なさ本意なさ申し尽くし難く候へども、打ちかえし案じ候へば、いづくにても聖人の義を相継ぎまいらせて世に立て候はん事こそ詮にて候へ」
本門弘道の大導師として、身延山久遠寺別当として、大使命感に立っていた日興上人とその一門以外は、五老僧も地頭もすべて師敵対謗法の者と化した
とはいえ、身延を捨て離山することは、日蓮大聖人から身延を賜った日興上人にとっては耐え難いことである。だが、日蓮大聖人の仏法を曲げることはなおさら耐え難いことである
しかしながら、身延に対し日蓮大聖人は、絶対的法域とのお考えは毛頭なかったことであり、そのことは
日蓮大聖人の身延相承書に
「最勝の地をたづねて」
とあるように、戒壇を建立すべき場所が身延でないことは、はっきりしていることであるから、むしろ離山は当然のことであった。むしろ未来に向かっての洋々たる出発であったといえる
「御弟子ことごとく師敵対せられ候。日興一人本師の正義を存じて本懐を遂げ奉り候べき仁に相当たりて覚え候へば、本意忘るること無く候」これが日蓮大聖人の正義を知っている日興上人の身延離山決意である
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