稗田阿礼たちによって誦習(繰り返し読むこと)されてきた帝紀と旧辞の「原古事記」を、元明天皇の和銅四年に、漢字に造詣の深い太安万侶(おおのやすまろ)が撰録することになった。
ところが当時の日本は固有の文字を持たず、言葉も心も飾り気がなくて、これを漢字で文章に書き表すことは困難で、誦習された「原古事記」を漢字で表記することに太安万侶は大きな障害に直面したと思われる。
字訓ばかりで書くと、字の意味と古語の意味が一致しない。反対に字音ばかりで書くと文章が冗長(文章が無駄に長くなる)になると記してあり、苦心の結果、次のような表記法を考案した。
■一句の中に漢字の音と訓とを交えて用いる
久羅下那州(音読・くらげなす)
多陀用弊流之時(訓読・ただよへるとき・之は読まない)
■一事の全部に漢字の訓だけを用いる
万物之妖悉発
(よろづの、もののわざは、ひとことごとにおこる)
■言葉の意味のわかりにくいものには、注をつける
■従来の表記の慣例に従って書く。人名や地名に多い
日下(くさか)
帯(たらし)
春日(かすが)
飛鳥(あすか)
以上が太安万侶が考案した表記法で、これを適宜に混用して、古代の国語を文字に写そうとした。
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