■完全には、闇という不完全な部分がある
完全とは、不完全な面を含んで、
はじめて完全といえるのです
【人で例えると、真面目で、責任感が強く、正義感が強く、努力をし、真剣に、一生懸命頑張る完全な人に、抜けている部分や、手を抜く場面や、さぼっている所、、不完全さを見つけると安心できます。他者を安心させれる部分が、完全な人が持つ不完全さかなあ。それを素直に見せることができるこだわりのなさも、好きになる】
■完全の不完全な面とは
この世の人間の思いの世界にある
「片方だけにかたより、こだわる、
とらわれ」
それによって
欲にまみれた煩悩が顕れ
煩悩満たされたら喜悦し
煩悩満たされないなら怒り、哀しみ、再びむさぼる
そんな自分が嫌になり自己嫌悪、自己否定
または人のせいにして他者否定
誹謗中傷
いさかい、孤独
喜悦と苦悩がコロコロとわき変化
、その大本が「かたより、こだわる、とらわれ心」
【人で例えると
気分屋さん
気分がコロコロと変わる人は、かたより、こだわり、とらわれとは、真逆なようだが、実は自分が心地よくしてくれるのは外からの刺激で、そこにかたより、こだわり、とらわれているからこそ、気分がコロコロと変わる。外からの刺激が心地よければいい気分だし、心地よくなければ悪い気分へとコロコロと変わる
ルル自身のことだったからよくわかる。本当の心地よさとは外の刺激に合わせて気分は変わらず、一定な不動心だ。外からどんな刺激が加わろうと関係ない不動心になれたら、いつも心地よくいられるだろう】
■不完全な心世界に、私たちは住んでいるのだが、完全なる全体世界からすれば、私たちの不完全な世界は必要不可欠な世界である
そこに生きる私たち個々の人も
必要不可欠な存在だ
【例えると、ルルがもし、狭い不完全世界から閉め出されても、完全なる全体世界かからは四六時中求められているのです。見守られているのです】
■完全なる善だけならば
そこに完全なる善という筋道どおりに、迷いなく、きっちり進むのみ。。少しの不完全になった部品は交換され、完全なる善一筋にきっちり進む。正確だ
だが慈悲がまったく無い
【例えると、完全なる善世界に疲れて落ちこぼれとなれば、手をさしだして助けるという慈悲を持つ者はひとりも無い世界。ゆとり、遊びの隙間も無い】
■球体は
満ち満ちて
欠けるところがない
突き出たところがない
球体に満ちている
このように
満ち満ちた一つの完全の全体は
光世界と
闇世界の
全体である
光と闇が調和する
満ち満ちた完全なる一つの全体のなかで
苦悩という感情を持つ、不完全な私たちは「心の自由や、心の満足を求める」。闇のなかで救いを求める者には、それに応え救いを与える光がある。心の自由や、心の満足は、闇にある愚かな私たちが、そう願えば与えられる。光と闇のお互いの立場の調和状態だ。闇は照らされ、光は照らす。。
信の一念さえあれば、、、
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