private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

T.T.F~F.M.M

2024-04-14 14:03:37 | 連続小説

「みてえ、おとうさん! すっごい、おおきなお月さま!」
 幼少の女の子が指さす先は、照明が消えた後のビル群の上、その比較効果のなかで大きく見える満月が明々と浮かんでいた。
 水曜日の午後9時。まだ3歳の小さな娘と散歩するには、いささか適した時間とは言い難いなか、手を引く父親は何かを含むようにして答えた。
 それはあどけない娘に語る言葉に適してはいても意中は別にある。
「そうだね。大きいね。もっと大きくなるといいね。そうすれば菫鈴の大好きなポテトグラタンがいっぱい食べられるかな… 」
「ホントー。うれしいー! スミレ、お月さまに行ってみたいなあ」
 風にあおられてブランコがギィーと、サビた金具が擦れる音とともに揺れている。
 父親は娘のあどけない望みに思わず言葉も詰まってしまう。何も知らないというのはそれだけで幸せなことだ。それが何も知らないまま大人に成ることを約束されたわけではない。
「ハッ、そうか。でもね、お月さまには行かないほうがいいかな。あそこにはね。うーん、そうだな、富士山と一緒だよ。遠くから見ていた方がキレイなんだよ」
「えーっ、フジさんじゃなくて、お月さま。行きたい、行きたい」
 父親は、困ったような、それでいて嬉しそうな、娘の成長を喜びながらも、いまのままでいて欲しいふたつの相反する思いがそこにあった。
 寂しそうな顔をして懇願する菫鈴を見ると、どうしても取り繕う言葉をかけてしまう。
「それじゃあ、大きくなったらお父さんと一緒に行こうか」
「うんっ! 約束だよ」
 そんな日が来るはずはないと父親はわかっていた。それは自分の今後の働きに関わってくることであり、同時に自分の力だけではどうしようもない部分でもあった。
 娘はテーマパークに遊びに行くぐらいの感覚しかないはずだ。『月に行く』その言葉の真の意味を知らないままでいて欲しいと願うばかりで、それは誰にでも起こりうる可能性があり、その時になり、はじめて真の意味を知ると同時に理解の範疇を越えることになるだろう。
 父親は単身赴任の命を受け、この地を離れることになる。次に娘に会えるのがいつになるのかわかず、妻にムリを言いこうして夜中の散歩に出かけた。
 その妻でさえ今回の赴任の本来の意味を知らない。もし説明したところで夢想家か、気が触れたとしか思われないであろう。
 そもそも、もし身内であっても誰かに漏らしたことが官庁に知れ渡れば、自分はもう二度と社会復帰できない。最悪には家族をも巻き込んでしまうかもしれない仕事であり、自分はそういった立場に足を踏み入れているのだ。
 毎日のように新聞を賑わす理不尽な殺人事件や、偶然の悲惨な事故で大勢が死んだり、行方不明になったりした記事を目にして、そのような目にあった人たちを慮ると同時に、ひとの運命だとも割り切ってきた。
 それなのに、この世界の食糧の生産は、そのよう消えていった人たちの労力で確保されていると知り、それを知らされた時には愕然とした。 
 子供の頃に、流行りのテレビ番組の影響で、宇宙を飛び回る仕事を夢見ていた。大きくなるにつれそんな未来は、まだまだ先のことと現実を理解していった。
 官庁に勤め、仕事になれはじめて結婚もした。そこそこの出世街道に乗ったつもりでいた。そんな矢先、まだ先のはずの未来はもうすでに過去のことであったと気づかされる。
 この世界は自分が思っていたよりも進んでおり、世間は自分が思っているよりも現実を知らない。知らないというよりも知らされておらず、知った者は二度ともとの世間には戻れないだけなのだ。
 夜の公園を駆け回る菫鈴は好奇心でいっぱいだ。昼間に遊んでいる時とは違う景色と未知がそこにはあり、誰も知らない自分だけが知った世界が、子どもにはたまらなく魅力的であり続ける。
 見えなかったモノが見えた時、それは落胆に変わるだけだといつかは知ることになる。いつまでもここを離れがたく、ポケットに手を突っ込んだままブランコを揺らし、菫鈴の走りまわり続ける姿をいつまでも見ていられたらと願わずにはいられなかった。

 スミレは目を開いた。カズさんがそこにいた。優しい顔にスミレは胸がしめつけられ、期せずして涙がこぼれてきた。
 子どもの頃の父との思い出は、何度も夢でみることもあったし、ふとしたことで思い出しもした。単身赴任の父親とは、これ以降、ほとんど接点がなくなってしまった。
 母親に聞いても、おとうさんはお仕事忙しいのよと言うだけで、スミレの前では冷静さを保っていた。夜遅くに電話で言い合っている声を聞いたのは一度や、二度ではなかった。あれは父親と言い合っていた。
「カズさん、わたし、、 」
 カズさんはスミレを抱きしめて髪を優しくなでた。何度も、何度も。
「辛い思いをさせたね。でもね、あなたにはもっと厳しい現実が待っている。それを乗り越えるために今回の経験をしたのよ。さあ、いきましょう」
 スミレはうなずいた。うすうす気づいていた。カズさんも自分自身だと。自分の居るべき場所に戻らなければいけない。これは通過点なのだ。
「この世界の未来は、あなたにかかっているの、、」

 


昨日、今日、未来24

2024-03-31 17:37:17 | 連続小説

「だからって、わたしにナニができるの? わたしだっておかしいと思うことはあるけど、わたしひとりじゃ何もできないよ。みんなだってそうやって何もせずに過ごしてきたんでしょ。それをわたしに押しつけられたって、、 」
 スミレはベソをかきそうだった。普段でさえ面倒くさがりと自負しているのに、急にそんな試練を言い渡されても全うできる気がしない。
「いまはそうかもしれないけど、、 そんな高望みを押し付けるつもりもないから。でもね、アナタのどこかでその想いが生きつづけていれば活かせる時が来る。スミレのもとに人が集まり、情報が集まって来るようになる。そのとき、スミレにはどんなことでもできるようになる」
「そんな、、 」さらにハードルがあがっている。いままで出された中で一番大きな宿題だ。
 カズさんに励まされても、そうなれば良いねぐらいしか言える気がしないし、何ができるかなんて約束できるはずもない。ただ、これまでよりは少し前向きになれたかな、ぐらいの範疇だ。
 カズさんが自分に伝えたかったことも、キジタさんの本心も、おやじさんの無念も、通りすぎた誰かの単なるエピソードではなくなってしまった。
「あたしなんかより、もっとできそうな子に頼むべきなんじゃないの。どうしてわたしだったの?」
 スミレは先をいくカズさんの服の端を引っ張って止めた。カズさんは振り返る。夕日が顔にあたりオレンジ色になっている。スミレは固唾をのんだ。
「あのね、スミレ。キツイ言いかたなのはわかっているけど、あえて言うね、、」
 聞きたくない。スミレは耳を閉じようとした。カズさんの皺だった細い手がそれを遮る。
「 、、できない前提で何かを解決しようとするから何も解決できない。できる前提で考えはじめることで思考が動きだす。誰も限界を超えることは望んでいない。自分の限界値を引きあげて欲しいの」
 スミレは手を振りほどいた。からだ全体を使ってアピールする。
「でも、だって、わたしはまだ子供だよ。小学生なんだよ。今日一日の出来事が特別なのはわかるけど、だからってすぐになんでもできるようになるわけ、、 ない」
 人通りの中で、こどもとお年寄りがなにか言い争っている。それなのに道行く人はなんの関心もなく通り過ぎていく。自分たちが透明人間にでもなった気分だ。それともここはまだ現実の世界ではないのだろうか。
「そうやって思い込んでしまうから自分の限界値がおのずと固定されてしまう。今できなくても、今からはじめればいい。なんだってできると信じれば、いろんなひとがスミレを応援してくれる。昨日まで不可能だったことが可能になる」
「だから、誰にだってその可能性があるのなら、私以外の誰かがしてくれてもいいじゃない! どうしてカズさんは、わたしにそれをして欲しいって望んでるの?」
 そう訊いておきながら、スミレにもその答えがわかっていた。これまでなんども聞かされてた言葉、自分が望んだのだ。そしてそれは同時にカズさんが望んでいるのだ。
「親とか、権力者とか、いくらでも言い替えができる言葉ね。自分が何に囚われているのか、それでよくわかる。スミレは自由であっても、その自由に囚われている。多くの選択肢から決めきれないために、結局は自由でなくなっている。自由の中で選んだ結論で失敗すれば、誰かのせいにすればいいとする、言い逃がれは通用しない。その誰かをスミレの親であり、現状で支配している人に置き換えればいい」
 カズさんの言っていることはスミレの心の中に在る疑問に対しての回答だった。遠回り過ぎて何を言いたいのかスミレは理解ができない。今はまだ。
「カズさんは自由じゃなかったの?」
 スミレの精一杯の反抗だった。カズさんは遠い目をした。何を思い出しているのか、思い出したくないのか。
「期待していた人や、信頼していたことが期待通りでなかったとき、何か裏切られたように感じて、一気に熱が覚めてしまうことがある。勝手に期待しておいて夢を膨らませて、そうでなければそれ以上に憎悪を持たれた人の身になってみればいい迷惑でしかないのにね」
 カズさんはもはやまともに回答をするつもりはないらしい。なにか示唆することを言い、スミレの気づきを待っている。
「期待通りでなければ、自分ならどうしたかを考えるきっかけにすればいいし、そこに気づかせてくれたことに感謝すればいいの。それなのにその人のせいにして自分は関りないと知らん顔をする。若いうちは頭ではわかっていてもなかなか実行までには及ばない。特にスミレの時代ではそれが捌け口になっている。その浄化作用で日々を乗り越える。でもねえ、そんなものは上っ面だけで、根本を変える訳ではないでしょ。もちろん本人たちもそんな気はサラサラないでしょうけど」
 カズさんはナニか核心に迫ろうとしている。スミレはそう感じ取っていた。
「カズさんは、自分が過ごした辛い時期をわたしたちの時代に繰り返さないように、教えてくれているの? それともわたしたちがそんな時代をつくらないように教えてくれているの?」
 カズさんはまたトボトボと歩きはじめた。スミレもあとを追う。街灯に明かりがつきはじめた。いくつもの影がふたりのまわりに現れる。
「過去もそうだったし、今もそう。そして未来もそうなってしまう。これから変えられるのは未来だけだよね」
「未来、、 未来って?」
 スミレも事の重大さを理解しはじめていた。自分のまわりにあるいくつもの影は、自分の未来の可能性を映し出している。
「スミレは賢いわね。これは、いつかは言わなきゃいけないことだったの」
 カズさんは少し疲れた表情をして、近くにあったバスの停留所に据え付けられているベンチに腰をおろした。その前をスミレと同世代の子どもを連れた親子が歩いていく。
「あのオモチャみんな持ってるんだよ。ボクだけ持ってないんだ。だからさ、買ってよ」
「ダメよ。こないだもそんなこと言って。ミキくんは持ってなかったじゃない。買ってあげたらミキくんに自慢したでしょ。ミキくんのおかあさんがミキくんにねだられて困ったって言ってたわよ」
 男の子はチッと舌打ちをした。そんなやりとりを見ていてスミレは、そのコに感情移入していた。
 そうなのだ、スミレはまだそのレベルの年代なのだ。急にいろんな大人からああしろ、こうしろと言われてすぐにできるわけがない。もっと子供であるべき時間を過ごしてもいいはずだ。
 スミレのそんな表情を見て、カズさんは少し間をとるように話題を変えた。
「スミレが他の子たちと同じようにしてたいのはよくわかるよ。そういうのってまわりがそうだから自分がそうでもいいってラクしてるだけでしょ。ううん、キツイこと言ってるのはわかってる。人ってね、うーん。大人でも子どもでも、自分の居場所で自分がどのレベルにいるのか必死に探そうとする、それでまわりが低ければもう安心してしまう」
「高ければ?」スミレは恐る恐る訊いた。
「 、、その場にとどまれば底辺で我慢するしかなく。他の生き場所を探すんじゃないの?」
 突き放された。スミレは却って反発したくなくなる。それがカズさんの狙いだったのか。
「そこで一番になるってこともできるんじゃないの」カズさんはニヤリとした。
「スミレ。嫌な思いしたことあるでしょ。学校とかで、理不尽だと、、 つまりこれってどういうことか理解できないようなこと」
 そう言われてスミレが真っ先に思い浮かんだのは、みんなから嫌われているヨースケ君のことだった。ヨース家君は人の嫌がることを平気で口にする。気の弱い女子だと泣いてしまう。ヨースケ君はそんなことお構いなしで、そんなことで泣くなよって言うだけだ。
 ヨースケ君にとっては、そんなことであり、言われた子にとっては、自分の存在を否定されて、生きる意味を見失うほどになる。
「ヨースケくん。人が嫌がることはしないようにしましょう」先生はそう言った。
 ヨースケは反論する「オレ、イヤがることはしてない。みんなと仲よくしたいだけなのに、どうしてイヤか、オレにはわかんないよ」
「ヨースケくん。どうして嫌がられるか、自分で考えましょうね。それと自分のことをオレって言わないようにしましょう」
 ヨースケは膨れっ面をして黙り込んでしまった。スミレもヨースケ君は苦手だった。だから弁護するつもりはない。だが弱く見える女のコたちを守って、言いたい放題のヨースケ君を一方的に咎める先生の判断に一番違和感を感じていた。
 それからも先生は、いろいろなお願いをした。
「みなさんミホちゃんに××と、言わないようにしましょう」
「みなさんタケルくんがお豆を食べられなくても注意しなでください」
「みなさんケンタくんが突然大きな声を出しても、ビックリしないでね」
「カホちゃんが体育を休んでもそっとしておいて上げましょう」
「リュウヘイくんが学校に来たときは、仲間はずれにせずに、一緒に遊んであげましょう」
「誰一人取り残さないようにしましょうね」
 気にかけなければならない子がいっぱいだ。そしてスミレだって完璧な人間じゃない。いや完璧な人間など何処にもいない。自分をそう信じ切っているか。まわりから都合よく使われるために、そうおだてられているだけだ。
 個人特有の個性であればまわりに気を使わなくてもよく、そうでなければその子達に気を使ってあげなければならないのがどうにも納得がいかない。
 だからヨースケくんだけは叱られないといけないのか、スミレにはしっくりこない。本人も悪いことを言っている気がなければ、それはヨースケ君特有の個性なのではないだろうか。他の子と何が違うのかサッパリわからなかった。
 それにスミレ自身も、もっと先生に気にかけてもらいたかった。スミレさんは強くないんだから、もっと優しく接しましょうと言って欲しかった。そうでなければなんともやりきれない。
 そしてその言葉は、同時にカズさんにも向けられていた。
「人類がここまで種を継続できてきたのは、どれだけうわべを取り繕うとも、強い者、賢い者、まわりに順応できる者が勝ち残って来たからよ。弱い者はそれらの者についていくしかなく、不要になればいつだって切り捨てられてきた。どんな人も平等に生きられるのが理想だけど、その許容がこの惑星にあるかどうか。そしてね、スミレ。人間という種族にその寛容さが備わっているか。いくら大義名分を振りかざして正論を述べたって、その資質がなければ歪が生じるだけ。支えられたい人はいくらでもいる。支える人はそうではないわ」
 スミレとしても好きで支える側になったわけではない。全体との比較の中で、そちらに入ってしまっただけとわかって欲しい。私だって支えられたいと声を出したい。そして世の中を変えるのは、わたしみたいな平凡な子じゃなくて、もっと選ばれた人がなるべきだと。
 スミレは涙が溢れていた。カズさんが代弁してくれなければ、もう心がはち切れそうだった。小さくなったカズさんはスミレの肩に手をまわした。同じ背丈のふたりがベンチで抱擁している姿は、おばあちゃんに慰められている子どもを想起させる。スミレはまだその年代だ。
「だけどね、スミレ。それじゃあ今の時代も、強者にすべてを委ねてきた時代となんら変わらない。そしてこの先も強者だけが生き残って、この種族を引き継いでいく。余りにも優しい時代のひとびとは、多くのひとが生きられる世界を作り出した。ただその優しさが自然の摂理にかなっているかどうかは神のみぞ知る。多くなり過ぎた人類であるがゆえに、こんどはその絶対数を制御しようと疫病であったり、心身的弱者が増加したとしてもおかしくはないの」
 スミレは首を振った。それが何への否定なのか、カズさんにはわからない。それでも続けなければならない。
「権力者が弱い者を生かしておく唯一の理由は、そこから搾取できるから。それをよしとしない自然界が見えざる手を振りかざしても、なんら不思議ではないのよ」
 搾取の正確な意味はわからないスミレでも、良くないことだとは予想がつく。
 人類が誰かによって統制されようとしても、自然界はそれをゆるしてはおかない。こうすれば良かったはもういらない。そう後押しされている気がした。
「スミレ。決心がついたようだね。いらっしゃい。私の時代に、、 」
 生まれたことを不幸に思わない誰かを守ろうとするその行為が誰も守ることもなく、声をあげた当人だけが悦に入っている。スミレはそうはなりたくないと子どもながらに心に決めた。


昨日、今日、未来23

2024-03-16 16:20:20 | 連続小説

「さっき食べたおやじさんの料理、美味しかったでしょ?」
 今更ながらにカズさんがそんなことを訊いてくる。カズさんはお年寄りになったが話し口調は若い時のままだ。
「うん、とっても。あんなにおいしいお米や、野菜や、魚を食べたのははじめて。味付けがうすくてちょうどよかった。かめばかむほどおいしさが増していった」
 伝えたい言葉はもっとあった。おやじさんの料理にもっとたくさんの賞賛をしたかった。
「そうよね、わたしもスミレと同じように美味しくいただけた」
 それなのにスミレには、それ以上の言葉が出てこなかった。貧困な語彙が妬ましかった。それでカズさんに訊いた「カズさんも、昔はあんな食事をしていたの?」と。
 やはりカズさんは困った顔をした。その度にカズさんはスミレに何かを伝えようとして、それがうまく伝わらないもどかしさを感じているようにみえる。
「スミレ、あのね、どんな食べ物だって、惑星の大地からおすそ分けしてもらっているの、、 」
 カズさんの言い回しがスミレには難しかった。惑星とはスミレたちが住んでいる地球のことを言っているはずだ。それなのに明言を避けているような言い方をする。
「 、、でもそれって無尽蔵に作れる訳じゃないの。スミレだってカラダを使えばお腹が減るし、アタマを使うだけでも栄養を補給しなきゃいけない。大地だって同じよ。食物を排出するために栄養原が失われていく。それは何も食べ物だけじゃない。この惑星で使っても減らないものなど何もないのよ」
 スミレは以前に友達の家で見た、もしもの世界の本を思い出した。もしも雨が降らなくなったら、もしも氷河期が来たら、もしも空気がなくなったら。それらは子供の恐怖心を煽るに十分な内容だった。
 その中には食料がなくなり、人々が餓死していく内容もあり、オドロオドロしいイラストとともに掲載されていて、そんな世界になったらどうしようかと、今でも心配になることがある。
「そうね。そうやって心配はするんだけど、目の前には食べきれないほどの食べ物が溢れていて、実感するのは難しいよね。だけどね、その食べきれずに捨てている食べ物が、どのようにして作られているか考えてみるといい。食物を作り出して、痩せてしまった土地に大量の人工肥料を投入して、無理やり育てた食物を食べている。魚も豚も牛も鶏も、餌としてそれを食べているから、その肉を食べるのも同じこと。自然に作られる食べ物では、すでにこの惑星の住人たちに充分な食糧を賄うことができないの」
 何かが増えれば、何かが減る、それが宇宙の摂理だ。ゼロ以上にも、以下にもならない。減ってしまったモノが、自然に増えることはない。そこには別の何かを犠牲にして増やしているカラクリがある。
「スミレの時代に食べ物が満たされているのは、この惑星に借金をして、大地の再生能力を前借りしているに過ぎない」
 何だかその言葉をよく耳にする。お金も借金して、未来の子供たちに押し付けようとしているとか、希少資源も争うように開拓され、枯渇すれば万人に行き届かなくなる。
 すべて大地から搾取した物なのに、そこにたまたま国があったということで、自国の利益にしている。そして大地の都合は考慮されないまま、利権のやり取りは紙面のうえでなされ、利便を共用するという名の下に、より高値で取引される者の手に落ちる。
 人々が余計なことを考えないように、緩やかに制御されている。今が良ければこの先がどうであろうと、気にならないように仕向けられている。
 圧政であれば反発も起きやすい。それが緩慢に統制されていれば、いつの間にかそのようになっており、それも民意総意であったと言い訳がたつ。ゆでガエルの理論だ。それとも先のことを心配するほどの余裕がないのか。
 人が食べることが優先されれば、その他の生物にも多くの影響が及ぼされる。何も絶滅危惧種の増加は乱獲だけが理由ではないのだから。人が増えた分だけ動物や昆虫や植物は減っていくのだ。
「でもおかしいよね。そうならないために、偉い人たちが会議して、じぞくかのうな世界にしようって決めて、みんなで努力してるんでしょ」
「一部の権力者が自分の利権が持続可能になるようにしてるだけでしょ。どんなにあがいたって、食べるものが届かなくなるのは、スミレのような一般市民からなんだから」
「そんな、そんなんなら、わたしたちはどうすればいいの。セージカは国民のために頑張ってるんじゃなくて、自分達だけが得することだけ考えてるの?」
「国民のためと言う定義は、あやふやでどうにでも取れるからね」カズさんはハナで笑ったような言いかたをする。
「権力者と、その利権者達は自分達が安定的に生活できることが、ひいては国民の安定につがると確信していれば、それはもはや真実となる。国民は何も産み出さない、権力者が提供する生産に依存するしか生きる路は無いのだから」
 スミレの期待は霧散した。どうりでしがみついてでも政治家を続ける人が多いわけだ。
「それはどうにもならないの?」不満だった。
「どうにかするのは、ひとりひとりの行動だろ。権力者に働きかけることではない。誰もが自分事ではないと関心を持たず、誰かがやってくれるとたかをくって、そうしてるうちにハナの効く者たちに良いところを奪われてきた結果なの。ソイツらにしてみれば、こんなやり方があるのに、みすみす見逃している者たちを、その位置に甘んじているおめでたい奴らだと蔑んでも、かわいそうにと同情することはないのよ」
 カズさんの言うことは正しいのだろう。もっと世の中は優しいひとが多く、弱い人を助けてくれるひともいると信じていたい。そうでないことも多々あったがそこに目を向けていないだけだ。
 クラスメイトたちは学級委員なんて面倒なことを、誰も率先して引き受けようとはしなかった。ほっとけば我こそはとリーダーシップを発揮する子か、目立ちたがり屋な子がやってくれる。選挙になったとしても、どちらが当選しようが構わないので、盛り上がっているのはふたりだけとタカをくくっていた。
 そうして自分達で放棄しておきながら、何か事が起きれば学級委員の言うことを優先しなければならないし、先生もお前たちが選んだのだろと、その方向で舵を取ることに苦痛を伴いはじめる。先生もその方が管理しやすいため、それは生徒が自ら作り出した先生の傀儡政権の様なものになった。
 面倒事を避けるために権利を放置したことで、かえって面倒や増え、束縛されることのなる。そうすると、みんながやりたいようなアニメっぽい演劇や、流行の歌での合唱はことごとく却下され、先生好みのありきたりな日本昔話の出し物や、押し付けられた文部省推薦曲を歌う羽目になった。そこには意見交換のうえでみんなで作り上げられた、多くの想いが詰まったものではない。
 今までに何度も目にしてきた、今まで通りの出し物を、今までと同じように行なう。過去をなぞっているに過ぎない不毛な時間。そんな時を過ごしてはじめて、自分達の判断の安易さに気づく。
 今の社会がそれと同じ状況だとすれば、時を経てばまた同じことを繰り返しているだけなのだ。子供の頃から学んでいても、いくつになっても変わらないのは、むしろ同じことと認識していないし、枠組みが大きいだけに、関わることにますます躊躇してしまっている。
 その結果が後戻りできないところまで来てしまい。権力者のしたり顔と、学級委員を思い通りに扱う先生の顔が重なってくる。
「いつかやろうは、永遠にしないのと同じこと。何かをはじめるには多くの労力が必要で、どうしてもその一歩が踏み出し辛い。それなのに自分がやらない言い訳を探す労力の消費は厭わない」
「それは、、 」スミレには思い当たる節が一杯あった。
 部屋の片付けをしなかったこと、頼まれていたお風呂掃除をしなかったこと、デパートの催しに友達に誘われたけど、興味がなかったが話を合わせるために、行くといっておきながら、適当な言い訳をして最終的に断ったこと。みんなめんどくさくて、やりたくなかったのが先に立った。
 そしてその代わりにしたといえば、部屋でゴロゴロとマンガを読んだぐらいで、気づけばあっという間に時間が過ぎただけだ。自分ながらに言われたことはやるべきだったし、守るつもりのない約束ならしなければよかったと反省した。少なくともムダな時間を過ごしたという後悔はなかったはずだ。
 約束を反故して過ごしても落ち着かず、単に消費されるだけの時間になってしまったのだから。
「一事が万事、成功の元は細部に宿る。おろそかにして良いことなど何もないの。そうして楽な方へ流されて行って、気づいたときには、自分の首を絞めている。そりゃねスミレぐらいの子どもに、完璧を求めるのは酷だとは思うよ。私だってこれまでどれほどできてきたかわからないし。年寄りの経験を赤ん坊にそのまま引き継ぐことができれば、世の中はもっとマシになるんだろうが。神がそうしなかったのは、古びた経験が新しい挑戦への足枷にもなるからかな。恐れを知らない若者が、時に思いきって、これまでタブーとされてきた新しいことに挑戦して、未来を切り開いてきた。予定調和と、日和見では、そんな勇気を削ぐことにもなる。バランスがとれているんでしょうね」
 カズさんは、一般論を言いながら、スミレに奮起を促している。何故に自分がスミレの前に現れて、多くの事を伝えようとしてるのか。赤ん坊に引き継ぐことはできなくても、未来ある子どもに託すことはできる。
 古くはそれを祖父や、祖母が担ってきた。学校では先生が直接的ではなくとも、想いを込めてきた。画一的な教育が推奨され、老人は排除され、個性よりも同じ考えをもつことが最善とする教育のもとで、権力者に都合の良い被支配階級を大量生産してきた結果が、今の世界だった。


昨日、今日、未来22

2024-03-03 18:06:07 | 連続小説

「わたしはどうすればいいの。ひとりじゃ、なんにもできないよ」
「そうねえ、みんなそう思ってるでしょ。だから何もしない。そして何も変わらない、、 自分の世界なのにね。変えようと思えば変えられるのにね、、 」カズさんはそう言った。
 自分の世界だと言われても随分と極端過ぎて、全てを受け入れることができない。誰かの見た目が若くなったり、年不相応に成長したりなんてことは、これまで体験したこともなければ、聞いたこともない。
「そうね、体験していないのも、聞いていないのも、みんなスミレが主体としてのことだからね。それ以外の人たちには、それ以外の世界があるんだから」
「そうなんだろうけど、、 カズさんは、どうしてそうやって、わたしに伝えようとするの?」
「それはね、、 」 おやじさんが代弁しようとする。「、、 それは、スミレちゃん、君が望んだからなんだとしか、言いようがないんだ」
 結局そこに行きついてしまう。自分が望んだと言われても、肯定も、納得もできない。自分の望んだとおりに世界が動けば誰も苦労しない。事実なっていない。そんなことができるのは神様ぐらいのものではないか。
 カズさんは目を閉じて澄ましている。スミレがそう考えるのも当然だといった面持ちだ。
「腑に落ちないのも無理はないけどね。人は唯一無二なんだよ。スミレはスミレであり、それ以外の誰者でもない。それはつまり神と同じなんじゃない」
 またまたカズさんは、とんでもないことを言い出した。
 人が神と同じなら、この世は神だらけで、神だけが存在している。では普段、自分達が祈りを捧げているのは誰なのだ。それが隣のおばちゃんであったり、おじちゃんでも変わらなくなってしまう。
「それは概念が違うんだよ」と、おやじさんが口を挟んできた。
 なにかこれまでの飄々として表情ではなく、厳格な物言いに変わってきた。例えば祖父とか、師匠とか、そういった人生の酸いも甘いも知り尽くした人が言っているように聞こえた。
「それも概念ね。神と言う言葉はスミレにイメージしやすくするために使っただけで、従来の定義とは別のところにあると考えて。アナタを理解できるのはアナタだけで、アナタを信じられるのもアナタだけ。アナタが理解すればそれは全て真実であるし、アナタが信じればそれは全て可能になる、、 なんて言われてもピンと来ないでしょうけどね。なにもアナタを説得するつもりはないのよ。そうね、いくらなんでもね。ただ、スミレがそれを信じるようになれば、少しは生きやすいように変わるんじゃないかしらね。少しはね、、 」
 信ずれば実現できる世の中を、誰も信じないから実現できていない。自分の人生なのに誰かが何とかしているのだろうと、他人事になっている。カズさんはそう言いたげだった。
「わたしが望んだから、カズさん達と出会えたとして、わたしが望まなかった場合、ふたりはどうなっていたのかしら? だって、カズさんの言う通りなら、みんなの人生がわたしのために有る訳じゃないでしょ?」
 そこがスミレには釈然としない。その人たちはスミレに人生を問うたりしない。ましてや都合よく若返ったり、もとに戻ったりもだ。
「そうねえ、スミレだってお友だちを介して人を紹介されたり、クラスで一緒になったから知り合ったり、それに知らない人と不意に出会うことだってあるでしょ。そんなとき、いちいちその人がなぜ自分と出会ったのかなんて考えないでしょ?」
 人生には影響を与える人が何人かは現れるものだ。それは例えば、学校の先生、クラブの顧問、歴史の偉人、芸術家でも、アーティストでも。心を震わす言葉を与えてもらい、人生の分岐点になったりする。
 なぜ自分の前に現れたのかとは疑問を呈さない。理屈ではわかるが、それにしても今の状況に当てはめようとするには無理がある。
「刺激が強すぎるのもよくないものでね。印象には残るけど、その分、警戒心もわきやすい。自然な状態で相手の心に入り込める方がいいけれど、スミレはもうその段階じゃないでしょ?」
 乾いた心に染み込ませる言葉は、多少浮わついていても効果がある。我が道を得たりと気持ちだけが先走り、得てしてそんな時は言葉に惑わされて失敗してしまうものだ。
「それでいて本当に大切な人との出会いに、人は時として鈍かったりする。素直になれない自分が、そのチャンスを遠ざけてしまう。多くの場合、そうなる方が多い。それは恋愛についても同じことがいえる、、 ねえスミレは恋したことあるの?」
 恋愛と言われてスミレはドキッとした。自分はまだ異性を好きになったことがない。
 アキちゃんは、ユータのことが好きでスミレに相談してきた。その時にスミレは誰が好きと聴かれて、ただ黙って場の雰囲気を壊さないようにするためだけに、隣の中学生のマサト君と答えた。
 別に好きでもなんでもなく、その人しか思い浮かばなかっただけだ。好きな異性がいないと変に思われるとか、わたしが教えたんだから、あなたも教えてくれるよねといった、通過儀式的な囲われ方に反発することができなかっただけだ。それなのにアキちゃんは、年上を好きになるなんて、しっかり者のスミレらしいねと言った。
 スミレは自分がまわりから、そう見られていることに愕然もした。取って付けた言葉が自分らしいと言われ、それがしっかり者とか称賛に値するなどあり得ない。
「誰にだって自我はあるし、個性を押し付けられることに反発したり、でもねそれも全部、、 やっぱり、自分なのよ」
 それ以前に、その場を取り繕うために、親友に適当な人を好きだと言ってしまう自分もイヤだった。そしてもっと言えば、スミレがそうなってしまう一番の要因が、好きな人を自分の狭いコミュニティから選ぼうとする視野狭窄な心理にあった。
 それがホントに好きな人が近くにいただけなのか、この中ならこの人がいいという消去法からなるものなのか、それを自分に相応しい人と誤認識しているようで、自分にはしっくりとしなかった。
「身近にいるひとに好意を寄せるのはごく普通な行動で、例えばそこに恋敵がいれば否が応にも希少性が高まってしまう。今手に入れないと自分のモノにはならないと不安に駆られるからね。スミレはそんな集団心理に巻き込まれるのを恐れているんでしょうけど、、 」
 何かこれまでにない視点から指摘を受けてスミレはドキリとした。自分がその輪に入って同じ人を取り合ったりする競合を無意識に避るために、興味のない振りをしているのだ。物欲しそうな自分を誰にも晒したくない気持ちを認めたくないがために。
「、、 とはいえ実際に広い世の中から探しだそうとすれば、それ相応の労力と時間を伴い、あまたの人の中から最も愛せるひとりと出逢うのは、まさに砂漠でダイヤを位の確率でしょうね。労力にかける返礼を、実際より大きく見積もってしまうもので、あとから落ち着いて考えれば、果たしてそこまでの価値があったのかって、、 それで本人が満足ならば回りが口を挟むことではないでしょ。それに、それほど時間をかけているあいだに、なにか正解のポイントか軌道修正することもあるからね」
 ここでも、自分がどこで折り合いをつけなければならない。現状を受け入れるのか、自分の選択に満足できるのか、そこが問われていた。どちらが正解だとは誰も決められないのだ。誰か別のひとを満足させるために自分が生きているわけじゃないのだから。
 まったく世の中はわからないことだらけだと、スミレは嘆いた。
「そうね。上を見ればきりがないし、下を見ても同じこと。最良の決断をしたとしても、あとで失敗だったと後悔することだってある。永遠に求め続けるか、これが最適の判断だと自分を信じることができるか。誰もがその判断をしかねている」
 これもまた当たりハズレがあるということだ。人生すべてにおいて何が出るかわからない。置かれた環境を呪うより、生かされた奇跡に感謝すべきと言われている。
「失敗を成功に変えるのも自分次第なのよ。何でも他人任せにしていれば、何時だって誰もが被害者になれる。今の自分の境遇を愛せた者は、それだけでも幸せになれると、スミレは信じられる?」
 確かに自分の身に降りかかるすべての事象を、避けて生きていけるはずはない。 どうしたって困難に立ち向かう必要性もあるだろう。それが自分の選んだ先に発生した場合に、どのようにして乗り越えるのか。それを受けて境遇を愛せと言われても、すぐにその境地に達することは難しいだろう。
「そりゃ、カズさん、いまのスミレちゃんにそれを求めちゃ酷ってものですよ。カズさんの時代にはそれこそ親が決めた相手や、権力者の利権のために見も知らないところに嫁がされるなんてのが当たり前で、誰もがそうであり、選択肢は限られていたはずです。この時代の自由な恋愛が可能な人たちに同じように考ろといってもアタマがついてきませんよ」
 カズさんは寂しそうな顔をした、時おり見せるその表情は、嫌なことを思い出しているのか、自分の思いが伝わらないからなのか。それだけでなく、最も深淵な問題を嘆いているようにもみえる。
 この流れでいくと、果たして自由な恋愛が正解なのかも怪しくなってきた。好きに選べるからこそ何も選べない、いっそ誰かに決めてもらった方が楽であると言い出しそうだ。
「そこが選択のジレンマなんでしょうね。それでいて感情が大きく左右される局面は人間を虜にしてしまう。好きになって付き合って結婚してという概念と、結婚して初めて知り合ってから愛を育んでいく概念。この世界には二分の婚姻のあり方がある。どちらが正解なんてことはない。それで自分が幸せかどうかは本人が決めることだからね」
 恋愛だとか、結婚感とか、まだずいぶん先の話しであるはずなに、また本質的な部分のみを語られて、スミレとしてはたまったものではない。
「カズさんはそれでしあわせだったの?」スミレの問いは、カズさんが結婚していて、自由恋愛ではない前提で訊いている。
「おっと、だいぶ時間を過ぎてしまったようです。ワタシはそろそろ失礼しますよ」
 おやじさんはそう言って、部屋を出ていってしまった。なんだか二人に気をつかって退場したようにもみえる。
 急な別れにスミレはもうおやじさんに会うことはないのだと知った。あのおいしかった食事を思いだし生つばを飲み込む。
 キジタさんも同様に突然現れて、スミレに大切なことを教えてくれた人たちは、突然姿を消していく。それが自分のためだけでよいのかわからなくなってしまう。そしてカズさんも。
「私たちも出ようか」カズさんは別の扉を開いて出ていってしまった。急いでスミレもあとに続く。
「わたしは幸せだったよ」カズさんはそう言った。
 外に出ると見慣れた風景に戻っていた。スミレたちが出てきた建物は雑居ビルで、階段を降りると駅前の通りは帰宅を急ぐ人で賑わっていた。
 その言葉を聞いてスミレは少し安心した。散々いろいろな人生訓を聞かされて、その本人がただ辛い人生だったなら、この先になんの希望も持てなくなってしまう。
 カズさんはすっかりもとのおばあちゃんに戻っていた。からだを動かすのにも難儀してるようで、しかめっ面をしている。スミレも小学生の姿だ。身も心もスッキリとして、からだが軽くなった気がした。
 子どもが無意味に元気なのは、明日のことをなにも心配しなくてもよく、昨日のことを後悔することないからなのかもしれない。
「なにがどう幸せとは具体的に言えないけど、自分を信じて、自分で決めてここまで生きてきた。失敗したことも多くあったけど、それで成長できた。何処までで十分とかは、自分で決めればいいだけだからね。わたしは十分やってきたと言い切れる」
 スミレは自分が同じようにできるのか今は不安しかない。誰もそんな自信を持って生きているはずはない。日々を生きるのが精一杯か、まだ先のことだと嵩をくくっている。
 これほど多くの情報量を一気にされても何から手をつけていいかわからないし、わかったとしても何から手をつけていいか、まさにお手上げ状態だ。
 アタマを抱え込むスミレが先に歩いていき、あとに残るカズさんは遠くをぼんやりと眺め、夕日に染まるその表情は苦悩を映し出していく。


昨日、今日、未来21

2024-02-18 17:37:17 | 連続小説

 隣の席の子同士が言い争いを続けている。お互いに自分の言い分を相手に認めさせようと、独りよがりな主張をやめようとしない。
 それは端から第三者として見ているからそう見えるだけで、当人達にとっては、自分が正しいと信じている意見を受け入れない相手に、教えてあげようという優しさが、やがて何度も言ってもわかってもらえないイラだたしさに変わっていく。
 お互いの意見は間違っていないし、大筋では同じ方向性であるのに、ふたりには別の主張に聞こえているかのように反発を繰り返している。少なくともスミレにはそう聞こえる。
 そういったボタンの掛け違いは、話している内容の争点にズレであったり、好き嫌いや、こう聞こえた、聞こえないなど多岐に及んでいる。
 一度ずれた会話はその主題を主張し合うより、いつしか相手を言い負かしたい、相手に言い負けたくないという趣旨に変わってしまっている。
 そんな子どもがするような言い争いが、大人の世界でも変わりなく繰り広げられている。まわりは争いを止めようともせず、どちらの言い分が自分に都合よいかを判断して、どっちに乗るか反るかを判断している。
 自分たちの有益を優先するだけで、他人のことなどこれっぽっちも考慮されてない。
「それがこの世界です。すべてを愛せればいいんですがね。個別ではなくすべてを。そしてすべての事象を受け入れられれば。そうすれば争うこともなくなるでしょう。だが人はそこまで寛容ではなく、それだけの許容も持ちあわせていないんです」
 そんなことを言われても、スミレには信じがたかった。何かを愛すことが人の争いを導いているならば、ひとは救いどころのない。孤独に生きるしかなくなってしまうではないか。
 カズさんは、おやじさんとの明確な役割分担でもあるかのようにそこで口を開いた。それはスミレに教鞭でもとる学校の先生のようだった。
「おやじさんの言うことをすぐに理解するのは難しいわよね。あなたは自分のまわりで、自分の理解の範疇でないことが起きると、どうにかしてそれを自分の理解の範囲内に収めようとするでしょ、、 ムリしてね、、 そうして人との対立を避け、自分の本心を殺していく。でもね、これも、、 そうね、スミレが乗り越えなきゃいけない壁だと思って」
 スミレにもわかっていた。常にそれに押し潰されないように抗っていた。遊ぼうって連絡をしても、友達から返事が来なかったこと。クラスのグループ分けで、一緒のグループになろうねって言われたのに、最後まで声をかけられなかったこと。先生に授業中、頑張ってるなって、みんなの前で声をかけられたのに、期末にもらった通知表は、それほど変化がなかったこと。そんな幼い頃に経験した過去のわだかまりが浮かんでくる。
 すべて自分の理解の範疇を越えていた。そんな時、どうしてそうなのかの折り合いをつけるために、自分の納得する理由をひたすら探した。
 そうでなければ自分のどこが悪いのかと追いつめてしまう。理由を探してもそれが正解なんて保証はどこにもないのに、それが正解でなければならないと決めつけていた。
 もし自分がそういう行動を取ったとき、それはきっとこういう理由があり、だから仕方がなかったのだと納得いく理由がなければ許しがたがった。いつしかそれは他人に転嫁されていく。
「スミレは自分をそんなに追い込まなくてもいいんだけど、まわりを自分の理論だけで決めつけてしまうのも止めたほうがいいんじゃない。自分中心すぎると世界が小さくなちゃうからね」
 世界は自分のモノで、自分次第で大きくも、小さくもなるのだ。
「もしアキちゃんが変なおばあちゃんにひきづり回されて、色んな世界に行っていたからって、アイドル雑誌を一緒に読もうと約束してたのに、行けなかった言い訳にされても信じるわけない。そんないいわけをされたら逆に頭にきちゃうね」
 カズさんは、ちょっとムッとした。”変なおばあちゃん”が気になったのだろう。こんな稀な例えをするのもどうかと躊躇したスミレだったが、一番いい例えであるはずだ。
「そうでしょう。スミレ。人それぞれに都合はあるものなの。それを自分だけの論理にはめ込もうとしたって無理が生じるだけなんだから、、 」
 カズさんの論理に丸め込まれそうで、釈然としないスミレだった。カズさんを立てようと気を遣ったつもりも、余計な言葉が影響してか、辛辣な言葉を浴びせられる。
「じゃあこう考えたらどう? 世界では今も色んなことが起きているでしょう。心温まるようなエピソードも、信じられないような悲惨な出来事も。スミレが何したって、何の影響も及ぼさない彼方での出来事は仕方ないと切り捨てられて、すぐ身近に起きたことは、理由付けがないと収まらない。すべては自分の範疇を越えた出来事なのにね」
 自分ですべてを解決しようだなんて、おこがましいにも程があるのだ。誰もそれほど自分を気にしていないし、自分が影響を与えているわけでもない。
「それなのに、誰もが自分が主役にでもなった気分になって、これ知ってる人、天才みたいな文句であおってるでしょ。それを認識できている自分を売り込みたいだけの、自己顕示欲の発散になっているだけなのにね。スミレも彼らと変わらないんじゃないの」
 そこまで言わなくてもとスミレも口を歪ませる。それはカズさんが、そこまで思い込まなくていいと、エールを送ってくれているのはわかっている。
「みんな誰かと違う何かになりたい。それはいいんだけど、方法が誰かの足を引っ張るとか、誰かより優れていることを誇示することで達成できると勘違いしてしまう。そんなことより、誰かの役に立つことを少しでもできたら、スミレの世界は彩り豊かになるでしょうね」
 難しくないことだ。誰かの役に立てて、感謝されれば自分も嬉しいし次への意欲につながっていく。そんな単純な循環ができない。
「これでおやじさんが言いたかった答えにつながったんだね」カズさんがうなずいた。
 おやじさんが続ける「それができたとしても、日常化していくと別の刺激が目についてくる。もっと簡単に、もっと早く、もっと大量に手に入れようとする。そして善行と同じように、悪行も人に高揚感を与える。それがやられたら、やりかえせの循環をも増幅してしまう」
 そうであれば、ひとは永遠に成長できはしないではないか。例え多くの経験を次の世代がそのまま引き継げたとしても、悪い循環まで引き継がれれば事態は悪化するばかりになる。
「そうね、それに、ひとはなぜかやらない理由を探したがる。何かを変えるのは大変な労力がかかるし、変えない方が楽だからね。変えないための労力は惜しみなく注ぐのに、その方がかえってムダな労力を割いていると実感できない。新しいことを成し遂げるには多大な犠牲も伴うけど、乗り越えた先には、これまでの経験で得られなかった新たな体験が間違いなく待っている」
 スミレはそこでひとつの疑問がわいた。変えるにしても、変えないにしても、労力をかけた分だけの見返りが、実の有るものであったかを保証するモノではない。
 変化を阻止したり、変革を起こしたことで満足することと、そうなった現実が良い社会かどうかは別のはずだ。
 カズさんが舌打ちをしたように見えた。おやじさんは腕を組んでうなづいた。
「そう、それが対立という構図の悪いところなんだ。わたしも彼と対立せずに、共に高まればよかったんだ。お互いに良いところ、悪いところを認め合い、補えあえば、つまらないイガミ合いにエネルギーをつかうこともなかったのかな。わからないけれど、、 」
 おやじさんはそう前置きして「、、 彼がもし、ワタシへの対抗心をエネルギーに代えて、今の仕事で成功したならば、それも間違った方法ではないのかもねえ」そう言った。
 確かにそういった事例はこの世界に事欠かない。変化うんぬんより憎しみを動機にすることで成功するならば、それが正解となり、かけた労力も報われるはずだ。
 カズさんは、ニヤリとイヤな笑いをした「何を持って成功と呼ぶかは、人それぞれだけどね」そんなふうに納得しかけたスミレを、再び迷宮に舞い戻すような言い方をする。
 おやじさんが調理人になって失敗したわけでもなく、彼が航空プロジェクトの一員で成功したのかは、本人以外はわからないのだ。
 スミレはハッとした。なんだかおやじさんを、敗者であるような前提で話してしまっていた。
「ごめんなさい。わたし、決めつけたような、、 」
 おやじさんは、やさしい顔で首を横に振った。
 自分が望んでいる世界にスミレは生きているとカズさんに言われた。そうであれば自分の思い通りになっていいはずなのにそうではない。でもこれが自分の望んだ世界であり、未来になっていくと言われている。
 それならば、スミレを含めてひとりひとりがすべきことは、ひとつしかないはずだ。
「そうなんだけどね。そう、うまくはいかないからね。それに、人にできることは限られているから」
 次の子どもたちに経験者の知識が伝わらないように、いまのままではカズさんの人生の経験はスミレには引き継がれないのだ。
 辺りは夕暮れにつつまれていった。家に帰らなければ母親が心配する時間だ。それでもスミレは帰れない。もはや景色は変わりすぎて、ここがどこなのかもわからない。そしてなぜか帰らなくても大丈夫な気がしている。
 スミレの時代の時の流れは止まったままであるはずだから。


昨日、今日、未来20

2024-02-04 14:47:34 | 連続小説

「わたしにはね、小学校の頃に、仲のいい親友といえる友達がいてね、、 」
 キジタさんの残していった種の芽も出ない中で、おやじさんはのんきにそんな話しをしはじめた。おやじさんにとっては言わなくてはいけない事かもしれなくとも、少なくとも今のスミレには軽い話しに聞こえた。
 キジタさんに続いて子供の頃の話しであることを考えれば、この昔話もつながっているのだろう。キジタさんの時と違うのは、今回はおやじさんは大人のままだった。
 スミレは目をシバたかせてもう一度見直しても変わらない。カズさんが目を合わそうとせず微笑んでいる。思い起こせばカズさんの時も小さくはならなかった。
 スミレの前に現れた人たちは、自分の心に溜まったわだかまりを吐き出して、自分を浄化させていき、そしてスミレにそれをつなげようとしている。
「、、 小さいころは飛行機が大好きで、学校に持ってく文房具の筆箱や、下敷きは、飛行機のイラストや写真がついてたんだ。そうするとどうしても同じ趣味を持つ者が近づいてくるんだな。自らを主張をすれば、同時に自らを開示することにもなり、人はそれを見て近づくべきか、遠ざけるのかを判断していくみたいだな。子どもの頃はとくにそんな嗅覚が冴えているようだ」
 子供の頃の話ではあるが、言いたいことは今にあるようで、大人のままのおやじさんを見てスミレは、そんな理由付けをしてしまう。確固たる理由がないと落ち着かないのがスミレの癖で、そんな不安な状態の自分がイヤになる。
 カズさんは興味がなさそうにしながらも、かと言っておやじさんの話を制すこともない。スミレの自信のなさげな姿と合わせてこの状況を楽しんでいる。
「それで、ひとりの飛行機好きと出会ったんだ」
 おやじさんの話しぶりからすれば、スミレではなくカズさんに話しているようにみえる。結婚して何十年と経った夫婦がお酒でも飲みながら、自分の子どもの頃の思い出話をしている。スミレにはそんな状況が浮かんでくる。
 カズさんを見ればお腹は平たくなり、おやじさんに合わせるように、また少し年を取ってきたようだ。キジタさんはどこに行ってしまったのかと、スミレはカズさんを探るが目を合わせてもらえない。
「わたしたちは、たがいに自分の好きな飛行機のイラストを描いては見せあったり、オリジナルの飛行機を描いてみたりして楽しんでいた。そうしていつしか自分達で設計図を起こすようにまでなってね。相手のアイデアに感心したり、自分のデザインを自慢したり。そうするとだんだんと妬みや、軋轢も生まれてくる。ケンカもしょっ中したんだ。自分の好きなことで他人より劣ることを認めたくないんだな。子供だからね。いや大人より直接的にそういった感情が出るんじゃないかな、子どもの方が、、 」
 哲学的な話しになってきた。先ほどのラジオ放送は、このおやじさんの趣味だったようだ。スミレにはつぎなる疑問が浮かんだ。飛行機好きが昂じて設計者になったとか、パイロットになったとかではなく。どうして料理人になったのかだ。
「、、 そんな悔しい想いもしたし、楽しいこともあったけど、今にして思えば彼がいなければ、きっと淋しい子供時代だったはずだ。あれほど我を張って、意見をぶつけ合ったのは、その時が最後だったな。もちろんそのレベルは低いものではあったけどね」
 おやじさんは寂しそうな表情だ。いい友達と巡り会えて切磋琢磨した。仲が良ければ良いほど、お互いを認め合うことも、お互いを越えようとすることも自然な成り行きだ。
「ただ、残念なことに、、」おやじさんは目頭を押さえる動きをした。
「、、 彼とは最後にケンカ別れしてしまってね。それっきりになってしまったんだ。お互いにイジを張ってしまい、絶対に自分から近寄っていくことはしなかった。わたしは親のあとを継いで料理人になった。彼はこの国初の小型旅客機の開発にたずさわってね、、」
 そういうことだった。スミレの疑問は氷解した。ただおやじさんの話を聞いてきた立場とすれば、この結末はハッピーエンドではない。
 人生に勝利も敗北もないとしても、結果として彼に敗れたというおやじさんの無念が伝わってくる。
「その経験が大人に成ってから活きているのか、正直わからないんだ。それ以来、ひとと本心をぶつけ合うのを躊躇するようになってしまってね。だからもっと違った接し方もあったのではないかなんて、思い直すことも多々あるんだ。その経験を元にもう一度彼と対峙できれば、また違った大人になっていたのかなと、、」
 誰もがみな、後悔を持って生きている。完璧な人生などありえない。やり直したいことはきっと山ほどある。それなのに、例えやり直したところでまた別の後悔が生まれることはわかりきっている。
 今が子どものスミレにも、あとになって言い過ぎたと思い悩むことがある。その時は言い負けたくないだけで、必要以上に、そして非論理的な言葉を生み出していくだけだった。
 自分の正義だけを振りかざしていく自己欺瞞が、どれ程無意味であるかわかっていても、同じことを繰り返してしまう。そうして大人になった時に、おやじさんと同じような気持ちになるのだろう。それをどう回避するかなど考えも及ばない。
 大人のおやじさんでさえ、未だに正解が見つかっていないのならば、スミレにそれを求めるのは酷であろう。それどころか世の中のほとんどの人が同じ過ちを繰り返し続けている。
「その1割でも改善されれば、世の中はもっと平和で、住みやすくなるかもしれないわね」
 カズさんは冷ややかにそう言った。そんなことはありえないという含みがあった。
「後悔したらやり直せる。そんなキジタさんみたいなことが誰でもできるわけじゃないし、あっ、キジタさんもやり直せるって決まったわけじゃないけど。でもさ、後悔してやり直したからって、また別の問題で失敗することもあるから、これもアタリが出るまで続けるなんてムリなんじゃないの? だから人は自分の一生を悔いなく生きようって努力するんでしょ?」
「スミレの言うことは正しいわ。ほとんどのひとがこれまでそうやって一生をまっとうしてきた。だからね、それでは満足できないひとと、その不満を解決できる人が出てくるのよ。自然にあらがって生きていきたい、ほかのひとと同じような人生は嫌だと言うへそまがりはいるものよね。どこかの独裁者が言った言葉があるわ。傍観者であり続けるな。劇の主役になれと。主役じゃなくてもいいのにね。傍観者より劇に参加する意欲は必要なんだけど、それなのに誰もが主役になるなんてありえないし馬鹿げてる」
「愛というのは、有る意味において歪な感情なんですよ」
 おやじさんの口から意外な言葉が出た。スミレに対して今度は愛まで説こうというのか。愛情と憎悪は同義であるとキジタさんを見ていてもわかる。
「歪な感情、、」
 愛は真っ直ぐで、誠実で、人が最後に拠り所とする神聖なものだとスミレは信じていた。そうでなければ人々はこれまで愛の名の下に、自己犠牲を施してはこなかったはずだ。そこはカズさんに種族維持の話しを聞いてかなり揺らいでいる。
「そうなんですよ。そうして人の心を妄信的にしてしまうことが、愛という言葉の怖いところで、愛という感情の制御を難しくしてるんでしょうね。何かを愛すれば、同時にそれ以外を嫌悪することになってしまう」
 それではまるで詐欺商法ではないか。何かを好きになっても、それ以外を否定するわけではないはずだ。
「スミレちゃんが話した。野球チームのこと、好きなアイドルのこと。自分の愛するものを優先させれば、それ以外を疎ましく考えてしまうものでしょう? 家族を愛せば、まわりよりいい生活がしたいと欲する。地元を愛せば、他の地方より便利がいいことを望む。国を愛せば、隣国より豊かで平和であることを思う。その衝動が悪い方に作用していくと、一度起きた争いは、お互いの正義の名の下に終わることなく繰り返され、受けた憎しみは冷めることなく、世代を重ねるほどに憎悪が増すこともある。それがわたしたちであり、繁殖を抑制するために遺伝子に組み込まれていると穿ちたくもなるでしょう」
 繁殖を促進するのも、抑制するのも遺伝子次第ということで、スミレは再びその前提条件に気落ちしてしまう。人生が枯れてから知ることならばよいだろうが、まだまだこれから多くの経験を積もうとして行くところで、身もふたもない結論を知らされても嬉しくない。
「誰かを好きになろうとすれば、いくらだでも好きになれるように、誰かを嫌いになろうとすれば、いくらでも嫌いになれるんだよ。時に嫌いになる方を選んだ方が楽になることもある。好きでいることが辛すぎるからね」
 おやじさんはそう言った。辛そうな顔をしている。子どものときの親友を思い出しているのだろうか。
「誰かをキズつけずに生きていこうとすれば、自分をキズつけてしまうことだってある。誰からも愛されようとすれば、誰からもキズを受け続けることになるのね」
 カズさんはおやじさんの言葉を言い換えてスミレに伝えた。
「だったらさ、世界が豊かで平和であれば、どの国もひがんだり妬んだりしなくて済むし、そうすれば自分達が住んでいるところも安心だし、誰もまわりをうらやましく思うこともないじゃないの」
 そんな子どもでもわかる論理を、未だにこの星の住人は実践できないでいる。
 カズさんとおやじさんは顔を見合わせて驚く。スミレが成長を感じさせるような意見をした。ふたりの表情とは裏腹にスミレは楽しそうではない。成長は必ずしも楽しいことではないのだ。


昨日、今日、未来19

2024-01-21 14:40:26 | 連続小説

 そこに「やはり」という言葉が付くのが正しいのか、スミレには疑問だった。確率論で言えばそうなるのかもしれないし、本人がそう思っているならば、スミレが否定できることではない。心のスミにわだかまりができて、スッキリしないのは当事者ではないからなのか。
 生きる権利はすべての人にあるとか、どんな命でもそこに差は存在しないとか、いくらでも言いようはある。生まれてくる命はいったい誰のモノなのか、スミレには明確にそれを断言することはできなかった。
「生まれる前の子どもの状態を把握することができるようになり、選択することが可能であれば、親としてそこは逃れられない道になりますよね」キジタさんが続けた。
 それはいったい、いつの医学を言っているのか。スミレには答えがない。スミレの時代では聞いたことがない。自分が知らないだけかもしれない。
「医師は尋ねるのです。あなたのお子さんには欠損が有ります。今ならまだ、生まないという選択もできますがどうしますかと。わたしはこの時、ついに悟ったのです。わたしがここまで生きてきたのは、この時を向かえるためだったのだと」
 スミレはいやな言葉に耳を塞ぎたくなった。今また、キジタさんのキャラクターが塗り替えられた。そんなゲームでもしているかのような口ぶりで話すことではないはずだ。
 カズさんにたしなめて欲しいところだ。それなのにカズさんは黙っている。キジタさんは構わず話を続ける。スミレはあたまが痛くなり、気分も悪くなってきた。これは最悪だ。
「わたしも、わたしの親と同じように、自分の子どもに判断をくだせる時がやって来たのです。もしかして、あの時、わたしの親が何を言ったのかがわかるのではないかと、、 」
 先ほど、どうしても思い出せないと、絶望し、そして達観してみせた、キジタさんが失念してしまった親の一言。それが巡りめぐって、自分にも降りかかり、同じような境遇になったことで、その意図を共有しようとしている。
 輪廻である。その答えに到達するために生きてきたという信念に、なんの共感も持てず、そのための道具のように使われる赤ちゃんが不憫すぎるではないか。
「スミレ、キジタさんにはキジタさんだけが見えている世界があるの、それはキジタさんの生を満たすためだけにあり、わたしたちとの共用ではないのよ」
 カズさんが改めてそう言った。この境遇になってから、繰り返される言葉だ。人は皆、自分が望んだ世界に生きていると。
 だからと言って、そんなキジタさんの世界を見聞きするのは不愉快極まりない。耳障りの良い話ではないのだから。
「もちろん妻とも相談しました。どうすれば家族にとってベストな選択なるのか。妻は悩みました。授かった子を自分達の判断でどうするか決めてしまう権利があるのかと。わたしはひとつの意見として言いました。自然に委ねれば、生きていけないこの子を、医学の力で、次の世代に引き継がせて良いものかと。答えなど出るはずはありません」
 キジタさんの胎児の欠損とは、そのままにしておいては生命が続かない類らしい。
「それにねえ、出たとしても、その時に妥協した着地点というだけであり、あとから後悔することも、それを最善と信じられるように、辻褄を合わせるために精神のバランスを崩すこともあるからね。人の判断なんてそんなものであり、それぐらいしかできないでしょ」
 カズさんがそう言った。スミレはおやつを買う時も、チョコがいいかクッキーがいいか悩むことがある。ひとつであれば悩まないのに、選択肢があるから悩まなければいけない。
 今日の気分はチョコだと選んで買ったあとに、クッキーにすればよかったかもしれないと、自分の判断に疑問を持つ。
 食べているときはやっぱりチョコで正解だったと満足しても、食べ終わったあとクッキーが物欲しくなる。命と比較する話ではないが同じことだ。
「そんなわたし意見に、妻は何だかガッカリしたような顔を見せました。ただ考えを伝えただけなんです。説得したわけではありません。その時の妻は、自分の意見を見失っていたんだと思います。つまり自分がどうしたいと言うことよりも、そんな意見を持つわたしに反発することにこだわっていた。妻はわたしが手術で助かったことを知っています。だから我が子もと言う気持ちにならないことが不思議なようでした。わたしのその後の苦悩までは知らないので、それは仕方のないことです。おかしなもんです。第三者でいれば、いくらでも命は何物にも変えがたいと言えるのに、当人であれば、そんな尊い言葉よりも、打算のほうが勝るんです。運よく上手く生き延びたとしても、まわりの子たちと同じような生活が送れるのか。その事により何度も辛い思いをするのではないか。妻にしても、一時の感情で生んだ我が子の生涯を、この先も同じ気持ちで向き合っていけるのか。何よりもわたし自身が、自分がどちらを選択しても、それが正しいという根拠が何も見いだせないんです。いっそ誰かに決めて貰ったほうが、信じられる気がするほどです」
 カズさんの言う、選択肢ができて、人の判断能力を超えた弊害がここにもある。
 スミレも母親におやつを用意しておいてもらった方が気楽に食べられる。プリンの方が良かったなと、減らず口を叩いても本心ではない。今日のおやつはもう決まっているのだから。
「一概には同じとは言えませんが、わたしの時は、生まれてからその欠損が発覚しました。確率が低いなりに選択肢があり、そうでなければ助かったことによる、付属的な特性の押し付けに悩むことも有りませんでした。今後はもっと選択肢は増えるでしょう。多くの人の命が救われると同時に、それを受け入れることに苦慮する人も増えるのです。そして、、」
 そんな決めつけたように言わなくてもとスミレ首を振る。そしてこれまでの総括として、キジタさんの口からどんな言葉が発せられるのか気が気でもない。
「それは同時に、生まれる前に何らかの欠損を感知し、その時点で取捨選択がはじめられ、選別されて産まれた子だけが、生きることを許されることになるのです、、 」
 いったい誰に? スミレは考えが追いついていかない。
 親ガチャなる言葉をスミレも聞いたことがある。家でうっかりと口にした時はひどく母親に叱られた。やがて生まれいずる子どもの優劣を選別するなどすれば、それこそ今度は子ガチャとも言え、アタリが出るまで繰り返すつもりなのか。
 カズさんは否定をするように首を振った。
「スミレ、そんな甘いもんじゃないわ。そうなると次に考えるのは、その選別が子どもができてからでは効率が悪いという思想ね」
 カズさんまで、とんでもないことを言い出した。子どもに恵まれるという神の采配を、人為的に、作為的に、恣意的に行なえるというのか。
「だってお腹に子どもが出来てからじゃ効率が悪いでしょ。最初から優秀な子を望むのなら、その確率の高い父親と、母親を準備しなくちゃねえ」
 人類の選別。自分はいったいどう選別されるのだろうか。自分にその資格がなければ、人を好きになっても子どもを作ることもできなくなる。
 スミレの不安な気持ちは高まるばかりだ。不安な気持ちはスミレだけではなかった。キジタさんも同じように愕然としている。
「姉さん、貴方はやはり、、」何が、やはりなのか。
「ケンちゃん、あなたは生まれ変わるんだから。もう思い悩むことはないのよ」
 生まれ変わる? キジタさんが? スミレはカズさんの言葉の続きを待った。
「スミレ、ひとは出来るとわかったことをしないという選択肢はとらないのよ。そして誰もが言う、自分がやらなくても誰かがやる。ならば自分がやった方がいいと。そうしてなんの欠損もない人々が集めれらて、最適なパートナーを選んで次の世代を創作していく。そうするとね、、」
「かあさん、もうやめてください。わたしはもうそんな話しは聞きたくないんですよ。自分がなんのために生まれてきたのかは自分が決めたいんです」
 キジタさんはもう赤ちゃんのサイズになっていた。カズさんはお姉さんからお母さんに変わっていた。そうなる理由があるからスミレの目に映っているのだ。
「世の中がうまく回るにはそれではダメなの。働かないアリがいるから効率よく仕事が回っていく。ひとが作為的にそれを止めようとすると、そうならないバイアスが働く。ひとの感知できないホルモンバランスの変化が起こる。キジタさんは次の世代を創らなければならない。あの子は人類の存続のために生かさなければならなかったの」
 キジタさんの姿はもうそこにはなかった。カズさんのおなかが大きく膨らんでいる。妊娠している女性のように。カズさんは本当にキジタさんのお母さんになってしまった。
 キジタさんは選択すべき側であるとともに、選択される側でもあった。
 自分の言葉に耳をふさぎ、記憶から消していた。そしてもう一度繰り返される。
「だからね、種族の維持継続のために遺伝子が存在してるならば、そこに愛だの、相性だの、ひとの感情が介在することはないの。すべては数値の羅列でしかない。結びつくための理由を各自が勝手に作って盛り上がっているだけなの。それを人為的に操作しようとしても、いつかは自然界が瓦解してしまう。悲しいものね、どちらが人類にとっての正道なのか、誰にもわからなくなっていくんだから」
 この年にして夢も希望も無くなるようなことを言われ、スミレはこの先に明かりが見えない。
 自分がアイドルをスキなのも、この先、好きになる人ができても、それはすべて遺伝子からの指令であり、自らの意思ではないらしい。
 それなのに人は、好きだ嫌いだと言い合い、時に嫉妬や妬み、憎悪を持って人と接している。自分で判断していると勘違いしているのか、それとも自らが主体だと信じていなければ、生き続けることができないのか。


昨日、今日、未来18

2024-01-07 17:31:39 | 連続小説

 こういう過去があるから、こうあるべきだとか、どうしても考えがちになってしまうし、まわりからも求められる。どんな過去があろうと、どうあるべきかは自分で決めればいいはずなのに。そうでなければ普通でないとか、それが過ぎると異常であると見られることさえある。
 スミレもキジタさんを初めて見たとき、そんな過去を背負っているとは思いもしなかったし、話を聞いた後では、それならこうすればいいと、自分の理想を勝手にあてはめている。それはスミレが勝手にキジタさんに与えた履歴でしかない。
 皆誰しも、さまざまな過去を経て生きている。同じような経験も、その人の捉え方により、その後の影響はどうにでも変わってくる。キジタさんは自分の経験が辛いのではなく、経験がもたらした周囲りからの反応と、それに相対したことによる受け止めが、今の状況を作り出してしまったのだ。
 どんな物事であっても、考えようによっては薬にも、毒にもなるように、何が間違った行為か、何が正しい行為か、すべてのひとに当てはまるはずもなく、決められるものでもない。
 キジタさんが、いま生きていることがすべてであり、なぜ生を与えられたか悩んで生きていこうと結論付けているならば、それに対して第三者が口を挟むことはできない。
 そしてもし、生きていなければ、何の悩みも、葛藤もなく、誰の影響下にもおかれていない。
「そう、ただそれだけのハズ、、 」キジタさんは続きが出てこない。
 スミレは、いち推しのアイドルグループが、所属プロダクションから、不遇の待遇を受けていることに憤ったり、リーダーの幼い頃の厳しかった家庭環境のエピソードを涙して聞き、ますます好意を募らせていった。
 もっと応援して、もっと彼らが有名になって、幸せになって欲しいと、なけなしのお小遣いをはたいている。今はそんな自分を愛しく想っている自分を客観視できた。これもすべて、無からスミレが勝手に作り上げただけの現象だったのだ。
 感情はすべて精緻に創られた戯言なのだ。どうすれば人の心情に訴えかけられるか。どうすれば自分が望む行動に引き寄せられるか。自らが選んだように見えて、それらは巧妙に人々を誘導し、気づいた時にはそうせざるを得なくなっている。
 そして今は、実際に死の淵に瀕した人を目にしても、もはやそれほどの実感はなかった、なんだか物語を聞かされているようで、一歩引いて眺めているスミレだった。
「物語だって、現実だって、結局はその時の自分の心身の状況より、ホルモンバランスの増減で感情が左右されていると脳が認識するだけだからね。スミレの場合、これは現実であり、物語であるように、それを理解するのに丁度よかったのかもね」
 理解するとは、いったいなんのために理解する必要があるのか。
「キジタさんはお父さんと、お母さんの言葉をそう解釈しようとしているってことなの?」
 キジタさんは答えの方向性は確定しているのではないかと、スミレは問うてみた。
「人間は欲張りだからね。選択なんて出来ない時代の方がある意味、幸せだったのかもね」代わりにカズさんが答えた。
 食堂の丸椅子に足をブラブラとさせて座っていたキジタさんは、リクライニングのシートに収まっていた。身体は前よりも小さくなっている。宇宙服のような特殊なスーツを着ていて、足を投げ出すこともできずにそこに埋もれていた。
「それに、なにを持って欠損があるとは言い切れないし、ある意味欠損がない者など皆無なんじゃないかな」おやじさんが言った。おやじさんは調理服から医師か研究員のような恰好になっている。
 それはそうだが、そんなことを言い出せばキリがない。人の優劣をどこかで線引きするなど出来はしないのだから「だけど、、 」スミレはそこから先を言いたくはなかった。
「線引きはできなくとも、最も優れたモノと、最も劣ったモノを見比べれば、歴然とした差がそこには存在している」スミレの代わりにキジタさんがそれを言ってくれた。
「そうよね、それを判断するのは本人じゃないし、親とか、医師とか、回りの意見とか、その時に権力を持っているひとが判断してしまうから」
 カズさんは白衣を着ていた。おやじさんがと揃いのユニフォームだ。胸のポケットには二本のペンが刺してあった。
 カズさんの言葉にスミレはひっかかった。親はわかるけれども、医師にまでその権限があるのだろうか。
「権限と言うよりね、治せる、治せないの判断をするでしょ。治せたはずなのに無理だと判断するとか、容易に治せるものも、失敗することもある」
 ならば周囲の目とは何だろう。
「回りの目を気にして判断をしてしまうことはよくあることだ。これでは本人もたまったもんじゃない。それは時に判断を見誤まれば、自分の命を天秤にかけられているのと同じだ。キジタさんが、ヒーローと違うのはそこなんだから」もう、オヤジではない年齢のおやじさんがそう言った。
「そうなんです。わたしはまだ、自我が目覚めてませんでしたから、死ぬ寸前で助かったと言う感覚も、記憶もないんです。それが決定的に違うところなんでしょうけど。事実として死の淵から生還した。それとの差が良くわからないんです」
 事実ならばそれでいいのではないだろうか。それを強味にできるかどうかは自分次第なのだから。スミレは高校生が着るようなブレザーを着ていた。中学時代の想い出も何もないのに、もう高校生では悲しすぎる。
「つまりねそういうことなんです。そう言った自分の特性であったり、誇れる部分を強味にできるかどうかで、ひとの人生は変わってくるんですよ」
 自分の強みとは何だろう。スミレは自問した。何を拠り所にして自分は生きていけるのだろうか。さしあたっては、このような異空間に取り込まれても、動ずることなく対処できていることか。
「そうかもしれないわね。うまくできてるかどうかは別として」と、カズさんは嫌みっぽく言う。中学生をスキップして高校生になってしまい、悔やんでいるのを知っているように。
「対応できていると言うより、まわりの状況に流されているだけってこと?」
「うーん、そうでもないんだけどね。これからが本番だから、これぐらいで満足しないで欲しいの」
 恐ろしいことを平然と言われて、スミレもたじろぐ。
「スミレはまだわからないだろうけど、親にされたことは自分の子に影響を及ぼすのよ。それは顕在下でも、潜在下であっても。親にいつも叱られて育てば、同じように自分の子にも厳しく当たるとか、子供にはそんな思いをさせたくないとするか」
 カズさんはそんな話を切り出した。話がコロコロと変わり、スミレはすぐにはついていけない。当のキジタさんは茫然としている。2歳児の茫然とした顔をはじめてみた。
「あんた、、」おやじさんが驚いたようにカズさんを見る。
 キジタさんは、おやじさんの方を向いて首を振る。わかっていないのはスミレだけだ。
 スミレの母親は、特に厳しいわけでも、甘やかすわけでもなかった。母親はどんな影響を受けているのだろうか。スミレにはこれと言った具体例は思い浮かばない。
「そうねえ、スミレの母親は自分が望む以上に親にかまわれたから、その反動で、必要以上に構わないように距離をおいているのかもね。もしくは、子に構うより熱中できるものが他にあるとか」カズさんは嫌な目をした。
「大丈夫よ。昔は、放っておいても子は育つって言ったもんだから、それぐらいでちょうどいいのに、比較する情報が多くなりすぎれば、誰もが処理できずに混乱してるのよ」
 フォローのつもりかカズさんがそう言うと、キジタさんは先の話しに取り戻そうと口をはさむ。
「放って置いてもと言うのは、放っておいて育つ子だけが生きてきたと、取ることもできますよね」
 大衆食堂の店内は薄っすらとカゲってきた。急に陽が沈んだように。明かりはついていない。いろんな食べ物が入り混じった匂いがしていたはずなのに、いまは消毒用のアルコールの臭いがする。病院の中にでもいるように。 
「そうねえ、子どもが親に甘えて、愛情を求めるのは、生存本能が作動しているだけで、愛だのなんだのって、甘い話しじゃない。そういった意味では、大人よりあざといとも言える。そうなれば相対して母親は、母性本能が起動され、子を育てる連鎖を保つことができる。母親をこなそうとする妻を見て、父親は次の子孫を残す本能を抑制してしまうし、そのはけ口を外に求めることもあるが、そんなことを公然とすれば、周囲の目を気にしたり、それに見合ったリターンが得られないことで抑止されている。ところがあれだけ親を頼りにしていた子供は、自分にできることがわかれば、親を必要としなくなり、やがて親をないがしろにするようになる。それが子離れだと諭される。それを知れば母親は、次は自分の資源を子どもに掛ける労力を自分に投資するようになる。これまで、ホルモンバランスの変化によって構築されてきた、出産から子育てのサイクルが回らなくなっていく」
 なんだろう、カズさんは少子化の話しをしたいのだろうか。
「そうじゃないんです。スミレさん。人の遺伝子が子孫を残すように組織されているならば、現代の、つまりスミレさんの時代で、外的要因により、子孫を残すホルモンの分泌が低下する状況が続いた場合、それを元に戻そうと、配列に変化が起きる可能性をさぐっているですよ」おやじさんが言った。
 カズさんは話題を変えたわけではなく、キジタさんの話の核心へと迫っているのだ。ぼんやりと店内が明るくなってきた。目が慣れてきたのか、明かりが点いたのか自覚することはなかった。ただそこはもう、食べ物屋の店内ではなくなっていた。研究所の一室のような、何の飾り気もない、無機質な空間になっていた。 
「これまでの自然界にない環境に人々が生存するようになり、子孫を残そうとしないバグが発生するようになった。少数のモノなら以前からもあった。これほどの大量のバグが出てくれば、もはやバグとは言えず、それが正道となってしまう。そうして出生率が低下すれば、国家はありとあらゆる命が必要となる。子どもを作らない選択をするひとが増加する中で、作りたいひとに原資をかけるのは間違いじゃないからね。それは強い者だけが生き残ってきた、これまでの自然の摂理から外れていくことになる、、 」
 自然の中では、どんな動物も植物も、強いモノか、もしくは強いモノと共存できるモノだけが生き残ってきた。『環境に適応するモノ』などと、やんわり伝えられることもあるが結果は同じことだ。環境に適応できなかった弱きモノは滅びていくだけだ。
「これまでにはなかった選択肢を選べるようになってしまった。本来なら生まれなかった人間、生まれても育たなかった人間、育てることが困難な人間。これからはそんな子どもたちも、すべてに生を与うることができるようになっていくの」
 いったいいつの時代のことを言っているのかスミレは困惑した。キジタさんもそのひとりになるなら、随分以前からそういった医療が進んでいたことになる。
「生きてきた者だけが、生き残る資格を持っていた。そう遠くない過去はそれが普通だった。選択も、選別もなく、自然を受け入れるしかなかったんだから。自然に抗い、作為的な選択肢ができたことで、人はこれまでになかった判断をしなくてはならなくなった。その決断は容易ではなく、いつしかひとの心を蝕んでいく。選択できる権利が芽生えれば、最良の選択をしたいと思うのが人の心。そしてそれは大概にして悪い方を選んだと思い込んでしまう。仮に相対的に見て、良い選択だったとしても、もう一方がもっと良かったんではないかと、疑心暗鬼になっていく。そんな懐疑心が容赦なくひとの心を蝕んでいくんでしょうね」
「姉さん、あなたはいったい、、 どこまで、知ってるんですか?」
 知られるはずのない事実を語られようとしている。キジタさんは悲しそうな表情になっていく。
「そうです、因果応報なんでしょうかね。わたしたち夫婦のあいだに出来た子は、やはり欠損のある子だったんです」


昨日、今日、未来 17

2023-12-23 14:02:14 | 連続小説

 キジタさんの言葉が投げやりに聞こえたスミレだった。2度目の命を与えられたことを望んでも、喜んでもおらず、むしろ厄介ごとをかかえたかのような言いようだ。
 自分の子どもなら、その確率が低かろうが助けたいと思うのが親ではないだろうか。それが医者に言われた言葉に反発したかもしれないと仮説をたてること事態、スミレには随分歪んだモノの考え方に聞こえる。
 命拾いして負い目を感じるとか、決断力に乏しいことを嘆くより、その穿ったモノの見方を考え直さない限り、この苦しみは続くのではないかと心配になる。
「それは単なる正論ね」カズさんがスミレを見る。正論のなにが悪いのだろうか「当事者にしか、わからない想いは、どうしたってあるのよ」と、当事者ではないカズさんがそう言った。
 おやじさんは子どもをなぐさめるように、椅子に座るキジタさんの小さな足に手を添えてさすった。その膝から先は床に着かず、所在なさげにブラブラとしている。
「何かあるごとに親も、姉も、あんたは死にかかっていた。死んでもおかしくなかった。そのつもりで生きろと叱咤しました。そこに悪気はないとは承知しています。どちらかと言えば弱気で、臆病なわたしを勇気づけるためなんでしょう。それなのにわたしはどうしても、それを力量として生きていくことができませんでした。漫画の主人公も、テレビアニメのヒーローも、生死の境目から蘇り、さらにパワーアップして活躍しているのに、どうして自分はそういった境地になれないのか、そう打ちひしがれるたびに、ますます弱気になっていくのです」
 子どものキジタさんが、大人になってからの苦しみを吐露している。それがこの言葉に妙な真実味を上乗せしている。子どもなのに、理想通りの自分を思い描けていない、自分の未来図が見えていればそれは致し方ない。
 マンガやアニメのヒーロー、ヒロインのようになりたいと、想いを重ねていたのはスミレだって変わりない。つらい境遇や、過去の悲運な出来事を乗り越えて、勇ましく立ち向かう姿に憧れていたのはキジタさんと同じだ。
 自分はどうしたってそのような環境には育っておらず、人並みに生活が送れ、不自由ない暮らしができている。それだから在り来たりな行動しかできないのか。かと言って厳しい状況に自ら身を置いて、実際にそこか這い上がれるか試してみる勇気もない。
「それが果たして、勇気であるかは捉え方によるわよねえ」そうカズさんは言って微苦笑した。
 勇気でなければ、愚行なのだろうか。バカにされたようなスミレはキジタさんを見た。最初からその恵まれた立場にあれば、勇気ある行動も、やらずもかの愚行になり。厳しい立場でこそ勇気を持った決断と称えられるならば、勇気と愚行とは紙一重であり、その価値もまた当人だけのものだ。
「そうですよね。いやまったくその通りです。スミレさん。わたしにとっては勇気と言われるのが重荷なんです。手術に成功したから、わたしは今こうして生きているので、この話に残酷なオチはありません。ただわたし自身は、残酷なオチを背負って生きているのです。まわりに言われなくとも、わたしに判断力が乏しいとか、決断力に欠けるとか、大きな勝負を仕掛けられないとか。そんなことは自分が一番わかってるんです」
 せっかく助かった命が、そのひとを苦しめているなんて因果なものだ。さらには多くの助からなかった人たちにしてみれば、贅沢な話しだと怒りをかうだろう。
「必要な出来事が、必要としている人に届かない。それはひとの力だけではどうにもならないよね」カズさんが言った。
「お金持ちは、いくらお金があっても、もっとお金を増やす方法を考えるのに明け暮れ、お金の使おうとしない。同じように、命がいつまでもあると思って、ほとんどの人は日々を怠惰に暮らしている」
 その例え話が同じなのか、スミレにはわからない。
「お金が必要なひとには、必要とする分だけのお金が回ってこない。命をつなぎとめたいひとに、命が回ってくるかどうか、それは多分に運が左右する。運よく命拾いしたとしても、その命を有効に使えるかどうかは本人次第。せっかく助かった命は、運がなければ無くなっていた命の対比ではないんだよ」
 おやじさんが、カズさんの言葉を受けてそう言った。スミレ以外は共通認識できているらしく、またまたアタマがこんがらがってきた。それはもう、お金持ちになるのも、長生きできるのも運次第ということで、身もふたもなくなってしまう。
 スミレの短い経験則ではそうなってしまうのも無理はなく、大人たちは、子どもになった大人も含めて、多くの経験からその類似事例を抜き出すことで言ているのだ。それらの関係性の中からでこそ生まれる意識もある。カズさんはこの状況を楽しんでいる。
「そうね、誰もが正当な理由を求めてるんだから。それはなるべく自分の意に沿ったモノが好ましい。そうでなければ納得出来ない。と同時にそうでない場合の想定をあらかじめ準備しておき、なるべく衝撃度を緩和するように備えておきたいものなのよ」カズさんが言う。
「そうなのかもしれません。わたしもそうでない想定をしました、、」すぐにキジタさんが受ける。
「そうねえ、例えば医者に反発したからとか?」カズさんはスミレを見てそう言った。ここでつながってくるとは。スミレは口をへの字に曲げた。
 キジタさんが予定してるそうでない場合は、本当にそういうことだったのだろうか。子どものスミレにもそれはあまりに子どもじみていると、子どもの姿のキジタさんに言うのも変だった。
「、、わたしはそもそも生まれるべきではなかったと。そうすれば、両親に心配もかけることなく、自分自身の存在に思い悩むこともなかったのです」
 はやり、それだけの話しでは終わらない。医者への反発に置き換えたのも、キジタさんがその思考に陥ってしまいたくないからで、どうにもその根は奥深そうだ。
「わたしは一度だけ親に訊いたことがあります。医者に助かる確率は低いと言われたのに、手術したのはどうしてかと、それに、お金だって、、、」
 確かにそこは気になるところであった。お金の心配もあり、言い出しづらい。無理を承知でも、万にひとつの可能性があればと願ったからだと、親からは言って欲しいところだ。
「それで、親御さんは何て?」カズさんが声をかけた。
 キジタさんが、それを言葉にするのが厳しいように見えたのだ。実際キジタさんはこうべを垂れて口を閉ざしたままだ。
 おやじさんがキジタさんの肩を優しく撫でる。その動きに流し出されるように、腹の奥にしまってあった言葉が喉元までこみ上げてきた。ふたりはキジタさんの奥底に溜まったモノを吐き出させて、楽にしてあげたかったのだ。
「、、 それが、覚えてないんです。教えてくれなかったのではなく、何か言われたのは間違いないんですが、それなのに記憶がないんです。こんなに大事な言葉なのに、なにひとつ、、 ただ、ふたりの穏やかそうな顔は印象に残っています。およそ子どもに、どんな気持ちで命を救おうとしたかを話すような、そんな表情とは、かけ離れた表情だったんです」
 キジタさんは、余りにも想定外の言葉を受け入れることができずに、そのまま記憶から消してしまったのだろうか。奥に置いてあったのは、それを思い出さないように閉じ込めているように。
「訊いたのはそのとき限りです。二度と訊くことはできませんでした。自分が助かった本当の理由を、遠ざけて生きてきたんだと思います」
「だからなのね、」カズさんは柔らかな口調で肯定する。
「あなたがケンちゃんを脱却したいのも、姉に昔のことをからかわれるのが嫌なのも、その話題になることに怯えていた。そうなんでしょうね。本当の理由を、もはやそんなカタチで訊きたくはないとしているのだから、、」
 キジタさんは、コクリとうなずいた。
「どんな理由であったにしろ、わたしはこうして生きています。それ以上に何を望むことがあるでしょう。でも、、」
 その言葉に続けて何を言い出すのか、スミレは息を飲んだ。
「、、こんな思いをするために生き延びたのは、いったい何故なんでしょうね」
 キジタさんは大きく首を振った。清々しい表情も、なにか無理をしているようだ。キジタさんはその理由を探して生きている。そのためにあえぎ、傷つき、自分の弱さを表に出している。
 生き延びた理由は、何かこの世にできることがあるからのはずだ。スミレにだってわかる。しかし、誰も安易な慰めの言葉など口にしなかった。
 子どものためにありとあらゆる手を講じて、命をつなぎ止めることがモチーフになるドラマはよく目にする。それが万人が望む見たいストーリーだから。命を救われた人たちが共通して望んだ結果ではないこともあるのだ。
 産まれてきて良かったとか、生きて恩返しをすればいいとか、耳障りのいい言葉は直ぐにでも口にできるだろう。そんな言葉をキジタさんは望んでいない。それはもう、自分のなかで何十回も唱えていた。人それぞれに解毒の方法は異なる。
 時に慰めよりも、その判断を尊重することが必用だと、カズさんもおやじさんも知っている。
 言葉が通じることを前提として、この世の中の仕組みが成り立っていても、本当は誰もが口に出せるものでもないし、目に見えて他人との差に気づくものでもない。
 それでも誰かとは違っている。みんな一緒ではなく、誰もが自分だけの解を持っている。それを本人から宣言するのは野暮だと誰もがわかっている。
 スミレもようやくそのことに気づきはじめていた。自分にも自分だけにしかない解を幾つかある。母には理解してもらえたことは、父には理解してもらえない。友だちには理解してもらえても、両親にはダメだった。
 みんながみんなスミレと同意見ではない。その人から見ればスミレは異端者で、何かかけている欠損者なのだ。手術の必要はないけれど、直ることもない


昨日、今日、未来16

2023-12-10 18:05:08 | 連続小説

「おやじさん。めずらしいですね。フロアに出てくるなんて。今日もおいしかったですよ。こんな食材出してたら、店が儲からないでしょう」
 キジタさんがおどろいて声を掛ける。今はもう少年ではなく、元のおじさんに戻っている。おやじさんと呼ばれたひとは、所どころに調味料のシミを残した調理服を着ている。キジタさんの言葉を聞く限り、どうやらこの店の料理長兼オーナーらしい。
 腕まくりをした腕は細く、血管が浮き上がるほどだった。油のはねた痕が所どころにシミになっているのが、おやじさんの年季を物語っている。
 ゴムのスリッパをつっかけたまま、おやじさんはスミレたちのテーブルまで寄ってきた。となりのテーブルから丸椅子をひとつ引き寄せ、テーブルのすみに陣取った。いわゆるお誕生日席だ。
「おやじさん、すいませんがもう少しわたしに話しをさせてください」
 キジタさんはそう断ると、おやじさんは目を閉じてコクりと首をうなだれた。その肯定を合図として、再びキジタさんはスルスルと子どもになっていく。そして恨めしそうな顔をカズさんに向けた。
「姉さん、違うんですよ、、」やはりカズさんは仮想姉だった。
 キジタさんは小さくなっても話し方は元のままだ。子どもが大人びた話し方をするのは違和感しかなかった。この状況でなければ絶対に目にすることはない風景を、当たり前のように見ているスミレがいた。
 スミレはカラダが成長しても知識や思考は元のままなので、この不釣り合いな状態にバランスを崩してしまいそうであったのに。
 大人のように賢ぶって話す子どもがいれば、普通ならなにも知らない小僧が生意気を言ってと、冷ややかに見られるだろう。そんな先入観さえバカらしく思える。その人がどんな想いで話しているのかを、もっと自然に聞くことができれば、その人との接し方もまったく別のモノになるはずだ。
「そう、同じことなんだよ、スミレちゃん。わたしだってそうなんだ。カラダや脳の成長とともに、知識が取り込めれるわけでも、与えられる情報が最適化されているわけでもないんだ。だから誰もがその不釣り合いな状況を埋め合わそうと苦慮している」
 同じではないとスミレは否定したかった。いまの自分の状況はあまりにも実態よりかけ離れすぎていて、経過した時間も少なすぎる。キジタさんが重ねてきた年数とは比べものにならない。
 カズさんは失笑している。
「そうでしょうね。スミレの状況は特殊だけど、それはしかし、わかりやすい環境であり、ある意味、対応しやすいんじゃないの? キジタさんはが言いたいのは、そうではなく、今の状態が正なのかどうかもわからないまま、いろいろな情報を詰め込まれていき、それを正確に処理することが成長の証として、可視化されてしまうことが、どれほど精神に歪を与えているかということよ」
 じゃないの?と、軽く言われてもスミレは困惑してしまう。確かに、情報量が多すぎて、処理も追っついていない中で、誰かと比較されることもなく、どの程度理解できているかの基準は自分次第であることは気は楽に違いない。それ以外はすみれの方が負荷が多い。周囲の目や、誰かとの比較が、どれ程プレッシャーになるのか知らしめている。
「そこなんですよ。スミレさん」
 スミレちゃんから、スミレさんに変わった。見た目とは関係なくスミレのレベルがアップしたのだ。それをスミレはまだ身に感じていない。
「わたしはね、生まれながらにカラダに欠損があったんです」
「ケッソン?」
 その正確な意味はわからないながらもスミレは、なにかが欠けており、他の多くのひとと違いがあることを示したいのだとアタリをつけた。
「なあにスミレさん、安心してください。わたしだって、その言葉が正確かなんて、わかって使っているわけじゃないですから。なるべく配慮した言葉を選んでいるだけです。自分にも他人にも、、 ましてや害があるわけじゃないのに、そんな言われかたしたらどれほど傷つくか。言葉や漢字の振り方と言われればそれまでですが、自分ではそう言わないと、なんだか出来損ないに思えてね、、」
 言う方はそこまで深く考えて言っているわけではなくとも、言われる方の感じ方は様々なのだ。スミレだって何気ない一言で、友達から反撃を受けたことは幾度もある。
 そんなつもりじゃないと言っても、傷ついたと言われれば返す言葉もなく、これでは一体どれほど気を遣って話せばいいのか、しばらくは咄嗟に言葉が出てこなくなったことがあった。
「通常あるものが、なければ欠損していることになる。それがなくてはならないかどうかは別なのにね。あるかどうかの価値は、人それぞれに委ねられてしかるべきなのに。それが人が平等を享受できる前提でしょ。すべてが同じであることがスタートラインになっていては、そうでない人はスタートラインにすら立てないんだから」
 カズさんは、そう持論を展開した。キジタさんはうなずいているので、自分の意図を汲み取ってもらえたのだ。
「わたしのカラダの欠損は、生命に関わる重大なものだったんです。そのせいで、母乳は飲めずにやせ細っていき、両親は当然のように心配になり医者に相談したんです。そこで発覚したんです。そしてそれは手術をしないと治らない欠損だった。当時の医療では成功する確率は低く、医師からは諦めた方がいいと両親に伝えたんです。それに手術代も決して安くはないと」
 人情的には受け入れがたいものがある。そうであっても人の死と言えども、確率論は成立するし、値の上下により、手が出るか出ないかも判断される。それも助けられるかどうかの選択肢があるから選べるわけであり、その選択肢がなければ確率はゼロであり、手の出しようもない。
「わたしの両親は、手術をする選択をしてくれました。その理由が親としての責任としてなのか、わたしのことを思ってなのか、医者にそこまで言われて逆に発奮したのか。発奮したという言いかたは言葉が悪いかもしれませんが、人の深層心理というものは決してロジカルではありません。その言葉がトリガーとなって手術を決断したとしても、わたしにはどうでもいいことです。いまここに命があることがすべてなんですから」
 難しい話が重い話になってきた。スミレはその重さを取り除こうと、これは自分が望んだ空想の話なので、気に病むことはないといい聞かせた。
 マンガやドラマも、作り話とわかっていても感情移入すれば、喜怒哀楽があらわれる。ましてや目の前にいる人が、演じている訳でもなく、自分史を語ればどうしたって、相手を慮ってしまい、スミレはいたたまれない。
 そして残念ながら、この先はもっと話しが重くなっていく。
「生後間もないわたしは、自分の生死が秤に掛けられているとも知らず、自分の人生の選択を親に委ねるしかないのです。その時にわたしは、人生で一度目の重大な決断を、自分以外に託したのです。もちろん、自分では何も出来ない赤ん坊は、生のすべてを育成する者に委ねなければならないのは承知してます。それとは別の負い目、そう負い目と言っていいでしょう。負い目を持って、2度目の命を与えられたのです」