private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

商店街人力爆走選手権 SCENE 35

2016-09-25 18:06:16 | 連続小説

「スターッ!!」
 仁志貴は戒人の出方を伺うようにして、軽快な足取りで進んで行く… はずだった。
「!?」
 ウォーッ!! とアーケードに響く雄たけびの進む先が、そのまま戒人の走るスピードを示していた。仁志貴を置き去りにして戒人が一目散に駈け出していった。
――なんだっ! なんだ!? カイトのヤツ、2週間でそこまで脚力つけたってのか? どこのジムか知らんが、そりゃ、結果にコミットしすぎだろ。
 予想外の展開に、のうのうと戦局を見守ってはいられなくなった仁志貴が、足に力を込め蹴り上げる。
――もってくれよ。
 仁志貴は膝の具合が気にかかる。唯一の不安は、膝の痛みが再発し、足が前に出なくなることだ。中途半端な場所で走れなくなってしまえば、せっかく盛り上がった夏まつりのフィナーレに水をさすことになる。それゆえ、なるべく余裕をもって差を広げておきたいところであった。とはいえあまり差をつけてしまえばレースへの興味が薄れてしまうし、戒人が追い付いてくる保証もない。それでは元も子もなくなってしまう。そんなジレンマを背負うこととなるはずだったのに、それが甘い考えだったかのように戒人が爆走を続けている。
――カイトのヤツ、やりすぎだぜ。あれじゃ猿の自慰か、調子に乗った時のマンセルと同じだ。
 仁志貴とともに、戒人のロケットスタートにあたまを抱えたのは、自転車屋の悠治だった。スタートで離された展開に観衆もやきもきしている。
「オーイ! ニイちゃん、ガンバレヨー。彼女が泣いてるぞー」
 驚いているのは仁志貴や悠治ばかりではない。恵も会長も目を丸くしている。
――ボーヤ。どうしちゃったの。私を乗せた時はすぐに息切れしたくせに。
「戒人のヤツ、どんなインチキしてるんだ??」
 実の親にまで疑われ、はなはだ残念な戒人であった。
 スタートの合図をしたMCが、すかさずゴールまでを見渡せる仮設のやぐらに登って実況を続ける。片手にマイク、もう一方に双眼鏡と、昔の競馬のアナウンサーよろしく状況の把握に努める。
『さあ、これは大変なことになってまいりました。1番車がいきなりの猛ダッシュ。あっというまに差を拡げてしまった。必死に追いすがる2番車。いったいどうなるのでしょう!』
 無責任な実況に舌打ちする仁志貴は、なににしろ爆発的なスピードでかっ飛ばして行く戒人を捕まえなければならない。本気を出すとかそんな問題じゃなく、全力で走らなければ差が開く一方だ。走り始めた今となっては、CVTを使おうにもレバーを引けば急ブレーキがかかってしまうので、このまま重たい力車を引いていかなければならず、この状況ではかなりのハンデを背負ったこととなる。
――アイツ、ナニ仕込んだんだ。いや、カイトじゃないな。ユージか。無茶しやがって、これが見物客にバレたらどうするつもりだよ。
 商店街の人でなければ戒人のスピードを変に思うことはない。見た目とは違って大した脚力の持ち主だと感心するか、レースにでるぐらいだから違和感はないのかもしれない。ところが戒人の人となりを知っているものであれば、仁志貴を置き去りにするこの光景はCGでも見ているぐらいに実際の光景とは思えない。それなのに、どこからもそんな声が上がらないのはこれも仕掛けのひとつで、知らなかったのは自分だけだったのかと、あらぬ猜疑心がわきあがる。
 仁志貴としては、恵や仁美に言い含められたわけではない。そそのかされたついでに自分の想いもあり乗っかたっただけで、ワザと負けると約束したわけでもない。恵たちは何にしろ、レースが盛り上がり、起爆剤となって、明日、明後日へつながっていけば文句はない。そのためのタマはいくつも用意されているはずだ。自分も単なる持ち駒で、いくつかの選択肢のなかのひとつであり、唯一の存在ではない。
 聞いたところによれば、明日からは一般公募を募り、彼女を乗せてレースをさせる予定もあるらしい。このレースに反響があれば、勝った方に公開告白のステージでも用意すればいい前フリになるだろう。つまりは、仁志貴が勝っても、戒人が勝っても、そんなシーンを見せることによって、感動のサプライズのフィナーレで宣伝効果も抜群となり、どのみち、マイナスには働かず、自分たちはいいように使われるだけだ。
――宇宙船に乗せられた猿みたいなもんだな。
 必死に足を捌き続ける仁志貴は鈍った身体に鞭打ちながらも、あたまのなかでは冷静に自分たちの状況を嘲笑っていた。徐々に戒人との差を詰まっていく。なんの内情を知らない観衆は、逃げる戒人に、追う仁志貴の好勝負に気持ちが入り、大喜びで歓声を送る。
 コースの半分に差し掛かると、そろそろ仁志貴が戒人の尻尾を捉えはじめた。仁志貴もかなり辛そうだ。これほどまでに全力で走る予定ではなかった。爆弾を抱えた右ヒザはまだ大人しくしているものの、いつ悲鳴をあげてもおかしくはない。
 気づかない内に下を向いていた。それほど長いあいだではないはずだ。気になる場所に目をやるのは人間の本能のようなものだ。それが仁志貴には命取りとなった。
『ガンッ!!』
 その音にあわてて目線を上げる。戒人の人力車が突然スピードを失っていた。面喰った仁志貴はあわててスペースのある右側に足を運ぶ。そもそも、レースは並走して行われているので、前走者の後ろに付く必要はなかった。差の縮まりを確認したいのと、あわよくば仕組まれた仕掛けを暴いてやろうかと、真後ろにコースを取った仁志貴がうかつだった。
 すんでのところで、衝突は回避することができたが、戒人の車輪に右ヒザをしたたかぶつけてしまった。右ヒザがガクリと落ち、力が入らない。痛みを堪えてからだをかしげながら歩を進めてみたがそのたびに激痛が走りつんのめるようにして崩れ落ちてしまった。
『うわーっ!! とんでもないことだー! 先行する1号車が人力車に何かが起きたのか、急に止まってしまった。後を追う2号車もあやうく激突するところをすんでのところでかわしたものの、これまた急停止。さあ、どうなる。どちらが先に動き出すのかーっ!!』
 仁志貴は膝に手をあてて、なんとか立ち上がった。ゴールに向けて歩を進めるべきか、戒人の状況を確認せずにこのままゴールしてしまっていいものか、判断がつきかねた。沿道の観衆を見ればみな、後方に視線を向けなにやら叫んでいる。戒人の方を見ているのだ。その中に、瑶子の顔を見つけた。悲しげな目をして口を覆って戒人の方を見ている姿を目にして、それはそれで心が痛かった。
――ヨーコのヤツ。こんなとこで見てたのか。そりゃタイミング良すぎだろ。
 仁志貴は後方を振り返る。戒人は前のめりにつんのめって、転倒したらしく、膝からは血が流れ、幾本の線となっていた。仁志貴はその場に立ちつくし、手に付いた砂を払い落している戒人の様子を凝視している。
 仁志貴は躊躇した。
――どうする。中断するか。続行か?
 いったい何度おなじことを繰り返せばいいのだろうか。それが良くないと分かっていても自分を制することも導くこともできない。もしくはその状況に甘んじればいいのだと、寄り添って生きていこうと望んでいるのか。しょせん人の生きる道なんてものはそれぐらいの判断しか出せず、楽な方へ流れ、それでいていやな思いを受け止める羽目になる。
 不満を残して生きていくよりは、不安のまま生きていくのはさして悪いことではないとはいえ、少しでも払拭したいと思うのはいたしかたない。されとてどんなに準備をしたって不安はなくならなず、多くの経験を積んだからといって次の一手が正しいとは限らない。どれほど自分を追い詰めても、必ず勝利するわけではない。相手があり、状況があり、影響を受けながら、勝者と敗者という結果が出るだけだ。
 誰もが良い時を過ごし、誰もが悪い時期を迎える中で、自分の運のなさを嘆き、幸運を神に感謝して生きているにすぎない。
 戒人はなんとか立ち上って天を仰いでいた。目の先にあるアーケードがはがれた隙間からいくつかの星が見える。なにかを決したかのように大きく息を吐き引き手を前に向けた。CVTが使えなくなったらしく重くなった車体を進めるのはただでさえ難儀であるのに、右ヒザのケガには目をやることも、手をかざすこともなく前進することだけに集中している。
 仁志貴はそんな戒人を見送っていた。自分は自分で描こうとした絵空事を自分の手でつぶした。自分で描いたなら実行するのはたやすいはずで、それは自分の良心にうかがいを立てそこに大義があればなんの問題もない。自分自身に対しては。
 通り抜ける戒人の力強さに気押されていた。血管が浮き出て、一気に汗が噴き出す。そんな戒人の必死の走りに、沿道の観衆が目を覚ました。
「よーし! ここからだーっ! 頑張れよー」
「ゆっくりでいい、ゴールを目指せーっ!」
「ほら、ニイちゃん、なにボーッとしとるんだ。あんたも走らんと勝負にならんだろ」
 まわりにうながされて、仁志貴も走りはじめる。右ヒザを痛めていたことを思い出させるような激痛が走り、からだがゆがむ。その間にも、戒人が紅潮した顔で、玉の汗を額に浮かべ歯をくいしばって先を進んでいる。その姿に誰もが心奪われていった。仁志貴は瑶子の姿を確認した。両目に涙を溜め。戒人だけを見ている。もうなにも必要なくなった。裏切ることも、裏切りを正当化することも。これで良いと思える姿に、自分がようやく解放されたような気分になった。
 理性が司っていたのはここまでで、これでもかと襲いかかる不利な条件が野生の本能を呼び覚ました。戒人は血流する膝をものともせず、形相を変えて、一歩、一歩、歩を進める。方や仁志貴も力の入らない右ひざを引きずり、身体をかしげながらも負けじと人力車を引いていく。
 スピードを争うはずの本来の姿からはかけ離れた戦いの中で、互いに譲ることなく我先にゴールに飛び込もうとする姿は、本来のレースの定義からは逸脱しているかもしれない。それはもはや、競技でもなければ競争でもなく。興業と言えばそれに近く、それでも観衆はこれまでになく二人の争いにのめり込んでいた。走りはじめる前の様々な思惑はすでにどこにも存在しておらず、ただ自分が先にゴールする、ゴールしたいという想いをぶつけ合っている。
 瑶子もまた、本能的に二人の進む方へ足が向かっていた。最初は遠慮がちに人をかき分けていたけれど、そのうちに身体をぶつけ、押しのけるようにして速度を速めていった。これまでであれば、いちいちあたまを下げて謝っていたはずなのに、今日は、まわりに迷惑をかけようが、舌打ちされようが、自分の進む道だけを見て、二人が向かうゴールだけを見ていた。涙が止めどなくこぼれていた。
 真実がどこにあろうと、ふたりが自分のためにここまでしてくれている。それに報いるためには、ふたりをゴールで迎え入れ、自分で判断をくださなければならないのだ。逃げてばかりいてはいけない、逃げ場はもうどこにもないのだ。これまでも逃げた場所は、安全地帯ではなく金魚蜂のスミに追いつめられていただけで、万人の目のもとにさらされ、臆病な自分をもてあそぶ格好の要因を引き出していただけだった。
 瑶子も気は焦るもののなかなか前には進んで行かない。いくら気持が入っていてももともと身体も小さく、力のない瑶子が人をかき分けてもたかが知れている。歓声が先に進んで行く。もう間に合わないかもしれない。
「ヨーコ! こっちだこっち」
 諦めかけ、下を向いた瑶子の耳に聞きなれた声が届いた。顔をあげるとそこには悠治が道を開いて待っていてくれた。
「すいませーん。みなさん道開けてくださーい。彼女がゴールでふたりを迎えられるように協力願いまーす」
「なんか聞いたけどよ。勝った方が告白するって彼女ってのは、このコなのか?」
「あーっ、そうです。そうです。そうなんです」
 微妙に解釈がずれているが細かい説明をしている場合ではないので迎合しておく。瑶子は自分のことを言われているとは思ってもいない。
「おーい、みんな、今の聞いたか? さあ道開けてこのコを通してやろうぜ。さっ、あんたも急いで」
 なんだか自分の知らないところで大変なことになっている。立ち止まることは許されない。自分からは声を出すこともできず、悠治が手招きする方へ向かって進むしかなかった。
 悠治はそんな瑶子の道先案内人となり。鈴なりのひとを縫って道を作る。ほうぼうから冷やかしの声がかかっている。なにがなんだかわからない。そんな疑問も、恥ずかしさも、ゴールの前に立ち、ふたりの姿を見れば、またどこかに吹き飛んでいってしまった。
 舞台は整い、役者は揃った。
 ゴールに立ちつくす瑶子の姿を、戒人も仁志貴も見止めた。戒人はギアを一段階あげたかのように、身体を前傾させ、自重をも使って人力車を引きだした。鼻先に戒人の姿が映った仁志貴もかしいだ身体を前方に投げ出し、少しでも前に進むように力を入れる。左足だけで駆ける。ゴールまであと約10メートル。ふたりが歩む人力車の後ろからは通り過ぎた沿道の人たちが後を追い群がっていた。人力車を先頭に大群が連なっていく。誰もがレースの行方を案じている。
 左足の負傷のせいで、左側にかしいでいく戒人。ぶつけた右足が古傷を呼び起こし右側にかしいでいく仁志貴。二台は徐々に接近しついには重なり合い、寄り添って前進していた。二人三脚の状態となり互いに痛めた足が楽になったものの、このままゴールすればあたまひとつぶん先行している戒人の勝利になる。
――負けるのか!?
 仁志貴は打算や、調和を捨て去ってうえで、もはや勝負へのあくなき渇望だけに支配されていた。
 車体をよじり離れようとする仁志貴。戒人も同じ考えだったらしく、返す刀で外側へ車体を向ける。バランスを崩した二台は引き手が跳ね上がり、ふたりは再び地面に叩きつけられる。まわりから悲鳴とも絶叫とも知れない声があがり、一瞬の静寂のあと、ふたりに声援を送るべく柏手が連打される。
 顔をかしめた戒人が跳ね上がった引き手に手を掛けて立ち上がる。それを見て仁志貴のまわりに群がる観衆から、それを教えるように声が上がる。仁志貴もなんとか立ち上がり引き始め、競い合ってゴールをめざす。競っていると思っているのはふたりだけで、まわりから見ている分にはなんとか歩いているにすぎない。まるで劇的なシーンをスーパースローで見ているような状況が、現実に目の前で起こっているみたいなものだ。
『またまた、激突した!! 両者もんどりうってひざまづく。どうなる。どちらが先に立ち上がるのか? これはすごいことになってまいりました。まさにふたりは死闘を演じております!!』
「演じちゃまずいでしょ。演じちゃ」
 MCに冷静に突っ込んでいるのはご多分にもれず恵だった。なににしろ、この盛り上がりを目の当たりにして上機嫌なのは間違いなく、それゆえ口も軽やかだ。