おれは裏口や事務室につれこまれることもなく、無事に席まで案内されてとりあえずホッとした。マリイさんはとって食わないから安心しなさいと言って奥に引っこんでいった、、、 ホントか、、、
薄暗い店内は、酒とタバコの臭いが染み付いていて、これがおとなの世界ってやつなのかと、それだけであたまがクラクラしそうだ。朝比奈はこんなところに通っているから、普段からの行動やしぐさににじみ出てくるんだろうか。
さてボクはお酒飲めないし、なにか頼もうにもいくらかかるかわからず、ボクが払えるような金額なのか心配だし、ボクが入って良いようなお店じゃないし、、、 どうしよう。
「ほらほら、ごちゃごちゃ言ってないで。コーラ出しとくから、それっぽく飲んで座ってなさい」
戻ってきたマリイさんはそう言ってテーブルにコーラを置いた。コーラをそれっぽく飲まなきゃいけないのか、、、 それっぽいって、つまりお酒を飲むみたいにってことだろうな、、、
店内は時間帯もあってか客はまばらだ。それともそんなに流行ってない店なのか。いわゆる場末のキャバレーとかで、いったい朝比奈がなにをしているのかと、ゆがんだ妄想が脹らんでいく、、、 まさかあんなことや、こんなことを、、、
「なに変な妄想してるのよ。まだお店が始まる時間じゃないからね。今からバンドの音合わせをするの。席に座ってるのはホールスタッフで、座ってる場所でそれぞれ音のチェックしてるのよ。だいたいね、高校生にこんな場所で働かせられないでしょ。まあ2年後はわからないけどね」
マリイさんがニヤリと口角をあげた。手塩にかけて育てて、見事に花開けばそこからあとの身入りに期待しているのだろうか。
「エリナちゃんホントに唄が上手なのよ。アタシの知り合いが講師をしているボイトレの教室に通ってたところを紹介してもらったんだけどね。歌声聞いてビックリ、スーっと引き込まれっちゃって、ぜひウチで唄って欲しくってね、バンマスに紹介したの。まさかねえ、まさか彼女が高校生だとは思わなかったわ」
ぼいとれ? ばんます? これまでに聞いたことがない言葉を矢継ぎ早にたたみかけられ、ただでさえ、よくわかっていない状況に置かれているのに、ますます混迷に陥る。ただ、朝比奈のいうところの誰にどう取り入ればいいのかという、実践のひとつの結果がこれなのだとは理解できた。それで高校生の朝比奈がここでできる役割とはなんなんだろう、、、 やっぱり、、、
「だからね、本番のステージの前に楽器とかの音合わせするのよ。歌い手さんは時間にならないと来ないから、エリナちゃんに唄ってもらって、その日に演奏する曲を確認しながらリハーサルするのよ。それがね、このごろじゃステージ歌手より良い声出すからバンマスはどっちがリハかわからないって、冗談交じりに言ってたけど、成人するのを心待ちにしてるし、ホールスタッフもこのごろじゃエリナちゃんの唄聴くのが楽しみみたいでね。ほら来たわ」
ステージの裾から朝比奈がマイクを持って登場した。服装もTシャツとキュロットスカートじゃステージ映えしないからなのか、それっぽいドレスを着ている。照明とかの見栄えを確認する必要もあるのだろう。それでもなんか、、、 色っぽくて、、、 イイ。
「素敵でしょう。あの衣装、わたしのおさがりなんだけど、リハの時間だけだし、わざわざ用意してもらうのもなんだからねえ、エリナちゃんも気にいって着てるからよかったんだけど。こうして見てると、わたしの若いころを思い出すわあ」
それは、マリイさんは若いころは、さぞ美しかったのだろうと言うべきか、朝比奈もウン十年するとマリイさんみたいになってしまうとか言うべきか、、、 どちらにしろマリイさんには失礼な話しだからうなずくだけにしておいた。
朝比奈はピアノの音あわせをしている男の元へ近づき耳元に話し掛け、そうするとピアノの男は軽快にリズムを取りながらも朝比奈との会話を続ける。まるでショウビジネスのワンシーンを見ているようだ、、、 見たことないけど、、、 それにマリイさんのドレスがすこし大きめなのか、前かがみになる朝比奈の胸元が、、、 若いころのマリイさんの体格に感謝せねば、、、
そんな光景を目にすると、場末と感じたこの店もなんだか華やかな場所にみえてくるからおかしなもので、おれなんかがイメージするテレビの刑事モノなんかで出てくるお店が先立ってしまい、世の中や、世界はもっと奥深く、おれの貧困な知識では追い付いていけない、、、 いつ追いつくつのか、、、
ステージ設備も照明器具も、体育館で見る物とは違うし、テーブルの上の小物類から、床の陶器、壁に掛けられた絵画も、普段目にするような安っぽいモノではない、、、 はずだ、、、 雰囲気に呑まれておれは、自分が創り出した創造の中でさまよっているんだ。
朝比奈はピアノにもたれかかって、発声練習をはじめる。その姿がまたカッコ良過ぎ、おれの知らない朝比奈、、、 知らないことだらけだけど、、、 なんだかそれを見せつけられているようで、おれは確実に嫉妬していた、、、 誰に、、、 マリイさんではないのは確かだ。
「ピアノを弾いている人がバンマス。最初はね、ガキの遊び場じゃなねえなんてしぶってたんだけど、まあ実際に声を聞いたら、すぐにお気に入りになったわ。わたしにはわかってたけどね」
バンマスなる人は、大人のおとこって感じで、オールバックにかためた髪に、不精ではない不精ヒゲ。ニヤリと笑うと顔にシワがあらわれ、その一本一本にこれまでの経験がきざみこまれているようで、おとこのおれが見ても良いオトコに見えるから困ったもんだ。
おれがなにひとつ持っていないモノに、朝比奈がうばわれている気がした。ひととの比較が無意味なことだっていわれても、共通の対象物がある限り、それをなしにしては戦えないんだからしかたないじゃないか。
「30分ぐらいで終わるから、エリナちゃんのステージを楽しんでって」
言われなくてもおれはもう、いろんな意味でステージの朝比奈に目が釘付けになっていた。持ってきたマイクをマイクスタンドに取り付けて、一度下を向いてから顔をあげる。髪の毛が左右にわかれ、その中からあらわれた表情は、眼つき、顔つきが変わっていた。おれがいうのもなんだけど、それはプロの姿になってたんじゃないだろうか。まわりにとってはリハーサルなんだろうけど、朝比奈は真剣勝負に臨んでいるようで、おれは鳥肌がたっていた。
朝比奈が合図を出すと、ドラムがリズムを刻み始める。かぶさるようにウッドベースが調子を取る。ピアノが甘く、切なく奏でる。ふだんジャズなんか聞かないおれにも聞き覚えがある曲なので、俗にいうスタンダードってやつなんだろう。この国の人間であるおれでもリズムに乗って、自然とからだ中に鳴動していく。特別な人種の魂にだけ通じるわけではなさそうで、だとすれば演歌も、民謡も、都々逸だって、聴けば彼の国の人たちの心に沁みたりするのだろうか、、、
朝比奈が満足そうな顔立ちで、演奏者達に目を配りったあと、正面を向いて目を閉じる。普段から大人っぽい声ではあるが、それに輪をかけて、人生の侘び寂をも知り尽くしたとも思えるほどの枯れた歌声に、おれは聞き入りつつも、常に次の声を追いかけていた。
一曲、歌い終わると、おれは手を叩いていた。まわりに座っていたひとたちは嘲笑とともにコッチを見て、朝比奈も苦笑いをしている。おれは行き場を失った両手を広げ、昂揚した顔を覆ってから、とってつけたようにコーラを口にした、、、 それっぽく飲むことも忘れて、、、
マリイさんの顔は自慢気たっぷりって感じで、千人にひとりの天才を発掘したのはわたしだといったところか。これで、もし朝比奈がスターにでもなったら、恩師として脚光を浴びたりするのだろうか、、、 下衆なおれはそんな損得勘定をすぐに考えてしまう、、、 それがマリイさんの反感をかったようだ。