「さあ、行くよ。10分ぐらいで着くから」
と、出発する気満々の朝比奈。エンジンがかかったのはいいけれど、これに乗っていくのか、、、 バイト先、、、 行くんだろうな。たしか免許の件はあやふやにされたままで、持っていようが、いよまいが運転するつもりなんだから、こうして外に突っ立っていても暑いだけで、おれは観念して乗り込む。
レバーをグリグリと操作して車を発進させる。乾いたエンジン音がうなりをあげ、セミの鳴き声に対抗して室内を占拠する。チンクはグラウンドを横断して、入ってきた場所から出る、、、 あたりまえ、、、 そうしてまた駐車場に戻ってきた。
あいかわらず公園のこちら側は人っ子一人おらず、白くゆがむ蜃気楼の中で静寂の中にあるって表現したいんだけど、チンクの中は騒音が支配しているから、アンマッチでそんな感慨に耽る状態にない。
傾いてきた太陽が正面から照り付ける。天井が開いててもその暑さと眩しさを解決するには至らず、朝比奈がバイザーをおろしたので、おれもと手を伸ばすが助手席側にそれはなく、空振りした腕の行き場は、そうするつもりだったかのように髪に指を入れかきあげたら、汗の湿り気が指についたのでそのままTシャツでふいてみた。
「ホシノ。さっき、バイト先の亡くなった先輩の彼女さんのこと思い出してたでしょ。ああいう大人の女性ってあこがれる時期か、男子高校生としては」
ええまあ、ありきたりの人間ですんで御多分に漏れず。言い訳するつもりはないけど、それは年下とか同世代と違った、ちょっと背伸びした感じが多分自分的に気持ちよかっただけで、発展性がないこと前提の行為は自己満足の範疇を抜けるはずもなく、これもまたひとつの夏の思い出、、、 ふたつめかな、、、
だったら、少しぐらいマサトに感謝してもよさそうなもんだけど、本人に言うつもりはない。
「ふーん、よかったんじゃない。そういうこともあった夏ってことで」そう言って口をつぐんだ。あれっ? もしかしてこれって「嫉妬じゃないから」はい、スンません。そうっスね、そういうのは、そういう関係になってから発生するイベントで、今の状況ではありえないっスね、、、 おれのほうがなることはあっても、、、
朝比奈が冷静なのはチンクを街中でも軽快に操ってるとこからでもわかる。グラウンドで見せたハードなドライビングではなくとも、走る、曲がる、止まるができている、、、 と思う、、、 おれの評価は単に父親との比較でしかないから、評論家でもないおれの寸評にいかほどの価値もないとしても、乗っていて楽しさは伝わってくる。
それもあるけど、なんだかまわりの視線も強く感じるのは、やっぱり朝比奈がこの春空色のカワイイチンクを運転してるからなんだろうなあ。対向車線のドライバーも、信号待ちで隣に並んだドライバーも、やっぱり朝比奈をひとめ見て、そしてじっくりと二度見する。
そりゃ、となりに乗っているおれとしても鼻高々でありつつも、クルマの運転をオンナの娘にゆだねている自分が情けなく、その均衡のはざまで揺れ動いている。男としての権威をそんなところにしか考えられないのもどうかと、、、
「それが、ある意味、贅沢な悩みではあるのはわかってるんだけどね」
そうか、おれも贅沢な悩みをしてみたいんだけど、レベルが違いすぎて口には出せない。そいつは難しいモンダイだよなと、わかったように言ってもそりゃ同意を得るには至らない。
そりゃ、ひとを外見で判断してはいけないと、小学生の頃から道徳の時間とかに言われてたし、だからって血気盛んなヤロウどもが朝比奈を見て何もせずに放っておくのなら、ビョーキかアッチかのどちらかで、、、 偏見かな、、、
それを見たオンナどもは面白いわけがなく、どちらにしろ関わろうとするか、足を引っ張ろうとするかの動機にはことかかないから、隣のドライバーは、助手席の彼女にはたかれる。
本人の口からは言いづらい話しだし、何を言っても高慢に聞えてしまうから、そうそう口に出せるものでもないとすりゃ、自分の身の内に隠しておくしかない。そいつの納まり場所が膨れ上がりゃ、もう吐き出すしかないわけで。今日の出来事がそのきっかけになったとしてもおかしくなく、そこにおれがたまたまいただけだからしかたない。
いくら朝比奈だって、おれが勝手に朝比奈の立場を決めつけてるだけなんだけど、誰かに拠り所を求めたとしてもとがめられないだろうし、おれがいまできることは受け止めて、受け入れるぐらいのもんで、状況と感情が、朝比奈の態度と言動を緩め、イヌとしての扱いとして命じられたおれは、拒むことなくその役回りを演じている、、、 そうやって人間は、見知らぬ男と女が一緒になって繁殖してきたんだろうなあと覚ってみた。
思い込みなんだ、、、 しょせんは自分都合の勝手な思い込みで、それがうまく回れば良い結果を生むだろうし。勘違いなら悲しい結末が待っているだけで、そう、ただそれだけのことだ。だからおれは取り合えず『うーん』と、いう抽象的な言葉を選んだ。
関心があるとも、ないとも。その先を聞きたいのか、そうでないのか、どちらにでもとれそうな便利なあいづちだった。
朝比奈は、目をかしませておれの方を見ていた。おれがどんなにうまく立ち回ろうとしても、やはり主導権は朝比奈にある。できればもうこれ以上、おれのヤワなハートを傷つけないで欲しいと祈るばかりだ。
「そりゃね、容姿よく生まれてきたことに文句言うつもりはないし、感謝しなけりゃいけないぐらいなんでしょうけど、でもね、だからって、ギラついた目で見られることを容認できるほど出来た人間じゃないし、そこまで従わなきゃならない義務もないって」
おれの視線が、朝比奈の足の先から、うわ向きの胸の先までをなぞったのは一度ではない。おれだって興味がないわけじゃなく、どうやらギラギラしてないことで、それなりの評価を得ているようで、淡白な眼つきで生んでくれた親に文句言うはずもないし、感謝しなきゃいけないのかも、、、 なのか? などとふざけたいたら、朝比奈の冷たい目線が痛かった。
「そりゃあねえ、ホシノがまったくそういう目をしていないとは言えないけど」
あっ、やっぱり気づかれてましたか、、、 ですよね。
「当たり前。オンナはね、オトコの目線がどこ向いてるか、ちゃんとわかってんだから。でもね、ホシノの場合は、そこに陥ることを認めている。認めたうえで陥らない一線を保っている。マンデヴィルのいうところの経済的でない人間像を地でいっている。そうならね、私としても落ち着けるの。そうじゃない部分で接点を作ろうとしてるって伝わるから。 …マンデヴィル。知らない?」
おかげさまで、どこのドイツかオランダかってぐらいなもんで。ああ、オランダ人なの、ああそう、、、 すげえ偶然だな、、、 つまりは、おれは生産的でない人間だって宣言されて、それが朝比奈に安心感を与えているってわけだ。
「うーん、そうねえ、別にけなしてるわけでもないんだけど。でも誉めてるわけでもないから、調子に乗らないように」
多くの言いたい言葉は、まだ、奥にひそまったままだった。それだけ朝比奈の許容量は大きいのか。察するならば、ほうぼうをいきり立たせた男どもの好奇の目にさらされ、今みたいに好奇の目にさらされて、拒めばお高くとまっているだとか、相手によっては暴言を吐かれ、いろんな意味でのはけ口となることを強要されてきたがゆえに達観した境地に至ったんだろうか。
「達観も達観。達観するわよ。なんだかねえ、集団心理ってのが見えちゃうと、どうしても素直に従えないから。一度見えてしまえばもうあとはそれの繰り返しだったから、どうしてあなたたちにはわからないのって問いたいぐらいだった。透明でいられるのは幸せであり、時にまわりにとって迷惑でしかない」
朝比奈はここまで喋ると、おれの方に困ったような笑いを見せてきた。
「同世代なら、まだ共感できるんだけど、特に先生と呼ばれてる人達はひどいものだった。子供を手玉にとったようなしゃべり方をする人達はね。ある意味、集団を煽動することに恍惚を得ているように見えたから、もうどうにも。だからわたしが学校ってものに嫌悪感があるのは、同級生だけのことじゃない」
同意したいところだけど、おれは先生って人物をそんなふうに見たことはない。同じ景色を見たって、見える範囲はひとそれぞれ。それでいい、みんなが同じ景色に溶け込むことがどれだけどれだけ危険なんだって、これまでの歴史が証明しているんだから、、、 すげえまとめかただ、、、