R.R
「いいよ、もう、わかたっから。ひとりでいけるからさあ」
「そうは言ってもなあ、オマエのあんな姿見せられた後じゃ、コッチだって気が気じゃねえだろ」
不破は今までになく大袈裟に思えるほどナイジを心配していた。こそばゆい思いもあるのか、ナイジも余計にぶっきらぼうに対応してしまう。
「そんなこと言われても、オレ、全然覚えてないし。今はこの通り平気だから。わかってるって。医務室行って検査受けてくればいいんでしょ。規則だからってわかってますって。はあー、メンドクセイの」
そこへ、リクオがガレージに飛び込んできた。息を弾ませて、大きく肩を上下させている。不破と話しているナイジを見つけると。
「あっ、いた。ナイジ、大丈夫かオマエ。あんまり遅いからよ、気になって迎えに来たんだけど… 」
リクオの姿を目にした不破は、好都合とばかりにナイジの付き添いを命じる。
「おう、リク。いいとこに来た。オマエ、ナイジを医務室まで連れてってやってくれ、今日2回目だし、お手のものだろ。ホントはオレが同伴したいところだが、どうもそういうわけにいきそうになくてな。頼んだぞ。あれこれ聞いてくるヤツラがいてもな、余計なこと喋るんじゃねえぞ」
「あっ、はい、わかりました。オイ、ナイジ、行くぞ」
リクオはナイジの腕をつかみガレージの外へ引っ張り出した。ナイジは面倒くさそうに身体を反りかえさせて渋々ついて行く。思い出したように不破が呼び止める。
「あーっあ、ナイジ、ちょっと待て。ひとつ聞いておきてえことがある。オマエ、アイツと、ロータスのヤロウともう一度、やりてえよな?」
不破の言葉に、ナイジは何をいまさらとばかりに振り向き、不破の顔を見返す。不破の真意を探るような眼差しが厳しく突き刺さってくる。
「 …だろうな、バカな質問だった。じゃあ、どう戦いたい?」
不破が不敵に笑った。ナイジを試すように。
「オメエなら、オレが何を言いたいかわかるだろ? タイムアタックも、アツくなれるかもしれんが、いまいちまどろっこしいんじゃないか。本当は対面でやりたいんだろ?」
これには側にいたジュンイチの方が驚いた。
「不破さん、そんなこといっても、レギュレーションで決ってることですから。変にナイジに期待を持たせても、実現できないこと言ったって… 」
正論を述べるジュンイチに対して、言うべきことは言っておかなければと、わずかなチャンスに賭けるようにナイジが押してくる。
「率直に言わせてもらって、タイムアタックの戦いで勝負がついても納得できない。以前から、気にはなっていたんだ。やっぱり、やってみてわかった。たぶん、アイツも一緒のはずだ。最速ラップが出るのはタイムアタック方式だけど、どれだけ完璧な走りをしても、結局はひとりっきりだ。闘ってる感触が鈍くって、不完全燃焼を繰り返すだけだ。本当に白黒つけたいと思えば、やっぱり対面でやらなきゃ… 別にアイツとの勝負をここでつけなきゃいけない訳じゃない」
不破にはナイジがそう考えているとは、うすうす感じていた。それを吐き出させ言葉にさせてやらないと、ナイジはひとりで突き進んでしまうだろうという危惧があった。
「まあ、そうくるだろうとは思っていたが。そんな面白そうなレースをヨソでやられてもかなわんし、それを見てみたいと思うのは、多くの人の望むところだろうし、オレも見てみたいと思っている」
ナイジは挑むような目つきになる。
「だったらさ、逆にそれを実現できなきゃ多くの客は失望するだろうな。そうなれば興行としてレースを続けていく価値はないはずだ。不破さんよりそれを深刻に受け止めてるヤツが手ぐすね引いてるぜ。やる側の論理だけじゃ、人を集めたり、興味を持たせたり、感動させたりすることはでないんだよ」
不破は顔をしかめる。そんなことをサラッと言うナイジに気後れするわけにはいかない。
「オメエ、そんなとこまで考えてたのか。今回の件でこんなオレでもそれぐらいはわかるようになったってえのによ。そこまでハラ括ってんならいいだろ。どう転ぶかわからんが、オレにその件あずけとけ。あせって無茶するんじゃねえぞ。わかったな。さあ、医務室行ってこい」
最後は不破の得意のセリフでまとめられ、いいように言葉を吐き出させられたナイジは、先手を打たれたこともあり、よろしく頼むとばかりに素直に頭を下げてリクオと伴に大人しくガレージを出て行く。
「まったく、変わり者つーか、素直じゃねえつーか。自分がやらかしたことの大変さを全然理解しとらんなあ。まあ、俺ら凡人とは感覚がそうまで違うってことか。あっ… 」
不破はそこまで言って、傍らにいるジュンイチには余計だったとそこで言葉を切った。その気持ちを読み取りジュンイチは。
「不破さん、いいですよ、気にしないで下さい。僕だって自分がどれだけの人間かぐらいはわかってますから。今のところ、けしてアチラ側の人間でないのは確かです」
「でもよ、ジュンイチ」
自分はさておき、ジュンイチのことまで凡人扱いして、なんとも、気まずい気分の不破だった。
「走り終えたナイジが言ってたでしょ。コース攻略方を。あれを聞いていて自分でも試してみたいアイデアがでてきました。僕は僕にできるやり方や、不破さんの力を借りて少しでも速くなって見せます。僕にはそれぐらいしかできませんから」
謙遜して言いながらもジュンイチの顔には力強い決意が漲っていた。不破にはそれが焦りのようにも感じた。同年代のライバルに差をつけられたことを認めるのは簡単ではない。
「ナイジだって何もせずに速かったわけじゃないはずです。彼は彼なりのやりかたで速く走る力を手に入れていった。ナイジの話しを聞いていてわかったんです。不要と思えるものをそぎ落とし、実戦とその経験値を分析する中で、コース状況を読み取り、最善を選択できる判断力を身に付けていった。これはすべて彼のやり方で、彼なりの努力の賜物なんですよ。きっと才能とかの符号だけで片付けられるのは本意じゃないと思います」
「ジュンイチ、オマエってヤツは… 」
ジュンイチの態度を前向きにとらえてやらなければならないと不破は、これをいい機会だとして、ジュンイチの持つ潜在能力を引き出し、一皮剥けるように手助けしてやるのも、自分がやらなければならない重要な仕事だと再認識した。
この若いふたりが一人前に成長して、お互いに切磋琢磨してこのサーキットを盛り上げてくれればと、自分にも最後の大仕事として変な功名心まででてくる。
そこに自分の立場の復権も含めて。膨らむ期待感に満足している不破に、早くも冷徹な一撃が飛び込んできた。もちろん出臼だった。
「不破さん、話しがあります。緊急のGM会議を開きますので、5分後会議室に来てください」
苦渋に満ち溢れた表情を露わにし、こめかみを引きつらせて、唐突に不破の視界に現われた。
遅かれ早かれ顔を出すと、ある程度予想はしていたとはいえ、このタイミングでの登場に、言葉の準備が出来ていない不破であり、鼻を明かしてやったという気持ちと共に、言いようのない不安も同居していたために、動揺を悟られまいと、きわめて冷静に対応することだけを考える。
もし、ここで引いていては、これまでと同じ蚊帳の外の扱いを受けるだけで、期待をしていなかったナイジが自分を奮い立たせてくれたと思えば、それに応えられないようでは、幸運は二度と自分の人生に訪れはしないだろうと、背水の構えで堂々と出臼の前に立ち上がった。
「わかった、コッチも言いてえコトがある。方法がひとつだとは思わんことだ」
思わぬ強気な発言を受け、顔を紅潮させ口を開きかけた出臼は、開いた口からは何も言葉は出ず、きびすを返すとその場から立ち去っていく。
不破のいつにない強気な態度を見たジュンイチは心配になりながらも、これもナイジという現象を手札に納めた心理的優位の範疇なのかと感じ取った。
「さあてと、えれえこと言っちまったかな?」
膝を擦り、もう一度席に腰を下ろした不破は、口をついて出た言葉に反して何やら楽しげな様子だった。
「おいおい、通してくれよ。ダメだよ、医務室行かなきゃならないんだから。ほら、どいてどいて」
不破の予想通り、ガレージ裏の通路は甲洲ツアーズの新星を一目見ようと、黒山の人だかりとなっていた。声を掛けてくるものも少なくなく、映画スターの警備員よろしく人垣を掻き分け歩を進めるリクオ。
好奇の目で見てくる連中を目にしたナイジは、これまでにも経験してきた暑苦しさを感じていた。レース前までは振り返られもしなかった自分が、今や我先に、どんな男か確認しようとこちらを見ている。そんな物見遊山な気分で集まっている、他のツアーズのヤツラの、憧れと、驚きと、妬みが混じったような顔が、いつもと違って見えてくる。
――こりゃ、珍獣にでもなった気分だな――
人込みを通り抜けオフィス側の通路に入る扉を閉じると、ようやく一息つくことができた。ここからは医務室に用事のあるものしか入れないようになっており、リクオのように仮病でもつかえばそのまま入ってこれても、さすがにそこまでしてついてくる者はいなかった。
「見たかナイジ、あいつらの顔。現金なもんだぜ、いきなり見る目が変わってやがる。オレなんか、昔からオマエの実力知ってたから、ようやくそのチカラを表舞台に出してくれたって嬉しくてしょうがないのに。でもさ、オマエ、スゲエよ。いや、オレ鳥肌立っちゃったもん。スタンドもすごかったぞ、帰りかけたヤツラが戻ってきて、みんなして食い入るように見てさ。いやー惜しかったな、もう少しだったのに。つーか、トラブルなかったら、いったい何秒出てたんだってそれが気になって仕方ないよ」
いまや時の人となったナイジに独占インタビューできていることもあり、興奮して捲くし立てるリクオだったが、ナイジはその話しに応える気が無いのか、それとも、もう触れられたくない過去のことなのか、平静のまま話をすりかえる。
「リクさん。何で2回目なの? 医務室」
「はああ? なんだよ、それ。オマエがオレの代わりに出るって言うから、仮病つかって診断書取ってきたんだろ。不破さんがオレにそう言ってたの聞いてたろ。あーあ、やんなっちゃうな、オレの決死の努力を忘れるなんざあ。いやいや、そんなことよりさ… 」
話しを戻そうとするリクオにかぶさるナイジは。
「ハハ、そうだったっけ? しかし、リクさんの仮病も見抜けないような医者ってどうなんだよ。ちゃんと診断できるのか? オレ大丈夫かな」
「なんだよ、そっちの心配かよ。オレをほめろ、せめて感謝しろ。まあ、その話しには、ちょっとした幸運があってさ」
ここで、リクオの表情が神妙になり雰囲気が変わった。ナイジの話しの流れに乗せられるうちに、マリの関わりを説明をしなければならないと思い出したのだ。
いい話しではなさそうなリクオの前置でも、ナイジは聞かないわけにもいかない。
「ナイジ、オマエ、怒らないでオレの話し聞けよ、ああ、怒るっていってもオレにじゃないぞ。オレになら平気で怒るしな。いやいや、そんなことはどうでもいい。まあそのなんつーか、マリ… ちゃんのことだ」
取り急ぎ、マリがここの医務室で働いていること、スタンドから見たナイジの走りに魅せられて、近づきたい一心で色々と聞いてまわったり、待ち合わせの駐車場に顔を出したいきさつを説明し、そして最後に2000円の件で、あの男とケリをつけたことを付け加えた。
なんとかナイジがマリのことを悪く思わないように、リクオにしては精一杯気をつかった説明だった。
ナイジはリクオの話しを押し黙ったまま聞いていた。特に感情の変化を見せるわけでもなく、不快感を表すこともなく、無表情のままだったため、リクオにはナイジがどう考えているのか計り知れない。
ナイジはマリが自分にどうして興味を持ったのかを人づたいに聞くのは、照れくさくてそこには触れたくはない。あとでじっくりとマリから訊き出してやろうかと脇に置く。
それよりマリは自分のあずかり知らないうち、馬庭の画策の中に組み込まれていたことを、まるで自分もその一端を担っていたようにナイジに思われることを怖れていた。
それについては自分で収束させるしかなく、くすぶる不安感から開放してやりたいと、ナイジはあえて突き放したつもりだった。そうした複雑な思いをリクオに語るわけにもいかず、心情を悟られないように口を閉ざすしかなかった。
「なんだよ、黙っちゃって、これからマリちゃんに会うっていうのに。よせよ、これがきっかけでなんてことになったらオレ、もう目も当てられねえよ」
通路を先に進むナイジの目線の先には、医務室のドアの前で、うつ伏せがちに立っているマリがいた。リクオはナイジの肩を叩き送り出し、ここで引き返す。ここからはふたりが話し合うべきで、自分が出る幕ではない。
「 …ナイジ」
なんとか声を掛けるマリ。ナイジの、いままでと変わらない顔がそこにあった。
「マリ。なんか久しぶりだ。数時間だったけど、なんか途方もなく長い間、顔を見てなかったような、ずいぶん遠くへ行ってたような気がする」
マリは何と応えたらいいのかわからなかった。たぶん優先順位としてしては正しいと思える言葉を、ひとつづつ口にしていく。
「えっ? ええ、そうね、そうかもね。ナイジ、カラダ大丈夫だった? 惜しかったね、もう少しだったけど。でも、すごく良かったよ。とても速かった。 …あのね、そのう、アタシ、いろいろとアナタに言わなくちゃいけないことが… 」
ナイジはマリを咎めるつもりはないのに、心苦しそうなマリを見るのは辛かった。
「白衣、似合ってるな。なかなかいいよ、先生って感じだ」
「……」
マリはナイジが自分のために、この話しを終わらせようとしているのは理解できても、それでは楽な方へ逃げてしまうと思い、けして上手く言える自信はないとしても、何とか言葉にしてナイジに伝えたかった。それをあえて不要なことだと言わんばかりにナイジはマリの先手を取った。
「あのさ、いいじゃん、マリは自分の望みを叶えようと行動しただけだろ。やましいことしたわけでも、ダマそうとしてたわけでもない、利用されたように感じてしまったことで、自分が許せなかったなら、どうやら、自分で決着つけたみたいだし。オレはいいよ別に、そんなの気にならないし」
そして、強くマリの瞳を見て言い放った。
「オレはさ、今と、これからのマリしにしか興味ないからさあ、そんなんならいいだろ? マリもさ、オレのこれからを見ててくれよ。いままで、ロクな生き方してないから、これまでの悪事はとても口にできない。まあ、一緒にされても困るだろうけど。ってことで、この件はおしまいにしようぜ」
マリはナイジに身体をあずけた。
「 …ありがと。ナイジ」
ナイジもここはそうするべきだと手を回そうとすると、そこへ医務室から大きな声が響いてきたので慌てて手を引っ込める。
「おーい、マリィーッ! 患者はまだこんのか。ハライタの次は、事故ってケガしたマヌケ野郎とは、どうせロクでもないヘタくそだろう。もう帰るところだったのに、まったく、今日は厄日かいな。だいたい… 」
途中から愚痴に変わっていった。
「あら、ドクの機嫌が悪そうだわ。早く行きましょ。ケガしたおマヌケさん」
行き所の無くなったナイジの両手はマリの背中から空を舞っていく。
「へい、へい、ロクな言われ方しねよなあ。まあ、そっちの方が落ち着くけどさ。今日はやけに、みんな、おだてるからさ、ちょっと居心地悪かったんだ」
ナイジが自ら成し得たことが、どれほどのものであっても意に関していないのは、いかに過去において成果があろうとも、次への何の保証にもならないことを知っているからなのだろうか。そうして、マリにようやく笑顔がもどってきた。