以前、「自分軸」について
お話ししたときに、
ある人が自分の体の中心線上に
棒のような真っすぐなラインを
イメージして、それを自分軸だと
捉えていて、
いえ、私がお伝えしている自分軸は
そういうものではないんです~(^^;
ということを言ったことがありました。
ここでお伝えしているのは、
フィジカルなレベルでの軸のことではなく、
「在り方としての軸」なんですね。
ただ、両者は全くの無関係という
わけでもありません。
在り方の軸が取れていなければ、
肉体の軸にも不安定さとして表れるので
確かにつながってはいます。
けれども、
いくら肉体に棒のような中心線を
イメージしたところで、それだけでは
本当の軸を取ることはできないのです。
そのような軸は観念で作り上げたものであり
実際の自分という存在の領域とは別の、
マインドの領域にあります。
だから、
いくらそれを重ねてみたところで
それで自分というこの存在を支えることは
できないし、中心たりえないのです。
軸や中心は、マインドの領域(観念)では
ありえない、ということですね。
では、在り方の軸は、
いかにして捉えたらいいのか。
まず、「軸」というと、多くの人は
何か真っすぐな柱のようなものを
イメージしがちなために、
そういう形状のものを
どこか精神的な領域に探そうと
してしまいます。
けれどそれは、
そういうものではないのですね。
基盤となるのは、実は、
自分が何をどう感じ、認識しているか、
それを自分がどう受け止めているか
なのです。
ここが心許ないと、
自分の存在自体が揺らいで、
ひどく不確かな感じになります。
どういうことかというと、
自分で自身が感じたこと、認識を疑う、
否定する、ということを続けていると、
自分の生きる世界が構築できないのです。
たとえば、
この人は私の夫(妻)である。
この子は自分の子供である。
この人は、私の親である。
この人は、私の友人である。
ということを、疑ってみましょうか。
この人は私の夫(妻)ではないかもしれない。
この子は自分の子供ではないかもしれない。
この人は、私の親ではないかもしれない。
この人は、私の友人ではないかもしれない。
どうですか?
途端に、自分の生きている現実の
足元が不安定になった感じが
しませんか?
同じように、感情面でも
私は嬉しくないのかもしれない。
悲しくないのかもしれない。
起こってはいないのかもしれない。
これをやりたくないのかもしれない。
などなど、様々な言葉で試してみてください。
もう自分という存在の輪郭が
わけがわからなくなるのでは
ないでしょうか。
そうなるととても困るので、
自分の感覚や認識を疑い、否定する人は、
別の何かを外から持ってきて、
自分の世界を構築するようになります。
ねぇ、これってどう思う?
これは、○○なのかな?
あなただったらどうする?
しきりとこんな風に聞いてくる人が
たまにいますが、
何かしら自分の感じているものを
ベースにそれを聞いてくる人と、
それがまったくないところから
こう聞いてくる人だと、
言葉面は一緒でも、聞かれた側の印象は
大きく違うと思います。
前者の場合は対等な意見交換だったり
自分の中にある、言葉にできない何かを
表すためのヒントを得る会話になりますが、
後者の場合だと、ひどく依存的な、
聞かれた側の言葉をそっくり飲み込んで
その人の中にインストールしてしまいそうな
危うさと重さがあります。
根本的に自分を信用できていない人は、
どうしても自分の世界を構築するための
基準を外に探さないといけないため、
基準にできそうな何かを
いつも探しています。
そして、しばしばその基準を
これがダメならあれ、あれがダメならこっち
といった具合に渡り歩くのです。
でも、本来その基準は自分自身に
求めるべきであり、それができないうちは、
どうやったってうまくはいかないのです。
であるならば、
今現在信用に足りない自分との関係性を
いかに取り戻すか、ということが
カギになってきます。
最も信用とは遠いところにいて、
見向きもしなかった自分に
向き合うわけですね。
これが、自分軸修復の方向性です。
修復と言ったのは、本来それは、
既に自分の中にあったはずのもの
だからです。
故に、新たに構築するものではなく、
取り戻すものなんですね。
ではなぜ、失ったのか。
そこを掘り下げていきます。
人それぞれ、ストーリーがあるでしょう。
それを辿るのは、相当に恐ろしく、
勇気の要ることかもしれません。
けれど、そこを避けていくら自分軸だと
スローガンを掲げて叫んでいても、
前進はないでしょう。
ただ、もしこれができたなら、
その人は失った自分を取り戻し、
誰かや何かに依存しながら生きてきた
人生を転換することができます。
自分の感じていることを、
自分の言葉で発信し、自分の思うところを
力強く生きていく。
そういう輝きを取り戻すのです。
このように在るとき、その人は既に、
自分軸と中心感覚を獲得しているでしょう。
お話ししたときに、
ある人が自分の体の中心線上に
棒のような真っすぐなラインを
イメージして、それを自分軸だと
捉えていて、
いえ、私がお伝えしている自分軸は
そういうものではないんです~(^^;
ということを言ったことがありました。
ここでお伝えしているのは、
フィジカルなレベルでの軸のことではなく、
「在り方としての軸」なんですね。
ただ、両者は全くの無関係という
わけでもありません。
在り方の軸が取れていなければ、
肉体の軸にも不安定さとして表れるので
確かにつながってはいます。
けれども、
いくら肉体に棒のような中心線を
イメージしたところで、それだけでは
本当の軸を取ることはできないのです。
そのような軸は観念で作り上げたものであり
実際の自分という存在の領域とは別の、
マインドの領域にあります。
だから、
いくらそれを重ねてみたところで
それで自分というこの存在を支えることは
できないし、中心たりえないのです。
軸や中心は、マインドの領域(観念)では
ありえない、ということですね。
では、在り方の軸は、
いかにして捉えたらいいのか。
まず、「軸」というと、多くの人は
何か真っすぐな柱のようなものを
イメージしがちなために、
そういう形状のものを
どこか精神的な領域に探そうと
してしまいます。
けれどそれは、
そういうものではないのですね。
基盤となるのは、実は、
自分が何をどう感じ、認識しているか、
それを自分がどう受け止めているか
なのです。
ここが心許ないと、
自分の存在自体が揺らいで、
ひどく不確かな感じになります。
どういうことかというと、
自分で自身が感じたこと、認識を疑う、
否定する、ということを続けていると、
自分の生きる世界が構築できないのです。
たとえば、
この人は私の夫(妻)である。
この子は自分の子供である。
この人は、私の親である。
この人は、私の友人である。
ということを、疑ってみましょうか。
この人は私の夫(妻)ではないかもしれない。
この子は自分の子供ではないかもしれない。
この人は、私の親ではないかもしれない。
この人は、私の友人ではないかもしれない。
どうですか?
途端に、自分の生きている現実の
足元が不安定になった感じが
しませんか?
同じように、感情面でも
私は嬉しくないのかもしれない。
悲しくないのかもしれない。
起こってはいないのかもしれない。
これをやりたくないのかもしれない。
などなど、様々な言葉で試してみてください。
もう自分という存在の輪郭が
わけがわからなくなるのでは
ないでしょうか。
そうなるととても困るので、
自分の感覚や認識を疑い、否定する人は、
別の何かを外から持ってきて、
自分の世界を構築するようになります。
ねぇ、これってどう思う?
これは、○○なのかな?
あなただったらどうする?
しきりとこんな風に聞いてくる人が
たまにいますが、
何かしら自分の感じているものを
ベースにそれを聞いてくる人と、
それがまったくないところから
こう聞いてくる人だと、
言葉面は一緒でも、聞かれた側の印象は
大きく違うと思います。
前者の場合は対等な意見交換だったり
自分の中にある、言葉にできない何かを
表すためのヒントを得る会話になりますが、
後者の場合だと、ひどく依存的な、
聞かれた側の言葉をそっくり飲み込んで
その人の中にインストールしてしまいそうな
危うさと重さがあります。
根本的に自分を信用できていない人は、
どうしても自分の世界を構築するための
基準を外に探さないといけないため、
基準にできそうな何かを
いつも探しています。
そして、しばしばその基準を
これがダメならあれ、あれがダメならこっち
といった具合に渡り歩くのです。
でも、本来その基準は自分自身に
求めるべきであり、それができないうちは、
どうやったってうまくはいかないのです。
であるならば、
今現在信用に足りない自分との関係性を
いかに取り戻すか、ということが
カギになってきます。
最も信用とは遠いところにいて、
見向きもしなかった自分に
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修復と言ったのは、本来それは、
既に自分の中にあったはずのもの
だからです。
故に、新たに構築するものではなく、
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