誰でも、人生で1度や2度ならず
自分を見失ってしまうことが
あると思います。
自分が今どんな気持ちなのか、
何が好きで何が嫌いなのか、
どんなことをしたいのか、
本当だったら
当たり前に分かるはずのことが
さっぱりわからなくなって、
途方に暮れている。
自分を見失ってしまうことが
あると思います。
自分が今どんな気持ちなのか、
何が好きで何が嫌いなのか、
どんなことをしたいのか、
本当だったら
当たり前に分かるはずのことが
さっぱりわからなくなって、
途方に暮れている。
そんな状態です。
そもそも、
どうしてそういう状態になってしまうのか、
というと、自分を見失っている時は、
多分、自分をとても否定している時
なんじゃないかな、と思います。
こんな自分ではいけない、と、
自分のある部分を否定して無いことにする。
良い子、良い人の部分だけを見せて
生きようとする。
そんな風に、
あまりにも自分の様々なところを
切り貼りして継ぎはぎにしているから
全体性を失って、
もう自分がどんな存在だったか、
訳が分からなくなってしまうのかな
と思います。
そうまでして良い人でいようとするのは、
愛されないとか、受け入れてもらえない、
そうなると、
一人ぼっちになってしまう、
孤独だ、淋しい、それは耐え難い
という恐怖と混乱の思いを
心のどこかに抱え込んでいる
のかもしれません。
不完全なこの自分を、
周囲は決して受け入れないだろうし、
愛さないだろう、というこのイメージは、
実は、自分が自身に向ける眼差し
そのものです。
自分の自身に対する態度を
周囲に投影して見て、
それに怯えているだけなんですね。
だから、
自分が自身を在るがままに愛すれば、
鏡である周囲も、自分を在るがままに
愛してくれるイメージに変わりますし、
現実もそうなっていきます。
けれど、この自分をどうやって
愛したら良いのか、受け入れられるのか
わからなくなっている方もあります。
どうやって、と問う人は例外なく
頭でそれをやろうとしています。
頭で愛そうとし、受け入れようとすると、
本来それは頭で出来るようなこと
ではないので、わからなくなってしまうんですね。
たとえば、
赤ちゃんや子猫や子犬を見て
思わず微笑んだり可愛いと感じるのは、
理屈で理解しているからでしょうか?
大好きな推しのアーティストに
うっとりするのは、理屈でしょうか?
もちろん、そのアーティストの
素晴らしさを色々と分析していくことは
できるでしょうが、
どれだけその分析を積み上げても、
その結果から大好きでうっとりする
気持ちにはならないでしょう。
常に自分を監視、矯正しようとすることから
穏やかに離れてみましょう。
それを止めなければ!と
頑張ってしまうと、余計に自分を
監視・矯正するループに入ってしまうので、
良くなろうと努力することを
いったんやめてみるということを
してみたらどうかな、と思います。
努力を止めたら、
ダメな自分になってしまいそうで
恐いかもしれないけれど、
怯える気持ちのカケラ君を
しっかり抱きしめてあげて、
自分から離れずに、
自分とともにいてあげてください。
本当はね、そんなに頑張らなくても
愛されているんですよ。
でも、頑張ってしまう人は、
自分は愛されない、とものすごく
強い信念で揺るぎなくそう思っています。
誰かがその人を愛してると伝えても、
そんなの嘘だ!と絶対に認めようとしません。
愛されたくて頑張っているのに、
愛されていることを認めず、
受け入れないのは悲劇でしょうか、
喜劇でしょうか。
愛されることが恐くても良いから、
愛を受け入れてみては
いかがでしょう。
恐いまま、四の五の言わずに
愛されてみる。
ダメで元々。
拒み続けている今だって、
苦しさは大して違いはないのでは?
今までとは違う選択ができたなら、
もう、今までのあなたとは違う道を
歩み始めています。
本当に欲しいものを求めましょう。
そして、欲しいものを得るための行動に
真っすぐでありましょう。
そこで逃げるから、
こじれてしまうんですね。
あなたが幸せでありますように。
そもそも、
どうしてそういう状態になってしまうのか、
というと、自分を見失っている時は、
多分、自分をとても否定している時
なんじゃないかな、と思います。
こんな自分ではいけない、と、
自分のある部分を否定して無いことにする。
良い子、良い人の部分だけを見せて
生きようとする。
そんな風に、
あまりにも自分の様々なところを
切り貼りして継ぎはぎにしているから
全体性を失って、
もう自分がどんな存在だったか、
訳が分からなくなってしまうのかな
と思います。
そうまでして良い人でいようとするのは、
愛されないとか、受け入れてもらえない、
そうなると、
一人ぼっちになってしまう、
孤独だ、淋しい、それは耐え難い
という恐怖と混乱の思いを
心のどこかに抱え込んでいる
のかもしれません。
不完全なこの自分を、
周囲は決して受け入れないだろうし、
愛さないだろう、というこのイメージは、
実は、自分が自身に向ける眼差し
そのものです。
自分の自身に対する態度を
周囲に投影して見て、
それに怯えているだけなんですね。
だから、
自分が自身を在るがままに愛すれば、
鏡である周囲も、自分を在るがままに
愛してくれるイメージに変わりますし、
現実もそうなっていきます。
けれど、この自分をどうやって
愛したら良いのか、受け入れられるのか
わからなくなっている方もあります。
どうやって、と問う人は例外なく
頭でそれをやろうとしています。
頭で愛そうとし、受け入れようとすると、
本来それは頭で出来るようなこと
ではないので、わからなくなってしまうんですね。
たとえば、
赤ちゃんや子猫や子犬を見て
思わず微笑んだり可愛いと感じるのは、
理屈で理解しているからでしょうか?
大好きな推しのアーティストに
うっとりするのは、理屈でしょうか?
もちろん、そのアーティストの
素晴らしさを色々と分析していくことは
できるでしょうが、
どれだけその分析を積み上げても、
その結果から大好きでうっとりする
気持ちにはならないでしょう。
常に自分を監視、矯正しようとすることから
穏やかに離れてみましょう。
それを止めなければ!と
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監視・矯正するループに入ってしまうので、
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2024年
2月24日(土)17:00~20:00
3月25日(月)19:00~22:00
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