私のお伝えしている
感情解放ワークでは、
後悔や自責の念は逃避である
とお伝えしています。
それらをすることで、
今この瞬間に向き合うことから
過去に逃げていて、
この瞬間に差し出されている
耐え難い恐れや痛み、焦燥感などを
紛らわせているからです。
ためしに、
後悔や自分責めをしているときに、
それらを止めて、目の前の現実に
向き合ってみましょう。
すると、
居ても立っても居られないくらい、
心がざわついて、居心地が悪く、
辛いでしょう。
逃げているのは、
その感情、その感覚なんですね。
逃げ続ける限りは、
それらはどこかでずっと、
燻り続けます。
だから、セッションでは、
そういう思いが湧いてきたときは、
逃げている元の感情や感覚を
お迎えに行くように誘導します。
そんなのは嫌だ!布団被って寝る!
というのなら、それも否定はしませんが、
自分が何を選択しているのか、
明確に認識していることは大事かな、
と思います。
過去を後悔することで、
今が良くなるのなら、
いくらでもすれば良いと思いますが、
そうはならないですよね。
過去の後悔に囚われる人は、
自分の言動の結果を引き受けることを
拒否することで、今を生きることが
できなくなります。
今現在、差し出されているものが
受け入れ難いので、そうなると
この現実からマインドの世界に
逃げ込むしかなくなるわけです。
この状態は、たとえて言うと
現場監督が現場を放棄して
家に帰ってテレビでも見ている
ようなもので、
これでは、現場に適切に対処することは
到底できませんよね。
本人が逃げている間も、
時は刻々と過ぎていき、待ってはくれませんから
状況はより深刻に、こじれていくことも
あるでしょう。
自分の選択の結果が
気に入ろうと気に入るまいと、
結果は結果。人生の一部です。
その結果には、
それまでの自分の生きてきた歩みの
積み重ねが表れているでしょう。
たった一回の選択を間違った
というだけのことではないはずです。
それが気に入らないのなら、
自身のこれまでの在り様の全てを
振り返り、見直す必要がある
のではないでしょうか。
そして、どこをどう見直せば良いのか
ということは、その結果を精査、
総括することで自ずと見えてきます。
受け入れ難い現実に対峙することは
苦しいことでしょうが、
軌道修正は早ければ早いほど、
傷は小さくて済みます。
後回しにするほどに、
気の遠くなるほど正規の軌道から
遠く外れ、修正にもエネルギーが
必要になります。
だから、
その瞬間に、自分にできることは
最善を尽くしてやった方が良いでしょう。
たとえそれが結果的に不十分だったとしても、
全くスルーしたときと、あの時の自分には
それが精一杯だった、と言えるのとでは
自分に対する信頼度も違ってきますよね。
やれることはやったうえで、
なおかつ足りなかったのであれば、
当時の自分にはまだ見えなかった
扉があったのでしょう。
そうしたら、次はその扉を
如何にしたら見つけられ、そして
開けられる自分になるのか、
が過去の自分を越えるための
命題になります。
そのように意識を向けられたら、
その人は自分自身の可能性を汲み上げる
方向に歩みを進め始めています。
後悔には、ある種、
自分の可能性を出し切らなかった
後ろめたさがどこかにあるのかも
しれないな、とも思いました。
人生は選択の連続ですが、
1つの決断をすれば、別の可能性は
消えてきます。
その消えていく可能性が惜しくて
決断ができない人がいますが、
後悔しないくらいに自分自身を
あらゆる方面から突き詰めて知る努力
というのも大事なんじゃないでしょうか。
決断できない時間が悪いというのではなく、
深く深く自分に対峙し、知るための
有意義な時間に熟成させていけば
良いのではないかな、と思います。
人生は、思うほど長くはありません。
ただの現実逃避で悶々と堂々巡りをする
時間にすることで、満足できるのかどうか。
自分次第ですね。
感情解放ワークでは、
後悔や自責の念は逃避である
とお伝えしています。
それらをすることで、
今この瞬間に向き合うことから
過去に逃げていて、
この瞬間に差し出されている
耐え難い恐れや痛み、焦燥感などを
紛らわせているからです。
ためしに、
後悔や自分責めをしているときに、
それらを止めて、目の前の現実に
向き合ってみましょう。
すると、
居ても立っても居られないくらい、
心がざわついて、居心地が悪く、
辛いでしょう。
逃げているのは、
その感情、その感覚なんですね。
逃げ続ける限りは、
それらはどこかでずっと、
燻り続けます。
だから、セッションでは、
そういう思いが湧いてきたときは、
逃げている元の感情や感覚を
お迎えに行くように誘導します。
そんなのは嫌だ!布団被って寝る!
というのなら、それも否定はしませんが、
自分が何を選択しているのか、
明確に認識していることは大事かな、
と思います。
過去を後悔することで、
今が良くなるのなら、
いくらでもすれば良いと思いますが、
そうはならないですよね。
過去の後悔に囚われる人は、
自分の言動の結果を引き受けることを
拒否することで、今を生きることが
できなくなります。
今現在、差し出されているものが
受け入れ難いので、そうなると
この現実からマインドの世界に
逃げ込むしかなくなるわけです。
この状態は、たとえて言うと
現場監督が現場を放棄して
家に帰ってテレビでも見ている
ようなもので、
これでは、現場に適切に対処することは
到底できませんよね。
本人が逃げている間も、
時は刻々と過ぎていき、待ってはくれませんから
状況はより深刻に、こじれていくことも
あるでしょう。
自分の選択の結果が
気に入ろうと気に入るまいと、
結果は結果。人生の一部です。
その結果には、
それまでの自分の生きてきた歩みの
積み重ねが表れているでしょう。
たった一回の選択を間違った
というだけのことではないはずです。
それが気に入らないのなら、
自身のこれまでの在り様の全てを
振り返り、見直す必要がある
のではないでしょうか。
そして、どこをどう見直せば良いのか
ということは、その結果を精査、
総括することで自ずと見えてきます。
受け入れ難い現実に対峙することは
苦しいことでしょうが、
軌道修正は早ければ早いほど、
傷は小さくて済みます。
後回しにするほどに、
気の遠くなるほど正規の軌道から
遠く外れ、修正にもエネルギーが
必要になります。
だから、
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最善を尽くしてやった方が良いでしょう。
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【お知らせ】*********
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●命の源につながる誘導瞑想
●満月のオンライン瞑想会
2023年
10月29日(日) 17:00~20:00
11月27日(月) 19:00~22:00
12月27日(水) 19:00~22:00
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