しろいはね くろいはね

感情解放、ヒーリング、意識の目覚めをキーワードに日々の気づきを綴っていきます

いつ終わるとも知れない苦しみの中で

2017年08月06日 07時00分00秒 | 日記

昨日は特別講座の第2弾「運気反転のアイテムとワーク」でした。
満員御礼でその関心の高さから、みなさん熱心に聞き入っていらっしゃいました。

早速講座の中でパワーストーンをお配りし、
チューニングとプログラミングをして身に着けていただいたのですが、
その瞬間にサロンの場のエネルギーがさっと変わったのを感じました。

実際身に着けた方は、身体がポカポカするなどの体感覚の変化を感じられたり
何も感じなかった方もいらっしゃったのですが、これだけの人数の方が一斉にこれを
身に付けたときの変化を間近で見たのは私も初めてだったので、
やはりすごい影響力を持っているのだな、と感じました。

身に着け始めて、実際に効果を実感されるのはしばらくしてから
かもしれませんが、是非ご感想、ご報告などいただければと思います。

この講座は24日(木)にもう一度行いますが、
こちらはまだ少しお席がございますので、
興味のある方はぜひ、こちらからお申込みくださいませ。

そして、15日の浄化法の特別講座①は満席となりましたので、
募集を締め切ります。

第1回に参加された方も、とても効果を実感され、
たくさんのご感想をいただきました。
ご感想はこちらからご覧になれます。

15日に参加される方も、どうぞ楽しみになさっていてくださいね!

さて。私はサロンで日々、様々な方にお会いしますが、
一言二言のヒントをお伝えして、すぐにピン!ときて実践され、
どんどん良くなっていかれる方もあれば、

じっくり少しずつ、情報を消化して自分のものとされて行かれる方、
あるいは、苦しみながらも何年も同じところをグルグルしてしまう方など、
様々です。

私も何とかしてみなさんに良くなってほしいという思いがあるので、
自分にできることは最善を尽くしますが、それでも頑として
変化していかない方もあるのは確かです。

良くなっていく方となかなかそうならない方、
同じように同じことをお伝えしているのに、
一体何が違うのか。

ここでお断りしておきますが、「良くなっていく」というのは
私目線で、「良い」とか「悪い」とかいうことではなく、
その方ご自身の分離からくる苦しみが晴れ、ご自身の中心に帰っていく
在り方に近づいて行くというほどの意味合いです。

苦しんでいる方は、例外なく自分自身と和解できず、
あからさまに自分を信じないという分離の態度が見られます。

どんなに抑圧している「感情のカケラ君」の声を聞いても、
絶対に受け入ずに不信の態度を貫きます。

頭では、カケラ君を受け入れた方が良いらしいことは理解しているので、
頑なな拒絶をどうにかしてねじ伏せて、「渋々自分を愛そう」と
努力します。

けれど、「渋々自分を愛する」なんてことは不可能かつナンセンスです。
愛は無条件なのに、無理やり愛そうとすること自体、別の動機が働いています。

こうした葛藤の中で莫大なエネルギーを毎瞬、消費しつつ、
ヘトヘトになってしまうのです。

カケラ君を拒絶する時、多分その目には「コイツは私を不幸にするものだ」
という強固な思い込みのフィルターがかかっています。

実際、カケラ君とまっさらな状態で対話すると、
それは自分が思い込んでいたようなものではなく、
危険でも何でもないことが分かるはずです。

けれど、「いや、騙されている!絶対コイツは危険だ!」と
色眼鏡を外そうとしないんですね。

カケラ君は、「在るがままの僕を見てよ。僕はそんなんじゃないよ!」
って悲しく叫んでいるのですが、そんな叫びを聞く耳を持たないのです。

こうした人の現実では、誰かから思い込みで良くないレッテルを貼られて
辛い思いをしたというような出来事が必ず起こっています。

鏡の法則を通して、自分のやっていることを、まったく同じように
誰かからされるという現実を引き寄せてしまうからです。

私自身、分かっているのにどうしてもうまくできなくて
とても苦しい思いをした時期が何度もあるので、
その辛さは、良く分かります。

本当に一生懸命努力をしているのに、
全く実にならないというのは、胸が引き裂かれるほど
辛いものです。

けれど、その在り方の何かが違っているのです。
気づいて修正しなければ、何も変わりません。

全て自分が作り出している苦しさであり、現実なのですから。

人は、そんなどうにもならない苦しみの中でしか、
本質を求めないものだと、しばしば思うことがあります。

楽しく、何の問題もなく過ごしているときに、在り方を修正したりは
なかなかしないものでしょう。

どうにもならないとき、いつ終わるとも知れない苦しみの中で、
私は必死で祈っていました。

無数のネガティブな思考の中で、わずかに助けを求めたときもありましたし、
見ることも触れることもできないと思っていた神に、今日この日、この瞬間の
導きを願ったときもありました。

振り返ってみれば、叶わなかったと思っていた願いもたくさんあったけれど、
今の私は最高最善のところにいる、と思えます。

随分前に、瞑想をしていた時だったか、ふと、
「神は私の魂がしてきたすべての祈りを、たとえ私が忘れた祈りであってさえ、
一言一句忘れることなく覚えておいでだ」
という確信がインスピレーションでやってきたことがあります。

祈りは、確かに聞かれているんですね。

今週の無料遠隔ヒーリングのテーマにも「祈り」が含まれていました。

自分を超えた大いなるものに意識を向け、対話していくことを、
ぜひご自身の在り方の中に取り入れてみて下さい。

きっとそれが、自身の限界を超えていく、一つのきっかけとなり、
また人生を大きく変化させていく変容の入り口となるでしょう。

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