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感情解放、ヒーリング、意識の目覚めをキーワードに日々の気づきを綴っていきます

抑圧した感情を解放する意義

2016年10月14日 07時00分00秒 | 日記

私たちは日々の出来事の中で、知らない内に感情に飲み込まれてしまって、その中で右往左往しながら我を見失ってしまうことがよくあると思います。

かく言う私も先日のブログ消失事件で、心身がバラバラになってしまったようにかみ合わない状態になってしまいました。

明らかに自分がセンタリングしていないのが分かるのですが、どうにも戻れなくて、けれどその状態でもやらなければいけないことは山の様にあり、ここ数日は焦りばかりで空回りしていました。

感情について情報発信していく人間が、これじゃダメだ!と、我に返ったのが昨日辺りでしょうか。お恥ずかしい話です。(^^;

感情解放ワークは、私が師と仰ぐレナード・ジェイコブソンの教えから生まれたワークです。

深い目覚めの状態(プレゼンス)にある彼は、今この瞬間にいるためにマスターしなければならないことの一つに、「感情のチャージに適切に対応すること」を挙げています。

感情のチャージというのは、抑圧された感情のエネルギーがたまったもののことです。

これがあると、些細な出来事でも苦しみが引き金を引かれ(トリガーされ)浮上して来るので、私たちは思考することによってその苦しみを和らげようとします。

感情を生々しく感じるよりも、概念として思考する方が、生々しい痛みが和らぐように感じるからです。このため、「感じる」替わりに「考える」のが私たちのスタンダードな在り方になっています。

このため、自分が考えているのか感じているのか、ほとんどの人は区別がつきません。感情解放ワークショップでも、これを知るためのワークをするのですが、最初からはっきりと区別できた人は皆無です。

思考はマインドの働きであり、意識がマインドの中を彷徨う時、私たちは今この瞬間には居ません。

レナードによれば、神はどこにでも偏在する。けれど、唯一神が居ないのは、マインドの中だといいます。

目覚めた状態では、思考は存在しないというのはよく言われることですが、「意識が目覚めている」というのは、私たちが完全に今この瞬間にいることです。それこそが神のいる領域であり、悟り、私たちの本来の在り方なのです。

けれど、普段の私たちの意識を観察してみれば、思考していない時などほぼないと言っていいのではないでしょうか。絶えず次の仕事のことや過去の失敗の言い訳、誰かや自分を責める思い、来週の予定などで一杯でしょう。

そうした思考の数々に私たちの意識が引っ張られてしまうのは、それらの思考に紐づいている「抑圧した感情のエネルギー」(感情のチャージ)があるからです。

これらを解放していけば、意識をマインドに引っ張る力が弱くなるため、今この瞬間に根付いていきやすくなります。

これが、抑圧された感情を解放していく必要性の理由なのです。

事件によって私は激しく心を揺さぶられ、ショック状態から徐々に喪失感が現れてきました。また、ブログ再構築の作業の中では不安や焦り、誰にも助けてもらえないことの悲しみなどの感情が浮上してきています。

レナードの教えに出合って6年、私はどれだけ彼の教えを血肉として生きているかと問われているようです。そのような状態にあってもなお、今この瞬間にいることができるのか。どれだけ成長したのか、と。

昨日は朝、目が覚めたとき、今この瞬間の自分の心と身体とともに在ることに意識をチューニングして、一日をスタートしました。

あらゆる瞬間に自分の心と身体を置き去りにしないようにして過ごし、噴き上がっている不快な感情をワークしました。

解放が起こるたびに、分厚い壁のように越えがたかった壁が、いつの間にか通り抜けられていました。やはり現実を作っているのは、内面なのですね。

改めて、自身の感情に向き合うことの重要性を認識した一日でした。

p.s.
16日の満月の瞑想会ですが、あとお一人様だけご予約受け付けます。瞑想が初めてという方も是非どうぞ!お申込みはこちら。また、読者の方からの第1次ブログへのメッセージに、さらに補足メッセージを追記しました。ぜひご覧ください。

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