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感情解放、ヒーリング、意識の目覚めをキーワードに日々の気づきを綴っていきます

恩寵に触れる瞬間

2016年10月12日 07時00分00秒 | 日記

ぼちぼちブログの再構築をしておりますが、タイトル下のメニューに色々作ってみました。。(元ブログ

感情解放ワークの項目はまだ追記していく予定ですが、このブログのタイトルの由来なんかも「このブログについて」のページに書いてみたので、よろしかったらぜひ読んでみて下さい。

さて、「起こった出来事の光の側面を見る」というのは、頭で分かってはいても、実際にやろうとすると、負の感情に引きずられてしまうことがあるものです。

「分かってるけど、でも許せない!今はこの怒りに身を任せたい!」といった具合に、私たちはしばしば、感情に飲み込まれることの方を選ぶのです。

感情解放のワークでは、そういうときほど自制して、まずは感情のエネルギーを身体で受け止めていくよう意識を向けていくわけですが、そこで踏みとどまれないから、飲み込まれて行くわけです。

激しく噴き上がる感情のエネルギーに、とても無理だと思う方もあるでしょう。けれど、ワークは少しずつ積み上げていくものです。一気に押し寄せた巨大なエネルギーは無理でも、もっと小さなエネルギーだったら、できなくもないでしょう。

早く楽になりたいからといって、最初から大きくさばいていこうとするのは、最も遠回りなやり方だということは心に留めておいてくださいね。

普段から様々な感情について、心と身体でしっかりと受け止めていく習慣をつけてると、いざ大きな感情が襲ってきたとき、飲み込まれないで踏み留まれる「心の筋力」が自分を支えてくれます。

この筋力は、一朝一夕に作り上げられるものではないんですね。だからこそ日々の在り方として、自分の感情に気づき、受け止め、行動していくということを実践して生きていくのです。

これ故に、感情解放のワークはただの「メソッド」ではありません。それは、自分の血とし、肉として初めて意味のあるものになります。頭で知っているだけでは、人生は何も変わっていかないでしょう。

ワークを本当に実践した時、とても深い気づきと解放、そして変容があるでしょう。人生の深いところに流れている、恩寵に触れる瞬間を、あなたも体験するかもしれません。

私自身がこのワークを作り上げていく過程で、恩寵は常に私とともに在ったことを感じていました。

自身の心の闇に降りていくのは、とても苦しいことでした。けれど、それでも進み続けることができたのは、深い闇の中に想像をはるかに超えた、言いようもない神の愛を感じることがたびたびあったからです。

それは、心地よい安らかさやポジティブなものにばかり目を向けていたら、決して知ることもなかったものでしたし、圧倒的にそれ以上のものでした。

そうしたものを感じてしまうと、人間目線の善悪というのは、意味をなさなくなります。

確かに、私たちは人間としてこの社会に生きていますから、法律を守るとか思いやりをもって人に接するなどは大切なことです。

けれど、それとは別のレベルでの人生の意味があるのです。

私はセッションやワークショップなどでワークをする時、人間社会の目線でものごとを見ることはしません。

なぜそのことが起こったのか、何に気づき、応答すべきなのか、出来事が差し出すメッセージにひたすら意識を向けています。

けれど、人間目線で「あの人が悪い」「これはきっと天罰なのだ」とマインドが一時的に納得するような責任転嫁や言い訳をしてしまうと、差し出されたメッセージは見えなくなってしまいます。

メッセージというのは、「このままではまずいよ。方向転換しなさい」というサインなので、それを無視していては、余計に人生は苦しくなっていくばかりでしょう。

いかに感情に飲み込まれずに適切な対処ができるか、そして差し出されたメッセージに応答するか。この二つがワークの柱なのです。

ぜひあなたも、感情解放のワークを体験し、実践してみて下さいね。

 

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