癒しは、真実を認めるところから始まる
とこれまでも何度かお伝えしてきていますが、
一方で、真実を認めないことで、
歪んだ在り方にせよ、どうにか自分を支えて
立っていられる、ということもあります。
たとえば、ものすごく深く傷つき、
ショックを受けているようなとき、
起こった出来事を受け止めるのは
あまりにも辛すぎるので、
こんなのは大したことがないんだ、とか
そもそもそんなこと自体存在しなかったのだ、
何も起こらなかったと言う風に
信じ込むことで、その傷やショックを
封印してしまうことがあります。
けれど、
事実を無かったことにしたことで、
心に受けた痛手を手当てする機会を
封じてしまうことになるんですね。
そうすることが、悪いことだと
批判するつもりはありません。
そういう風にするしか、
生きてこられなかったときも
あるでしょうから。
けれど、それは緊急避難措置であり、
様々な状況が落ち着いてきたら、
ぜひその封印を解いて、
心の奥に隠してしまった深い傷を
手当てしてあげて欲しいのです。
いくら無かったことにしたとしても、
実際は確かに傷ついているのであり、
ショックを受けているのです。
その状態で無理をしても、
本来の健康な状態と同じに
過ごせるわけではありません。
感覚を麻痺させても、
うまく支えられない自分を
どうにか別のところで補って
バランスを取ろうとしたり、
無意識にかばって、
その部分を使わないような
動き方、心と体の使い方しか
できないようになっているでしょう。
そうしていることさえ、
自分でも気が付かないままに、
自分とはそういうものなのだ、
と思い込んでいたりします。
でも、それが本来の状態ではないんですね。
本当はもっとのびやかに、
心から笑って活発に飛び回るのが
あなたなのかもしれません。
今の自分からは想像もできないけれど、
実際に封印を解いて、傷の手当てを
ちゃんとしてあげたときに、
自分はこんなにも不自由な思いをして
重荷を背負いながら日々を過ごしていたのだ
と初めて気づくのです。
そんな風に、心の奥深くに沈めてしまった
傷の手当てを、タイミングが来たら、
ぜひしてあげられると良いですね。
肉体的な傷だったら見えるので
自分でも意識しますが、心は見えないので
なかなかに疎かにしがちだし、
気づかないものです。
けれど、顕在意識では忘れていても、
深いところでそれは常に、
気づいてもらうタイミングを伺って
浮上しようと狙っています。
だから、日々色々なことが起こって
様々な気持ちがトリガーされ、
気づくことができる、というのは、
癒しと解放のための良い機会なのだと思います。
本当だったら、
良く出てきてくれたね。ありがとう。
今までお迎えに行けなくてごめんね。
なのです。
辛い気持ち、不愉快な気持ちになるのは
嫌なものですが、悪いことじゃありません。
そんなこともあるよねって
無理やり頭で納得して切り替えないで、
辛かったんだよね、苦しかったね。
悲しかったし、淋しかったんだよね。
など、ちゃんと認めて、味わい、受け止め、
それを生きてあげるのが良いと思います。
ただ、それに浸れって言ってる
わけではないですよ。
自分で自分の在るがままの気持ちを
受け止めるのであって、
自分がその中に溺れて
ズブズブに同化していくのではないのです。
この辺り、勘違いしている方も
たまに見られるので、それだと
ますますそれらの感情に飲み込まれて
解放も統合もされないでしょう。
自分の気持ちを認めず、受け止めず、
無かったことにしている人ほど、
誰かにその気持ちを分かって欲しい、
認めて欲しいと思っています。
自分が自身を拒絶していて、
常に心が辛いから、
誰かに受け止めてもらうことで
それを埋めようとしているのです。
けれど、
いくら他の人にそうしてもらったとしても
自分が自身の気持ちを受け止めていない
のであれば、その苦しさは消えません。
そして、どれだけしてもらっても
決して満たされることなく、
ますます相手に求め続け、
関係性を不健全なものにして行くのです。
その苦しさを根本的に癒すことができるのは、
自分だけです。
自分が、苦しんでいる自分を認め、
救わない限り、あなたの生きる世界や人生は
どこまでも苦しみに満ちたもの
であり続けるでしょう。
それは、誰のせいでもありません。
どれだけ周囲の人たちと
目に見えない取引をしながら
自分に関心というエネルギーを
引っ張ってきたとしても、
どちらの側にとっても心地良いものはなく、
どこか不快で発展性のあるものには
感じられないでしょう。
そういう在り方の癖を持つ人を
しばしば見かけますが、
本当にその人を大切に思うのなら、
断固としてその取引に応じてはなりません。
そんなことをしなくても、
あなたは自分で立つことができるし、
在るだけで満たされ、魅力あふれる
存在なのだということを知る方向に
サポートした方が、余程愛のある対応
ではないでしょうか。
自分で自分をお迎えに行く準備のできた方、
根深いものが出てきてサポートが必要な方は、
ぜひセッション受けてみてくださいね。
とこれまでも何度かお伝えしてきていますが、
一方で、真実を認めないことで、
歪んだ在り方にせよ、どうにか自分を支えて
立っていられる、ということもあります。
たとえば、ものすごく深く傷つき、
ショックを受けているようなとき、
起こった出来事を受け止めるのは
あまりにも辛すぎるので、
こんなのは大したことがないんだ、とか
そもそもそんなこと自体存在しなかったのだ、
何も起こらなかったと言う風に
信じ込むことで、その傷やショックを
封印してしまうことがあります。
けれど、
事実を無かったことにしたことで、
心に受けた痛手を手当てする機会を
封じてしまうことになるんですね。
そうすることが、悪いことだと
批判するつもりはありません。
そういう風にするしか、
生きてこられなかったときも
あるでしょうから。
けれど、それは緊急避難措置であり、
様々な状況が落ち着いてきたら、
ぜひその封印を解いて、
心の奥に隠してしまった深い傷を
手当てしてあげて欲しいのです。
いくら無かったことにしたとしても、
実際は確かに傷ついているのであり、
ショックを受けているのです。
その状態で無理をしても、
本来の健康な状態と同じに
過ごせるわけではありません。
感覚を麻痺させても、
うまく支えられない自分を
どうにか別のところで補って
バランスを取ろうとしたり、
無意識にかばって、
その部分を使わないような
動き方、心と体の使い方しか
できないようになっているでしょう。
そうしていることさえ、
自分でも気が付かないままに、
自分とはそういうものなのだ、
と思い込んでいたりします。
でも、それが本来の状態ではないんですね。
本当はもっとのびやかに、
心から笑って活発に飛び回るのが
あなたなのかもしれません。
今の自分からは想像もできないけれど、
実際に封印を解いて、傷の手当てを
ちゃんとしてあげたときに、
自分はこんなにも不自由な思いをして
重荷を背負いながら日々を過ごしていたのだ
と初めて気づくのです。
そんな風に、心の奥深くに沈めてしまった
傷の手当てを、タイミングが来たら、
ぜひしてあげられると良いですね。
肉体的な傷だったら見えるので
自分でも意識しますが、心は見えないので
なかなかに疎かにしがちだし、
気づかないものです。
けれど、顕在意識では忘れていても、
深いところでそれは常に、
気づいてもらうタイミングを伺って
浮上しようと狙っています。
だから、日々色々なことが起こって
様々な気持ちがトリガーされ、
気づくことができる、というのは、
癒しと解放のための良い機会なのだと思います。
本当だったら、
良く出てきてくれたね。ありがとう。
今までお迎えに行けなくてごめんね。
なのです。
辛い気持ち、不愉快な気持ちになるのは
嫌なものですが、悪いことじゃありません。
そんなこともあるよねって
無理やり頭で納得して切り替えないで、
辛かったんだよね、苦しかったね。
悲しかったし、淋しかったんだよね。
など、ちゃんと認めて、味わい、受け止め、
それを生きてあげるのが良いと思います。
ただ、それに浸れって言ってる
わけではないですよ。
自分で自分の在るがままの気持ちを
受け止めるのであって、
自分がその中に溺れて
ズブズブに同化していくのではないのです。
この辺り、勘違いしている方も
たまに見られるので、それだと
ますますそれらの感情に飲み込まれて
解放も統合もされないでしょう。
自分の気持ちを認めず、受け止めず、
無かったことにしている人ほど、
誰かにその気持ちを分かって欲しい、
認めて欲しいと思っています。
自分が自身を拒絶していて、
常に心が辛いから、
誰かに受け止めてもらうことで
それを埋めようとしているのです。
けれど、
いくら他の人にそうしてもらったとしても
自分が自身の気持ちを受け止めていない
のであれば、その苦しさは消えません。
そして、どれだけしてもらっても
決して満たされることなく、
ますます相手に求め続け、
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自分だけです。
自分が、苦しんでいる自分を認め、
救わない限り、あなたの生きる世界や人生は
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引っ張ってきたとしても、
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【お知らせ】*********
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●満月のオンライン瞑想会
6月25日(金) 19:00~22:00
7月24日(土) 17:00~20:00
●正味5時間の解放ワーク「1day集中ディープクリアセッション」
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