私たちはよく、より良いものを
たくさん受け取りたい!と
欲張ってしまうことがありますが、
本当に受け取れるものには、
やはりキャパシティがありますよね。
自分の器が追い付いていなければ、
どうしたって指の間から
零れ落ちてしまうものです。
たとえば、
バイオリンの初心者が
ストラディバリなんて持ったところで、
荷が重すぎるわけで、
楽器を生かすこともできず
宝の持ち腐れになってしまいます。
ビュッフェに行って、
どれもこれもおいしそうなお料理を前に、
山盛りお皿に盛ったところで
とても食べきれるものでもありません。
誰にでも、その時の自分が受け取れる
丁度良い分量と質のものがあるのです。
セッションをしていても、
クライアントさんの状態を見ながら
この辺りを見極めていくのは
大事だな~と毎回思うのですが、
最初は本人ももっともっとと望んでいても、
実際進めてみると、核心部分に近づくにつれ
キツくなってきて、どうしても認めたくない、
見たくないと覚悟が決まらないこともあるし、
私の方ではもう少しやってあげたいな、
と思っても、本人の方が既に一杯一杯
というケースもあります。
何をどこまで進められるかは、
実際開いてみて、本人が自分自身と
対話する中で、自身のキャパシティを
自分で知るわけです。
そのようにして、
今の自分がどんな状態で居るのか、
この先何をしていけばいいのか、
そのやるべきことを、自分はどんなペースで
進められるだろうか、というのを
肌で感じて腑に落としていくんですね。
そのようなプロセスの中で、
地に足の着いた歩みができるように
なっていきます。
自分を知らない人ほど、
無謀な望みを抱き、
無謀な目標を立てるものです。
自分の分を知る、というのは、
自分の可能性を諦めて限界を作る
ということではなくて、
厳しく己の過不足や可能性を見て
正確に自身の輪郭を捉えることです。
そうやって自分を知るほどに、
自分の可能性を伸ばす方法や
手を出すべきでない方向性なども
分かってきます。
今の自分は何をどれくらい
受け取れるものなのか、
受け取ったものをどこまで
生かすことが出来るのか、
それらによって、何ができる
自分になれるのか。
刻々と変化していく自分を常に見つめ、
呼びかけ、聞き、応え、という
無数のフィードバックを重ねながら
自分自身を創造していきます。
目の前の自分にコツコツ取り組む中で、
早い段階で受け取っていたパーツが、
20手先でようやく意味が分かるようになり、
さらにそこから5手先でボチボチ使え、
40手先で自在に使いこなしている
自分になっている、ということもあります。
そういう歩みは直線的ではなくて、
縦横無尽、一見して繋がりが見えないことも
実はものすごく近しく繋がっていて、
1つがわかると、同時にいくつもの
謎が一気に解けていったりもします。
どれだけ頑張ってもなかなか芽が出ない
時期もありますが、一定の何かが蓄積されると
あるときからグンッと勢いをつけて
花開き、実を着けていくものもありますね。
だから、目先に囚われては
蓄積されるものも蓄積されず、
本当の力がついて行かないのです。
じっと忍耐してひたすら目の前のことに
専念すべき時もあるけれど、
ただ忍耐していればいいというのでは
血肉となるはずのものも、
実となっていきませんし、
腐っていくだけになってしまうこともあります。
いつ何時でも、自分自身との対話をベースに
今の歩みが自身にとって正しい道を
歩んでいるのかを問い続けることです。
本当に問うことが出来れば、
焦りや不安の奥に、自分だけにわかる答えが
返ってくるはずです。
そういう対話の仕方ができるように
ならなければいけませんね。
そのようにして歩むことができると、
自分の人生や導きを信頼できるように
なります。
誰かに安易に答えを求めるのではなく、
主体性を持って、唯一無二の自身の人生を
紡ぐのです。
問いかけと応えと創造が一体となって
あなたの宇宙が展開していきます。
どこかに正解があって、
それを見つけ出してその通りに答えれば
安心安全でいられるというのは
大いなる勘違いです。
あなただけが創造できる宇宙を
この人生で開いて行かれますように。
たくさん受け取りたい!と
欲張ってしまうことがありますが、
本当に受け取れるものには、
やはりキャパシティがありますよね。
自分の器が追い付いていなければ、
どうしたって指の間から
零れ落ちてしまうものです。
たとえば、
バイオリンの初心者が
ストラディバリなんて持ったところで、
荷が重すぎるわけで、
楽器を生かすこともできず
宝の持ち腐れになってしまいます。
ビュッフェに行って、
どれもこれもおいしそうなお料理を前に、
山盛りお皿に盛ったところで
とても食べきれるものでもありません。
誰にでも、その時の自分が受け取れる
丁度良い分量と質のものがあるのです。
セッションをしていても、
クライアントさんの状態を見ながら
この辺りを見極めていくのは
大事だな~と毎回思うのですが、
最初は本人ももっともっとと望んでいても、
実際進めてみると、核心部分に近づくにつれ
キツくなってきて、どうしても認めたくない、
見たくないと覚悟が決まらないこともあるし、
私の方ではもう少しやってあげたいな、
と思っても、本人の方が既に一杯一杯
というケースもあります。
何をどこまで進められるかは、
実際開いてみて、本人が自分自身と
対話する中で、自身のキャパシティを
自分で知るわけです。
そのようにして、
今の自分がどんな状態で居るのか、
この先何をしていけばいいのか、
そのやるべきことを、自分はどんなペースで
進められるだろうか、というのを
肌で感じて腑に落としていくんですね。
そのようなプロセスの中で、
地に足の着いた歩みができるように
なっていきます。
自分を知らない人ほど、
無謀な望みを抱き、
無謀な目標を立てるものです。
自分の分を知る、というのは、
自分の可能性を諦めて限界を作る
ということではなくて、
厳しく己の過不足や可能性を見て
正確に自身の輪郭を捉えることです。
そうやって自分を知るほどに、
自分の可能性を伸ばす方法や
手を出すべきでない方向性なども
分かってきます。
今の自分は何をどれくらい
受け取れるものなのか、
受け取ったものをどこまで
生かすことが出来るのか、
それらによって、何ができる
自分になれるのか。
刻々と変化していく自分を常に見つめ、
呼びかけ、聞き、応え、という
無数のフィードバックを重ねながら
自分自身を創造していきます。
目の前の自分にコツコツ取り組む中で、
早い段階で受け取っていたパーツが、
20手先でようやく意味が分かるようになり、
さらにそこから5手先でボチボチ使え、
40手先で自在に使いこなしている
自分になっている、ということもあります。
そういう歩みは直線的ではなくて、
縦横無尽、一見して繋がりが見えないことも
実はものすごく近しく繋がっていて、
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2022年
6月14日(火) 19:00~22:00
7月14日(木) 19:00~22:00
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