私たちはよく、出来事を部分的に切り取って「これは神様のおかげ、でもこれは違う」とジャッジメントとラベル貼りをします。けれど、自身の現実を流れる神の恩寵に気づくことが増えて行くと、私たちは別の現実の流れを生きるようになるでしょう。
恩寵の扉が開くときというのは、扉は一度も閉ざされたことはなく、自分は常にそれとともに在ったと気づくだけのことなのでしょう。
つづきはこちら
http://www.healing-gate.com/blog
私たちはよく、出来事を部分的に切り取って「これは神様のおかげ、でもこれは違う」とジャッジメントとラベル貼りをします。けれど、自身の現実を流れる神の恩寵に気づくことが増えて行くと、私たちは別の現実の流れを生きるようになるでしょう。
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