しろいはね くろいはね

感情解放、ヒーリング、意識の目覚めをキーワードに日々の気づきを綴っていきます

怯え、混乱した気持ちを抱きしめる

2016年12月03日 07時00分00秒 | 日記

近頃、色々とやることが立て込んでいてアタフタする割にちっともやることが進まないという状況が続いていました。焦ってばかりで目の前のことに全然集中できておらず、結果、効率の悪い動き方をしていることに気づいたので、細切れの時間を利用してワークをしてみました。


色々ことが重なった時、多少のことであれば落ち着いて対処できるのですが、ちょっと重めの処理事項が重なると、私の心は途端にパニックのようになって、処理能力がガクンと落ちます。

焦りと不安、こなさなければというプレッシャーから、気持ちをどうにか抑圧することにエネルギーを費やしてしまうので、本題に向けられるべきエネルギーが少なくなってしまうからでしょう。

こうした気持ちをどれだけ抑圧していても、効率の悪い状態が続いてしまうのは分かっているので、まずはこの構造自体に対処することが先決と、焦る気持ちをなだめ肚を決めて取り組むことにしたのです。

頭が混乱しているときというのは、なかなか気持ちが捉えづらいものですが、体感覚を捉えるコツをつかんでいると、そう難しいことではなくなります。

私の場合、焦りと不安のエネルギーがまずハートの周辺に漂っていたので、そこに深く呼吸をして命のエネルギーを送って行きました。

そうしていると、それは様々に変化や移動しながらだんだんと薄れていきますが、あるところまで来ると、それ以上変化しなくなって、わだかまりが消えずにいつまでも残ってしまうようことがあります。

そのときは、それで終わりなのではなく、さらに別の対処が必要だというサインになります。

自分の意識も、しばらく同じことを続けていると、集中力がなくなってくるでしょう。少し意識を切り替えて、改めてその気持ちのカケラに向き直ります。

私はしばしば気持ちのカケラを擬人化してとらえていますが、ワークをする人は、様々に彼らの姿を捉えるようです。自分の内側にうずくまっている人がいるのが見えるとか、小さな子供が泣いている、怯えている、ぐったりとして死んだように横たわっているなどなど。

人の形でないケースもよくあり、真っ黒なグニョグニョグニョしたものがあるとか、ぺたーっとしたエネルギーが貼りついているようだとか、あるいは何か動物に似た何か生き物のように捉える人もあります。

今回の私のワークで見えたのは、小さな怯えた子供でした。

それは、「早く」と急かされるたびに「そんな自分のやり方ではダメだ。今このような状態であることは間違っている。ここは自分の居場所ではない」というメッセージを受け取っているようで、どうしたらいいのか分からず思考停止状態で固まっていました。

私は、そんな気持ちのカケラの側に行って、その子の手を握ったり背中を抱いたりして「今この瞬間にともに居る」ことを心がけました。ゆっくり命の呼吸をして、「ここに居ることは間違っていない。ここに居て大丈夫」というメッセージを、無言の内に送ってみたのです。

すると、少しずつビジョンの中の小さな子供が落ち着いてきて、私とともに「今この瞬間」に戻ってくるようになりました。大分落ち着いてきたので、ワークから通常の意識に戻してきたとき、それまでどうやっても地に足がつかなかった感覚が、ストン!と在るべき場所にはまったようになっていました。

私は、頭でものごとを先に進めようとばかりアクセルを踏んでいたので、ずっと空回りしていたのですが、今やっとギアがかみ合って、前に進めるようになった気がしました。

自分自身がバラバラになっていては、できるはずのこともできなくなってしまいます。焦るときほど、自分が統合した状態にあるか、気持ちを置き去りにしていないかどうかが大切で、ここをしっかり整えることで、結果的にはずっとスムーズで楽にものごとが進むようになるのです。

「早く(して)!」という言葉は、「そこに居るのは間違っている!」というメッセージになってしまい、今この瞬間から私たちの意識を追い出してしまうのだな、ということを実感したワークでした。

この言葉を私たちは多分誰かに対して、無意識にも頻繁に使っているのではないでしょうか。子供や仕事の部下、あるいは自分自身に対して。早くならないと、イライラしながら「もう!何やってるのよ!」と怒りをあらわにしてしまうこともあるかもしれません。

自分がそんな態度をされれば、当然嫌な気持ちになりますし、委縮し、人の顔色を窺うようになってしまうでしょう。けれど振り返ってみれば、それは私たち自身が幼い頃に親や先生など、大人からされてきた態度ではなかったでしょうか。

そんな幼い頃に抑圧された気持ちのカケラが、大人になってもそのまま残っていて、様々なところで顔を出し、人生を生きにくいものにしていたのです。

怯えた子供の心を自分で迎えに行って、「ここに居ても大丈夫なんだよ」と自身の態度で示してあげることです。そうすることで、私たちは本来の居場所に安心して戻ってくることができるのです。

つい急かしてしまうとき、まずは自分が今この瞬間に居るよう、意識のポジションを整えましょう。

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