が週2回通っているシニアセンターは日本の各地域にある老人会館のようなもので、その周辺の老人会の集会場です。
その運営内容は詳しくは判りませんが、老人たちが中心になり各種のクラブ活動をしていました。
全体の管理は市から出向している若い職員がおこなっていました。
集まるシニアの人達はボランティアとして諸々な役割を分担して、会の運営を助け合っていました。
シニアセンターの長はプレジデントと呼ばれメンバーの中から人望もあって、しかも長い間ボランティアとして奉仕した人が選ばれているようでした。
アメリカらしくボランティア時間は個人ごとに管理され何時間奉仕したか報告されます。
市から出向している職員は5~6名でその長はスーパーバイザーと呼ばれていました。
スーパーバイザーはセンター全体の管理業務に気を配ります。老人相手ということもあって市の職員は優しい人ばかりでした。
何時までたっても英会話は出来ず、挨拶だけはいつも笑顔でしていました。
ある日、スーパーバイザーのセレストさんから
「マサコここへ電話しなさい」と、電話番号の書いてある小さいメモを渡されました。
他に英語で何か言っていましたが、「電話しなさい」だけしか理解できず、家に帰り書かれている電話番号にかけてみました。
英語がうまく話せないので、ビクビクしながら、受話器をとって相手の人を呼び出した時、相手がきれいな日本語を話す人で吃驚しました。
セレストさんが私のために日本語の話せる人を紹介してくださったのでした。
その運営内容は詳しくは判りませんが、老人たちが中心になり各種のクラブ活動をしていました。
全体の管理は市から出向している若い職員がおこなっていました。
集まるシニアの人達はボランティアとして諸々な役割を分担して、会の運営を助け合っていました。
シニアセンターの長はプレジデントと呼ばれメンバーの中から人望もあって、しかも長い間ボランティアとして奉仕した人が選ばれているようでした。
アメリカらしくボランティア時間は個人ごとに管理され何時間奉仕したか報告されます。
市から出向している職員は5~6名でその長はスーパーバイザーと呼ばれていました。
スーパーバイザーはセンター全体の管理業務に気を配ります。老人相手ということもあって市の職員は優しい人ばかりでした。
何時までたっても英会話は出来ず、挨拶だけはいつも笑顔でしていました。
ある日、スーパーバイザーのセレストさんから
「マサコここへ電話しなさい」と、電話番号の書いてある小さいメモを渡されました。
他に英語で何か言っていましたが、「電話しなさい」だけしか理解できず、家に帰り書かれている電話番号にかけてみました。
英語がうまく話せないので、ビクビクしながら、受話器をとって相手の人を呼び出した時、相手がきれいな日本語を話す人で吃驚しました。
セレストさんが私のために日本語の話せる人を紹介してくださったのでした。