アメリカ生活の想い出

1987年から5年間アメリカで過ごし全く英語が出来ないのに、地元のお年寄りと知り合い学び楽しく過ごした記録です。

アパートのコインランドリー室で

2009-01-22 16:07:03 | Weblog
住んでいるアパートには洗濯機を置く場所がありませんでした。
別棟にコインランドリー室があり洗濯物をかごに入れて抱えていきました。
洗濯機が大きいので、まとめて洗うようになりました。最初は抵抗がありましたが、慣れてくるととても便利でした。

ある日娘が日本から来ているときに、デェズニーランドに行き、私が暗い劇場の中で転び、膝に大怪我をして、救急車で病院に運ばれたことがありました。
15針も縫って包帯を巻いてる状態で洗濯室にいくと、「どうしたのですか」と女の人から声をかけられました。
事情をはなし、遠方にある日本語のできる韓国人の医者のところに通っていると話すと、「遠方のところに通うのは大変だから、私の夫が紹介するから、ニューポートビーチの病院に行きなさい」と親切に言ってくれました。

医者の奥さんキャロンさんです。
それからお付き合いが始まりました。
3歳の男の子がいて、ハロウインの時に、子どもに医者の格好させみせにきました。

2番目の子どもが生まれた時、教会で洗礼をするとの事で誘われ一緒に行きました。
赤ちゃんは白いベビードレスを着ていて、「これは私が作ったのよ、上の子も着て、ドレスの裾の裏に着た子供の名前を刺繍して大切に保管しておくのよ」と説明して裾のをあげて見せてくれました。
暫くして、リツ子さんの家の近くに引越し、オープンハウス(新しい家に引っ越した時に家の中を見せるために知人を呼ぶパーティー)にご招待されました。
一流の籐家具セット(以前に話していた何年もかけてそろえた家具)ソファーの生地の柄にあわせ、天井から下がっているランプの傘の柄、鉢植えの柄、みんな同じように揃えて素晴らしいコーディネイトでした。