私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

ひとの心は複雑なもの

2009-11-03 | 3老いる
4~5日に一度、父の様子を見に行くことが、自分に課してきた務めだった。

老健から特養にお引っ越しがかない「大体夕刻、週一のペースで娘が様子を見に来る」という点も、引き継ぎ事項の一つとして伝えられ、それは今後も継続しなくてはならない…と肝に銘じているところだった。

施設の場所が郊外から市街地の山懐に移り、訪問自体は格段にしやすくなっている。

しかし、ここのところ二度に渡って、私の訪問は空振りに終わった。


ある平日の夕刻、訪問してみると、ちょうど夕食時で本人の姿は居室にはない。

老健では食事時、一人ぽつんと居室のベッドに横たわって、注入食を胃に流し込まれていた。
淋しげな様子の本人に、誰もいない居室で、私から一方的に話しかけて帰るのが常だったのだ。

特養では、皆さんのいる食堂で、皆さんと共にテーブルにつき、注入食の流れる様子を見てもらえている。

極力職員の手がかからないように、利用者がより大人しく、扱いやすい存在となるよう段取りされていた老健と比べ、特養では、職員の方々が労を惜しむことなく、手間暇かかるのを厭わずに、利用者の生活の質向上を第一義に対応されているのがわかる。

「そうか、これからは夕食時に訪れても、皆さんと一緒に過ごさせてもらえているから様子を見ることはできないのだな」と納得して身の回りの物をベッドサイドに置いて引き揚げた。


それではと祝日の昼下がり、食事時を避けて訪問してみると、やはり居室は空っぽだった。

おやつタイムかと思いきや、食堂も空っぽ。

廊下をうろうろしていると、食堂とは反対のフロアから祭囃子が聞こえてきた。

そっと覗いてみると、集会室のようなところで皆さん集まって、賑やかな笛太鼓を楽しんでいらっしゃる。
ボランティアの慰問公演がなされているところらしい。

車椅子の皆さんが部屋いっぱいに整然と並び、数十名の背中が見えている。

廊下を忙しく行き来するスタッフのお一人が「お呼びしましょうか?」と声かけて下さったが「大丈夫です」とご遠慮する。

またもや、上に羽織るベスト二枚をクローゼットに納めて引き揚げることになった。


手をかけ、心をかけて、手厚い対応をして下さっているのがわかる。
どんどんベッドの上にいる時間が長くなり、夜眠れなくなっていた父の生活も、きっと改善してきているに違いない。

しかし、何だかうっすらと哀しい気分に包まれるのだ。

「大丈夫、お父さんの生活はうちでしっかり見ますからね」と胸張って言ってもらえてホッとしながら、何だか心もとなく、喪失感にとらわれる。
ここ何年も待ち望んできた環境であるはずなのに、気がつけばハラハラと涙が溢れてくる。

ひとの心は複雑で、ままならない。
コメント
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