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文学座9月アトリエの会『石を洗う』を観劇

2024年09月22日 | 演劇

久しぶりに演劇公演を観てきた、今回は、文学座アトリエの会『石を洗う』、5,000円、14時開演、16時半終演、途中休憩1回15分含む

作:永山智行(1967年生れ、劇作家/演出家/劇団こふく劇場代表)
演出:五戸真理枝
場所:信濃町・文学座アトリエ(初訪問)

九州の演劇界を牽引する永山智行氏が文学座に初めて書き下ろす戯曲との触れ込み

文学座アトリエとは、ホームページから引用すると、1950年竣工、イギリスのチューダー様式が採用されている文学座の稽古場で、前衛的実験的な作品を上演する「アトリエの会」を行う文学座の拠点。 1950年より現在に至るまで「アトリエの会」の上演場所として活動を続け、 日本の演劇界に歴史を刻み続けてきました、 劇団のほぼ全ての演劇活動がこのアトリエで作られています、とある

信濃町の駅から歩いて10分弱、事前に地図を見ておいたので場所は直ぐに分かった、劇場内は120席くらいか、先日行った俳優座スタジオと違い、舞台を正面に見てすべての座席が配置してあり、奥行きは全部でG列までか、舞台は非常に見やすかった、また、1階のため火事などの非常時にも心配不要な劇場だと思った

舞台正面から観客席奥まで行く通路が2つあり、これが歌舞伎の花道みたいに利用されており面白かった

文学座(代表角野卓造)は、1937(昭和12)年9月、久保田万太郎、岸田國士、岩田豊雄(=獅子文六)の文学者の発起によって創立、「真に魅力ある現代人の演劇をつくりたい」、「現代人の生活感情にもっとも密接な演劇の魅力を創造しよう」を理念としている

活動は本公演、アトリエの会、附属演劇研究所という三本柱があり、今回はアトリエの会の公演だが、本公演の方は、創立者の3名に始まり、森本薫、加藤道夫、三島由紀夫、有吉佐和子、宮本 研、平田オリザ、なかにし礼、鄭義信、川﨑照代、マキノノゾミ、中島淳彦らがかかわってきた、海外作品でもシェイクスピア、チェーホフなどの名作に加えて、テネシー・ウィリアムズ、ソーントン・ワイルダーの作品をいち早く採り上げてきた

また、森本薫『女の一生』、有吉佐和子『華岡青洲の妻』、E・ロスタン『シラノ・ド・ベルジュラック』、T・ウィリアムズ『欲望という名の電車』などの数々の名舞台を生み出してきた

なかなか由緒ある劇団のようだ、ただ、文学座をはじめとする演劇の集団も路線の違いなどにより離合集散を繰り返しているようだ、この文学座は現存する劇団で一番古い創立、これに続いたのが俳優座で1944年創立となっている

出演

寺田路恵、玉井 碧、鵜澤秀行、高橋ひろし、鈴木弘秋、太田しづか、杉宮匡紀、森 寧々

あらすじ(劇団の説明を引用)

九州南部のとある集落、だんだんと人が減っていき、いまは数十世帯のみが暮らしている。元清掃公社職員の小川和士は、現在は個人で墓石の清掃などを請け負いながら暮らしている。

ある日、小川に墓石の清掃の依頼をしている若い女が横浜からやってきた。同じ頃、その集落にひとりで暮らす石津サエの許には孫の拓己が訪ねてくる。また同じ頃、都内に住む会社員・半谷誠生の周りでは不思議な出来事が起きていた。

その年、それぞれに起きた出来事たちは、まったく無秩序で無関係なものなのだろうか・・・ここにいる者とここにいない者たちの邂逅の物語

いつも感じるのは出演者が誰の役をやるのか劇団ホームページで開示されていないことだ、予習して当日を迎えたい人にとっては有料でもいいから公演ノートをwebで事前に閲覧できるようにしてもらいたい

けっこう筋書きは複雑で、それぞれの登場人物の位置づけが上記のあらすじの説明だけではわかりにくかった、最後まで見て、何となくわかったという感じだった

今回の劇の問題意識としては、これまた劇団の説明を引用すれば、

やがてその集落は緑に覆いつくされ消えていくのだろうか。家も田畑も、そこにあった暮らしも。ここにあるのは、わたしたちの原風景。そしてわたしたちの現実。わたしたちはいつも、なにかを忘れている気がする。わたしたちは、こう生きるしかなかったのだろうか

この問題意識も最後まで演劇を観て何となく、そうなんだ、と言う感じで理解できた、劇の途中で、元タクシー運転手の谷元勤が足を怪我して入院している病院のベッドで「自分は国鉄に勤めていた、もっと働きたかったが民営化の時に余剰人員と言われ退職した、このころから日本はおかしくなった」と言っていたのが印象的だった

藤原正彦教授によれば、「日本は帝国主義、共産主義、新自由主義など、民族の特性に全くなじまないイデオロギーに明治の開国以来、翻弄され続けてきた国である」とある、そうかもしれない

さて、今日の演技を観て、いつものことながら出演者の演劇にかける情熱を感ぜずにはいられなかった、それぞれの出演者は精一杯演技していた、明日が最終日だから一番油が乗った所でもあったのであろう、セリフにつっかえるところも全然なく、自然な感じで話していたのが好印象だった、座席と舞台が接近しているのも迫力を感じられて素晴らしかった、演劇というのはこのくらいの規模で観るべきものかもしれないと思った、ただ、収容能力がもっとあるところでやるか、チケット代を値上げしなければ採算的にはきついだろうなと感じた

出演者は物語の内容から年配者と若者と適度にミックスしていて、その面でも、ベテランと若手の両方の役者の演技をじっくり観れて良かった、ベテランはベテランの味を出し、若者は元気溌剌としたきびきびした演技で良かったと思う

なお、タイトルの「石を洗う」だが、これは劇中に元清掃公社職員の小川和士が墓石の清掃を仕事として、そこを中心に劇が進められ、祖先を大事にする、故郷を大事にする、仕事しつづけることが大事である、などのいろんな意味が墓石を清掃することに込められてるし、我々の祖先と生き方を象徴するものである石を今生きている皆で支えていくべきでは、という意味がポスターの絵になっているのかな、と思った

楽しめた演劇でした



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