ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

2024年ロンドン旅行(7日目、カンタベリー)

2024年11月23日 | 2024年ロンドン旅行

今日は7日目、今日の天気はロンドンに来てから初めての晴れ、この日はロンドンの東南に位置するカンタベリーに日帰り観光、カンタベリーへは電車で1時間

電車はセント・パンクラス駅から8時40分発、今回もOmioで切符は予約済みだがオックスフォードの時と違い、座席は指定されていないので空いてる席に腰かける

出発間際になり車掌が来て「カンタベリー」と大きな声を出している、何を言っているのかはっきり聞き取れなかったが、他の人が動きだしたので車掌に確認してみると、座った車両はカンタベリー駅では降りれないので、前の方の車両に移動しろと言っているようだ、慌てて他の客と一緒に前の方の座席に移動した、ぼけっとしていたら大変なことになっていた

カンタベリーまでは車窓の景色を見て楽しんだが、鉄道沿いに木が多く茂っており、景色はあまり見えなかったし、見えてもオックスフォードに行くときに見た広大なイギリスの田舎の景色という感じではなかった

カンタベリー西駅に9時30分に到着、カンタベリーの街も観光スポットは駅から徒歩で行ける範囲にある、駅を出てからゆっくりと中心街に向かって歩くとウエストゲート・タワーが見えてきた

そこを過ぎると商店街に、西駅の近くは古い町並みだが奥の東駅に近づくと近代的なビルがでてくる、このメインストリートがけっこう長く、意外と大きな町なのかなと感じた


(これは東駅近くの方)

メインストリートからちょっと左に入ったところに世界遺産のカンタベリー大聖堂への入口があった、チケットセンターでチケットを買う、一人17£、10時ころだったがほとんど観光客はおらず拍子抜けした

カンタベリー大聖堂は、597 年に聖アウグスティヌスによって建立された英国国教会の母教会、1170 年 12 月に教会の独立を守るためヘンリー2世と対立したトーマス・ ベケット大司教の殉教により中世キリスト教世界で最も重要な場所の 1 つにまで昇格した

彼は殉教者となり、彼の墓を訪れた人々が病気の治癒や他の奇跡を体験したと語り始め、これらの話は広まり、彼の墓が奇跡を起こす場所として多くの巡礼者が訪れるようになった

私はキリスト教の歴史や関連知識などはほとんど持っていないので、トーマス・ベケット大司教の話を聴いても「へえー、そうですか」という感じ

1時間くらい大聖堂内を見物して外に出た、11時過ぎだったか、出口付近には観光客がいっぱい来ていた、早く来てよかった

さて、メイン観光目的をあっさり達成してしまったが帰りの電車は4時21分で時間がありすぎる、キャンセル不能の切符を買ったので予定変更はできない、カンタベリーの街中をブラブラ歩いて4時まで時間をつぶすのはもったいない

そこで、事前に少し考えておいたドーバー海峡にバスで行ってみることにした、歩きも入れて1時間ちょっとあれば海の見えるところまで行け、3時までにはカンタベリーに帰ってこれると考えた、そこにはホワイト・クリフという観光スポットもある

バスはカンタベリー東駅近くのバスターミナルから出発する、そこまで15分くらい歩いて行った、ドーバー行きのバスバスに乗り込むとそんなに客はいない、2階席の一番前に陣取った、片道2£

ドーバーまではほとんど直線道路、最初カンタベリーの街中を走り、その後高速に入り、途中から高速を降りて街中の停車駅にいくつか停まって12時半頃ドーバーのバスターミナルに着いた、そこからは小高い丘の上にドーバー城が見えた

街中を少しブラブラ歩いて探索し、昼食はFastfood店を見つけてピザとコーヒーを買って歩きながら食べた、ロンドンもそうだが市内にはごみ箱が置いてあるのでごみの処分の心配はない

さて、先ずは海の見えるところに行かなければならない、ナショナル・トラスト(自然保護団体)の観光施設が歩いて20分くらいのホワイト・クリフの上にあるようなので、そこを目指して歩き始める、バスはないので歩くしかない

Googleマップと睨めっこしながらゆっくり歩くと海岸線に出て、振り返ると確かに海岸沿いの小高い山肌が白くなっている、これが結構続いているようだから壮観であり、奇観でもある、対岸のフランスのカレー(34キロ先)からも見えるときがあるそうだ

そこからが上り坂になり、足底腱膜炎の痛みを我慢しながら歩き、ホワイト・クリフの頂上付近のビューポイントに到達した、目的地はもう少し先だが、疲れてもう無理だと思いここで良いと思った

幸い天気は晴れで、ドーバー海峡は良く見えたし、ホワイト・クリフもよく見え、展望は抜群だった、ただ、対岸の欧州大陸は霞んで見えなかった

そこにいると何人かが登ってきた、こんな辺鄙なところだけど来る人がいるんだと思った、景色を堪能した後、再びドーバーの街中のバス停まで歩いて戻った

カンタベリー行きのバスに乗り込むと、疲れたせいか途中で寝てしまった、カンタベリーに戻ったのは3時ころだった

バスから降りて、カンタベリー西駅を目指してゆっくり歩き、途中でCOSTAに入り一休みした

休んだ後は再び西駅に戻る道をぶらぶら歩く、帰りの電車は予定通り到着し、今度はオックスフォードの時とは違い、空席があり、そこに座ってセント・パンクラス駅まで無事に帰れた

さて、今夜はロンドン最後の夜、ホテル近くのパブに行くことにした、Googleマップで検索して、行き当たりばったりで、人気がありそうな店に入ってみた

先ずは1階のカウンターでハッピーアワーのお得なビールを注文、カウンターの店員につまみはないのかと聞くと2階だと言われてビールを持って2階に行く

2階はテーブル席のみ、大きなテレビスクリーンがあり、サッカーの試合を流していた、テーブルにはメニューがあり、QRコードを読み込ませてスマホで注文しカード決済、テーブル番号を入力すると持ってきてくれた

2階は半分くらい埋まっていたが、客同士の間隔が広く、ウイルス感染を恐れるような感じではなかった、客は意外にも若い女性が多かった、友達同士、あるいは一人で来てハッピーアワーの安いドリンクを楽しんでいるようだ

7日目にして初めてロンドンらしい夜を楽しんだ

(続く)

 


2024年ロンドン旅行(6日目:2/2)

2024年11月22日 | 2024年ロンドン旅行

(承前)

RAHの見学ツアーが終わるともう昼時を過ぎていた、近くのサウス・ケンジントンでレストランを探すのも時間がかかるので、ちょうどRAHにカフェ・バーがあったので、そこで昼食をとることにした

コーヒーとパイに肉の詰まったパンなどを食べたが、おいしかった、シニア夫婦は二人でこのくらいの量でOK

この後、午後は地下鉄で近くのスローンスクエア駅に行き、そこからスローンストリートをナイツブリッジのハーベイ・ニコルズまで歩いてみた、ガイドブックによればこの通りは高級ブティックが並ぶハイソな通り

途中でCadogan Hallを偶然見つけた、ここもクラシック音楽の演奏ホールである、次回来た時は公演を聴いてみたい

通りから少し入ったところにスーパーのWaitroseがあったので寄ってみた、おやつの菓子を買った

ロンドンに来てからはMarks & Spencer(M&S)にはよく入ったが、ここも似たようなスーパーだった、M&Sよりは店舗数が少ない

さて、時間はもう3時ころ、この後はナショナル・ギャラリーに行ってまた絵を見ようと思い、ナイツブリッジのバス停からナショナル・ギャラリー方面行きのバスに乗った

中心部に向かう道路は近づくに従い渋滞が激しくなり、バスがピカデリーサーカスに差しかかると大規模なデモが

黄色い旗を持っている人々、その旗にはひげ面の人の顔がある、イスラム系移民のデモか、付近はすごい人ごみだ、バスが数珠つなぎになってストップしていた、10分以上停まっていただろうか、運転手が「今日はこんな状態だから降りてくれ」と言ってきた

バスの中から周囲の喧騒を見ているとなんだか怖くなってきた、警察官がいっぱいいるので大丈夫だとは思うが、人が密集するところはリスクが高いので、直ぐに地下鉄の駅に飛び込み逃げるようにして現場を離れた


(セント・パンクラス駅、カンタベリー方面の電車の発車ホーム)

そのあと、時間ができたので、ホテルに帰る前に明日のカンタベリー行きの電車の始発駅となるセント・パンクラス駅に行き、駅の改札の位置や発車する電車の情報が出る掲示板の位置などを確認した、一昨日、この駅に来たのだけどその確認を忘れていたので、当日混乱しないために念を入れた、来てよくわかり良かった

この日は夜にまたクラシック音楽の公演を観に行くので、食事はマックのテイクアウトでホテルで済ませていくことにした、我々は食事にはあまりこだわらない、地元の料理はなるべく食べるようにするが、レストランやパブに入ると時間がかかり観光や観劇にかける時間が減るし、高い

さて、今夜は7時半からオックスフォードサーカスから歩いて10分くらいのWigmore Hallで弦楽四重奏の公演を聴く、Wigmore Hallは室内楽のコンサートホール

オックスフォードサーカス駅を降りると付近はイルミネーションで派手に飾ってあり、人も多かったが、先ほどのピカデリーサーカスのようにデモもなく、怖くはなかった

7時ちょっと前に到着し、開場までホール入口前のロビーで待つ、地下がカフェになっているので、そちらにも行ってみた

今夜の公演はパヴェル・ハース四重奏団によるモーツアルトやチャイコフスキーの弦楽四重奏曲の演奏


(建物に入ってホールの入口前のスペース)


(地下のバー・カフェ、この反対側にもある)

来ているのは白人ばかりだった、座席は後ろの方の少し空いている席を予約した、満席ではなく、6割か7割くらいの入り具合だった

この公演の模様も別投稿でもう少し詳しく紹介したい

(続く)


2024年ロンドン旅行(6日目:1/2)

2024年11月21日 | 2024年ロンドン旅行

今日は6日目、天気は相変わらず曇り

この日は前日がROHでのバレエ観劇で遅くなったので、朝はホテルでゆっくりした、朝から夕方まで歩き回り、夜は観劇の連続ではきつい、特に私は最近左足に足底腱膜炎を発症して歩きすぎると足底が痛くなるし、今夜も音楽鑑賞がある

この日の午前中はロイヤル・アルバート・ホール(RAH)に行くことにしている、ただ、大ホールでやる公演ではなく、エルガールームという小さい部屋で11時から行われる1時間のクラシックコーヒーモーニングというコンサートだ、「ロンドン王立音楽大学の優秀な若手アーティストをフィーチャー」とうたっている

これは共に10代のヴァイオリニストのピーター・ライアン と フィン・ケアガードが、ピアニストのクレイグ・ホワイトの伴奏で、ストラヴィンスキー、ラロ、クライスラー、ドビュッシーの曲を含む幅広いレパートリーを演奏するもの。チケット料金にはホットドリンクとペストリーが含まれている、ロンドン王立音楽大学との提携

10時半くらいに部屋に案内されて入ると、結構小さな子供連れの参加者も多いようだ、演奏家育成の一環のコンサートであり、この日は日曜日でもあるからだろう、また、東洋人と思われる人はいなかった

10代の2人の男性バイオリニストが順番に登場して、一人30分ずつピアノ伴奏つきの演奏を披露してくれた、私たちは一番前の席に座ってじっくり鑑賞したが結構技術力はあると思った


(RAHのホームページから拝借)

日本で最近20才過ぎの中野りなのバイオリンを聴いて若いのにすごいものだと感心したが、ここイギリスでもすごい若手がいるものだと感心した、二人の両親も一番前の席で見ていたようだ

このコンサートが終了した後、続いてコンサートとセットでRAHの見学ツアーを申し込んでいた、費用はコーヒーモーニングも含めて二人合計で48.5£

コーヒーモーニングだけで帰る人が多く、ツアーに参加したのは10人くらい、コーヒーモーニングに参加したのが地元の英国人が多く観光客は少なかったためではないかと思った、コンサート終了後、ガイドの男性が来てくれて集合し、順次RAHの中を案内してくれた

先ず、最初にこのエルガールームは、イギリス最高の作曲家エルガーにちなんで名付けられたものだと説明してくれた、また、部屋にある赤いピアノはRAHでエルトンジョンが演奏したピアノであるとのこと

次に、RAHの中を順次案内してくれ、ある部屋から見えるアルバート公の記念碑、そう、3日目にケンジントン・ガーデンズに来た時に見たあの記念碑、が見えるところに案内してくれて、アルバート公とRAHに因んだ話をしてくれた

曰く、RAHはアルバート公が芸術・文化・科学に熱心で、1851年のロンドン万博を主導し、その利益も利用して1871年に建設された、一方、アルバート公は完成前の1861年に早世し妻のヴィクトリア女王の命により1872年に記念碑が建設された


(窓外に見えるのがアルバート公記念碑、左の男性がガイド氏、はっきりした発音で聞き取りやすかった)

この記念碑とRAHは、互いに向き合うように配置され、アルバート公を記念する一対のモニュメントとなっているとのこと


(ヴィクトリア女王の絵、と説明されたと思うが記憶があいまい)

RAHの建設費用は20万ポンド、それより全然小さい記念碑は金箔を多く使ったため12万ポンドもかかったという、金に困った政府はRAH座席の99年の占有権を販売して調達し、皇室も多く引き受けたとのこと

勉強になった

次に、大ホール(オーデトリアム)に案内される、写真で見たことがあるが実際に入ってみるとそのスケールの大きさと豪華さに驚かされる

ここで開催される公演では、毎年夏に開催される「BBCプロムス(The Proms)」が最も有名で、1895年以来続く伝統的なクラシック音楽の祭典

クラシック音楽だけではなくビートルズ、ローリング・ストーンズ、エルトン・ジョンなどの大物アーティストの公演も開催された、日本の相撲場所もここで開催された、映画も上映するという

今回、滞在中に観劇できる何か適当な公演が無いかと調べたがなかったので先ほどのコーヒーモーニングとこの見学ツアーの参加とした、クラシック音楽の公演をここで聴きたいものだと思うが、あまりに広すぎて難しいのではないかと感じた、収容人数が確か4000人とか、拡声器などを使わないと演奏は聞こえないでしょう

(続く)


2024年ロンドン旅行(5日目:2/2)

2024年11月20日 | 2024年ロンドン旅行

(承前)

ナイツブリッジ駅を降りたところで昼時になり、どうしようか迷っているとまたしてもwasabiの看板が目に入った、レストラン探すのが面倒くさいからそこに行くことに

ここのwasabiはきれいで広いが、あまり客は入ってこないので好都合

違うものを食べればよかった、さすがにこれはもう飽きた、ラーメンなども売っていた

さて、腹ごしらえした後は百貨店のハロッズに、ビルの正面装飾がド派手、クリスマスムード満載、夜はさぞかしきれいだろう

ナイツブリッジにあるもう一つの百貨店、ハーベイ・ニコルズに、こちらはハロッズより小さい

どこもクリスマスムードだ

疲れたのでホテルに戻り近くのカフェで一休みした、けっこう洒落たカフェだった

ホテルに帰って少し休憩し、夜はROHで7時半からバレエ鑑賞があるので、コヴェント・ガーデンに行ってそこで食事をしよう考えた

最寄りの駅のレスタースクエアで降りるとすごい人出、ROHの方に向かって歩くがどの店も客でいっぱい、何件か店の中に入って席が空いてるか聞くと「いっぱい」との答え、ホテルの周りで食事をしてくればよかったと後悔する

ROH近くに来て、カフェがあり外から空席があることがわかり、ここで食べようとなった、酒を出さない店は空いているのかもしれない

コーヒーとパンをたのんで地下の空いている席に座り食べる

時間になり、いよいよROHだ、先日のツアーの時に入ったガラス張りビルの方から入って、そこから劇場の方に入り、座って開場を待つ


(劇場正面入口入った所、正面二つのドアがOrchestra Stallsのホワイエにつながる入口、開場前は施錠してある)

7時になって開場になり中に入る、今夜の座席は平土間の少し後ろの方だがいい席だ、テレビで何回も見た憧れのROHについに来たという感慨にふける、オペラグラスも日本からちゃんと持ってきた

滞在期間中の演目としてはオペラはオッフェンバックの「ホフマン物語」、プッチーニの「ラ・ボエーム」があり、バレエは「Encounters: Four contemporary ballets」だった

普段オペラをほとんど観ない嫁さんと一緒なので、ホフマン物語やラ・ボエームは難しいと思い、昨年に続き今年もバレエを選んだ、演奏時間も休憩も含めて2時間半なので何とか飽きずに見れるかなと考えた、ここまで来て見学ツアーだけで帰るわけにはいかない


(我々の席から撮ったもの)

ROHには日本人バレエダンサーが何人かいる、最高位のプリンシパルには高田茜、平野亮一、金子扶生がおり、First Soloistsに前田紗江がいるが、今夜は前田紗江が出演する、4人の振付師による4つのバレエの一番最初の演目で出演


(カーテンコール時の写真、右から3人目が前田紗江、だと思う、気品があってよかった)

満足しました、今夜のバレエの模様は別投稿でもう少し詳しく紹介したい

(続く)


2024年ロンドン旅行(5日目:1/2)

2024年11月19日 | 2024年ロンドン旅行

今日は5日目、天気は曇り、今日から後半戦だ

今日は最初にキングスクロス駅に行った、ここは映画「ハリーポッター賢者の石」(2001年公開)に登場する“ホグワーツ特急”の発着駅で、9¾番線の柱の中に吸い込まれるように生徒たちが消えていくのを見た人もいるでしょう

その9¾番線は実際にはなく、観光客の撮影用スポットが駅の9番線と10番線の改札前の壁にちゃんと用意されている

地下鉄から降りてNational Railのキングスクロス駅構内に入ると驚くようなデザインになっている、こういう雰囲気作りが欧州の国々はうまい

そして撮影スポットを見つけて行ってみると、撮影を待つ人の行列ができていた、見ているとみんな嬉しそうに写真を撮っている

我々はハリーポッターが好きなわけでもないので「へえー」と言う感じで見て、みんなが写真を撮るところを写真に撮った、そのあと、すぐ横にあるハリーポッターショップをのぞき、駅構内をブラブラと探索した

このキングスクロス駅を出てすぐ横にセント・パンクラス駅がある、こちらの駅舎は高い時計台がある立派な外観をしている

こちらも映画「ハリーポッターと秘密の部屋」(2002年)のワンシーンに出てくるそうだ、観てないけど

駅に入るとこんな感じ、ここはユーロスターの発着ホーム

2日後にこの右側の奥にあるホームからカンタベリーに日帰り旅行に行く予定

この後は、2日目に十分歩けなかったサウスバンクのテムズ川沿いを歩くことにした、キングスクロス駅から地下鉄でブラックフライアーズ駅に行き、ミレニアムブリッジに向かって歩く、降りる駅を一つ間違えた

Walkie Talkieというあだ名のトランシーバーの形のビル、最上階にスカイガーデンという人気展望所がある

ミレニアムブリッジに入ると三角形のガラスのビル、シャードとロンドン橋が見える

ミレニアムブリッジを進んでいくと正面にテートモダン美術館が見える

振り返るとセントポール寺院が見える

渡った先を少し左に行くとシェークスピア・グローブ座がある

サウスバンクのテムズ川沿いを歩く、紅葉がきれいだ

2日目に行ったRFHを通過するとビッグベンが見えてきた、急に人が多くなる

ウエストミンスター橋を渡るが人がごった返している

渡ったところにある地下鉄の駅からナイツブリッジに向かう

(続く)

 


2024年ロンドン旅行(4日目、オックスフォード)

2024年11月18日 | 2024年ロンドン旅行

今日は4日目、天気はやはり曇りだが4日間雨は全く降らない

この日はロンドンを離れてオックスフォードに日帰り旅行に行くことにした、ヨーロッパに来た時はやはり鉄道の旅を味わいたい

オックスフォード行きの電車が出るのはパディントン駅、切符は当日でも買えるが日本にいる時にネット予約で購入した、早期の予約の方が運賃が安いこともある、鉄道予約アプリのOmioを使ってみたが日本語対応しており便利であった

当日、パディントン駅までホテルの近くからバスに乗って少し早めに到着、ヨーロッパの電車の特徴だが、出発時間の10分前頃まで電車が入線するホーム番号が決まらない、従って駅に到着したら改札の手前にある掲示板を見て入線ホームが何番線になるかジッと見ていないといけない


(出発時刻、停車駅、プラットフォーム番号を表示、未定の場合Pls waitと出る)

そして、ホーム番号が表示されると慌てて改札を通り目指すホームに急いで歩いていかなければならない


(我々が乗った電車、GWRというのは鉄道会社の社名)

今回、我々の乗車した電車は8時22分発、予約時に座席が自動的に指定されていたので指定席の車両(Carriageと言っていた)に行ったが、ガラガラなのでテーブル付きの四人掛けの席に二人でゆったりと座った

途中で車掌がチケットの確認に来た、電車は9時20分にオックスフォード駅に到着

オックスフォードの観光エリアは駅付近に集中していてバスと歩きで十分観光できるので便利である

この日は先ず駅前からバスに乗りアシュモレアン博物館を目指した、博物館はあまり興味がないのだが、最近NHKで「ステータス #2メシア-究極のストラディバリウス-」という番組があり、世界で600本あるストラディバリウスの究極の作品MESSIAH(メシア)がこのアシュモレアン博物館で展示されていることを知った、それもオックスフォード行きの切符を買った後でテレビを見て偶然知った

また、この番組にはストラディバリウスでどうしても弾いてみたいというバイオリニストの荒井里桜が出演していた、彼女の公演も昨年偶然テレビで観た(その時のブログはこちら)

さらに、番組に出演していた実業家の前澤友作氏だが、ストラディバリウスのハンマを購入したという。以前、前澤氏が個人で宇宙旅行に行った映画を観てなかなかの人物だなと思った(その時のブログはこちら)、そして番組で氏の邸宅に飾ってあった絵を見て驚いた、それはこのブログで以前紹介した河原温氏(こちらのブログの一番最後)の日付だけがキャンバスに描いてある絵があったからだ、こんなところで河原氏の絵と遭遇するのも偶然だ

この博物館は私にとっていろんな偶然が重なったものだった

さて、アシュモレアン博物館

これがメシアだ

メシア以外にもいろんなバイオリンが展示されている、皆すごいものばかりなのでしょう

日本の鎧兜、歌舞伎の衣装なども展示してあった

ゆっくり見学したら昼時となった、昼食はこの美術館の中にあるレストラン・喫茶スペースで食べた

なお、この博物館の受付近くの壁にはメジャー・サポーターの名前が書いてあり、Naoko Matsubara, Ishibashi Foudation, Mr Hiroaki and Mrs Atsuko Shikanai and the Shikanai Foundationとあった

その後、本日のメインイベントであるクライスト・チャーチ大学の見学が2時から予約してあるので、それまでの間、市内をブラブラ散策した

マーケット

セント・メアリー教会

ラドクリフ・カメラ(オックスフォード大学の図書館の一部)

カーファックス・タワー

さて、いよいよクライスト・チャーチ、ここは何と言ってもハリーポッター賢者の石に出てきたホグワーツ魔法学校の大広間が見学できるので人気があるようだ

敷地に入った所、少し行ったところにチケット売場がある

ここの見学はネットで予約できる、訪問の前の週の金曜日午前10時から予約開始となる

見学はマルチメディアツアーというもので、65才以上で一人17.5£、多国語に対応したガイド機器の説明を聞きながら自分たちで自由に見学する方式、そんなに混んでいなかった

大学構内はそんなに広くない、ゆっくり見学しても1時間あれば充分であった

大広間は今でも食堂で使われているため昼時は見学できない、2時過ぎの予約だから大丈夫だと思っていたらまだ駄目だった、おかしいなと思いながら校内の他のところを見学して帰りがけにもう一回大広間の入口の階段のところに戻るとやっと見学できるようになっていた

昼食の匂いがまだ残っていた

さて、この後、帰りの電車が5時30分なので、残りの時間は天皇陛下が留学していたというマートン・カレッジに行くことにした、クライスト・チャーチの近くにある

歩いて15分くらいはかかったか、入口がどこにあるかわからないので、人が入っていく門を入っていくと、大学の裏に出た、そこには広大な大学のグラウンドがあった、そのグラウンドをぐるっと回り、大学の校舎を見た、やはり校内はそんなに広くないようだ、もうこれで行ったことにしようと思った

嫁さんが雅子皇后陛下もオックスフォード大学のベイリオル・カレッジに留学していたと気付いたが、歩きっぱなしで疲れたので、もうどこにも寄らずに中心部に戻り、COSTAに入って珈琲とケーキを食べて休んだ、実はベイリオル・カレッジはアシュモレアン博物館の斜め前だった

そのあと、バスに乗って駅に戻り、帰りの電車を待つが、結構駅が混んでいる

電車は10分くらい遅れて到着、多くの客が乗り込み満員電車状態に、座席数以上のチケットは売らないはずなのにおかしいなと思ったが、何かトラブルでもあったのでしょう、我々は座れずに立って帰ることに

しかし、10分くらいで次の駅に着き、我々の前の座っていた人が降りたので、二人とも座れたのはラッキーだった

パディントン駅に到着したのは6時40分くらいか、疲れていたのでホテルに直行し、しばし休む

夕食をどこにしようかと考え、ホテルの周囲を歩いて探そうということになり、ブラブラ歩いて探すと日本食レストランがあったので入ってみた

すぐに席に案内された、メニューを見て、天ぷら盛り合わせと焼きそばを注文してビールで流し込んだ、店は中国人が経営しているようだった

今日はこれでおしまい、疲れました、1万5千歩以上歩いた


2024年ロンドン旅行(3日目)

2024年11月17日 | 2024年ロンドン旅行

今日は3日目、天気は曇り

午前中は先ずケンジントン・ガーデンズ(王立公園)に行ってみた、ここはハイドパークと隣接している広大な公園で西側にはヴィクトリア女王やダイアナ妃が住んでいたケンジントン宮殿がある、現在はウィリアム皇太子一家が住んでいるようだ、キャサリン妃がガンになったことを公表してショックを受けた人も多いでしょう

最寄りのバス停で降り、そこから中に入ると大きな銅像が、これはアルバート記念碑、1861年に亡くなったヴィクトリア女王の夫アルバート王子を偲んで建てられたもの

公園は広大なので、直ぐに行けそうなダイアナ・メモリアル・ファウンテンに行ってみた

その後、ハイドバークとケンジントン・ガーデンズを仕切る池沿いを北側に向かって歩く、途中にピーターパン像があった、イギリス人作家のジェームス・マシュー・バリーの『ケンジントン公園のピーターパン』という作品があるそうで、ここケンジントン公園はピーターパンゆかりの地、そこを通り抜け一番北側にたどり着いた

次にこの日はソーホー地区を歩くことにした、昨日行ったメイフェア地区の東側でメイフェアと違って庶民的で移民も多く雑然とした地区、オックスフォード・サーカスの交差点からスタートして、その周辺のカーナビ―ストリートなどを歩く

道路からちょっと入ったところにある各国料理店が集まっているKingly Court

いろんな国の料理の屋台があるパーウィック・ストリート

LGBT関係の店が集まるオールドコンプトン通り

ミュージカルの劇場が集まるシャフツベリー通り

ここまで歩き通しで疲れてきた、ちょうど昼時になったところでシャフツベリー通りを渡ったところに中華街が見えてきたので、そこで中華料理でも食べようと思った

11時半頃だったがまだ開店してない店も多い、どこにしようか迷ったが比較的小規模な店を選んで入ってみた、先客が何人かいたので大丈夫だろうと考えた

味はおいしかった

引き続きソーホーを歩く、ハリーポッターで有名なパレスシアター

ソーホースクエア

ソーホーを見終わったところで2時過ぎからチャイナタウンの南側のコヴェント・ガーデンにあるロイヤル・オペラ・ハウス(ROH)に行き、見学ツアーに参加した、ネットで渡航前に予約済みで一人10£

ツアーの開始前まで少し時間があったのでコヴェント・ガーデンをぶらつく

ROHでは警備員のセキュリティーチェック後に受付ホールに入る、そこにツアーのmeeting pointがあり、時間になると集合、20人くらいが集まった、東洋人らしき人は我々だけ


(右側がオペラ劇場、左側のガラス張り建物が受付・ショップ・レストラン・バーなど)

女性ガイドの説明の声がよく聞き取れるヘッドホンをもらってツアースタート、写真撮影はOKだが肝心の大ホール(Auditorium)内は撮影できないとのこと、これは今夜から始まるホフマン物語のプレミエ舞台の設置中でいろんな権利の関係で撮影されると困ると説明していた

最初にホワイエ、次に大ホールの一番上の座席、幕間に利用するカクテルスペース、バルコニー、バレエ練習場、衣裳部屋、道具部屋などを案内してくれた


(受付ホール、奥にショップがある、こちらの建物は誰でも入れるようだ)

時間は1時間ちょっとで、いろいろ説明してくれた内容はよかったが、全体的には満足度は低かった、それは大ホール内が撮影不可なことに加え、平土間の座席に行けない、舞台や舞台裏、舞台袖に行けなかったからだ、プレミエ公演前というデリケートな時期だから舞台の撮影などは無理なのはわかるが、平土間の座席などには入れてほしかったし座席側の撮影は認めてほしかった

朝から歩き通しなので疲れてホテルに帰る

夜はバービカン・ホールでクラシック音楽鑑賞、その前に夕食を取らなければいけない、レストランに入るのも面倒なので、ホテルのビルの1階に例のwasabi, sushi&bentoがあったので、そこで寿司と温かい焼きそばを買って部屋で食べた

寿司はうまいが焼きそばはイマイチだった、甘い味付けだからだ

今夜の公演は夜7時から、シティ北部のバービカン・ホール、最寄りの駅はMoorgate、降りてみると近代的なビルが並ぶオフィス街、少し早めに行って街歩きでもしたかったが、ホテルで休んだ時間が長かったのできなかった

今夜の公演は「Mendelssonhn and Schubert “The Great”」と題する公演で、ダニエレ・ルスティオーニ 指揮のロンドン交響楽団(the London Symphony Orchestra、昨夜のRFHはthe London Philharmonia Orchestra)とヴァイオリンのフランチェスカ・デゴの共演によるメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、シューベルトのザ・グレートなどの演目

ホールの中は昨夜のRFHとは違った様式で、座席がスタジアムのようにステージを取り囲んでいる、シートにカラフルな色がついており日本では見られない雰囲気を感じた

客席は満員だった、値段は1人39£だった、この公演の模様は別投稿で紹介したい

(続く)


2024年ロンドン旅行(2日目)

2024年11月16日 | 2024年ロンドン旅行

(承前)

初日は早朝到着、寝る時間までが長いが何とか夜10時ころまで起きていて、そこから寝たので時差ぼけにはならなかった、海外は初日が一番きつい

2日目、朝起きてテレビのBBCニュースを見ると、アメリカ大統領選でトランプ優勢を伝えている、最終的にトランプが大差で勝利したが、アメリカ国民は賢明な選択をしたと思った

メディアのトランプ批判一辺倒の偏向報道に影響されなかった米国民に敬意を表したい、トランプは極端に左傾化したアメリカを立て直すと宣言しているので期待している、これからもメディアはトランプを貶める報道を続けるだろうが、そのような報道姿勢では国民の信頼を失うだけだろう

さて、ホテルで朝食をとるのは今朝が初めて、ビュッフェスタイルの料理はイングリッシュ・ブレックファーストだろうが7泊して毎日全く同じものが用意されていた、良いものは変えないという考えか創意工夫に欠けているのか、どちらであろうか、内容的には野菜が少ないと感じた、毎日同じなので今日の分だけ写真で紹介したい

この日の天気は曇り(初日も同様)、気温は朝晩は10度以下になるが昼間は10度以上になる、冬場のコートを着て行動した、室内は暑いのでセーターは薄手のものでよかった

朝食後、地下鉄で15分くらい北上したチョーク・ファーム駅に行き、Charlcot Crescent(シャルコット・クレセント)という街に行った、駅から歩いて15分くらいのところにある、ここは映画パディントンでパディントンがロンドンに出てきたとき世話してくれたブラウン家がある場所、映画ではウインザー・ガーデンと出てくるところ

行ってみると駅の周りは閑静な住宅街、晩秋の紅葉がきれいである、目的地に到着すると確かに映画で見た通りの景色、しかし、ただそれだけのことで観光客が来ているわけでもなく、わざわざ来なくてもよかったかなと感じた

都心のオックスフォード・サーカスまで戻るためバス停まで歩いた、そこはプリムローズヒルという公園沿いの道でいい雰囲気だった、日本の芝と違いこちらの芝は冬になっても枯れずに緑のままなのが特徴、冬のゴルフ場は寒々と感じるがサッカー場ではきれいな緑のフィールドでのプレーが観れる

オックスフォード・サーカスで下車、ここはロンドンの一つの中心地であろう、非常に華やかでにぎやかだ、そこからすぐのデパートのリバティに行ってみた、チューダー朝の建物が独特の雰囲気を出している、昨日行ったセルフリッジズほど広くない店内だが、吹き抜け構造になっている

次にメイフェア地区を歩く、ここは高級ブランド店がひしめくボンドストリートや高級英国紳士服店が並ぶサヴィルローがある

それらの通りを歩きながら南下していくと、バーリントンアーケード、ロイヤルアーケードがあり有名な店が並んでいるらしい

ロイヤルアーケードの角にある王室御用達のチョコレート店Charbonnel et Walkerでお土産用のチョコを購入

ボンドストリートを最後まで南下して行くと、そこはピカデリー通り、ホテルリッツやフォートナム&メイソンが通り沿いにある、リッツに入ってみたいが敷居が高いのでフォートナム&メイソンに、中は観光客でごった返していた、私はここの紅茶は好きだ

昼時になったが、疲れてきたのでホテルに戻ることにし、昼食はホテル横のマックでテイクアウトして部屋で食べた、全て店内にある注文ボードにタッチ式で入力してオーダーしカード決済した後、商品を受け取るシステムだった

食後はホテルで1時間以上休息

その後3時ころだったろうか、ナショナルギャラリー行ってみると入口に行列ができていた、並んでいると直ぐに入れた、入場するときにセキュリティーゲートを通過し、持ち物をチェックされた

中は広く、展示作品が多いので端から見ていくととても全部は観れない、今回は事前に観たい絵をリストアップしてそれを集中して鑑賞した

ナショナルギャラリーのwebサイトには画家の名前を入力すれば作品一覧が表示され、展示室番号もわかるので、それをもとに、ゴッホ、セザンヌ、ゴーギャン、スーラ、モネ、マネ、フェルメール、レンブラント、ピカソ、マティス、ゴヤ、ピサロなどの好きな画家の絵をリストアップし、それにナショナルギャラリーが推薦するmust-see paintingsを加え約80作品をリストアップした、展示室の地図もwebサイトからコピーして持参したため効率よく観れたが1回で全部は観れなかったので、後日また来ることにした

ナショナルギャラリー鑑賞の詳細は別投稿で紹介したい

その後、この日はサウスバンク地区にあるロイヤル・フェスティバル・ホール(RFH)にクラシック音楽の公演を聴きに行った、チケットはネットで予約済み、便利になった

RFHのある地域はSouthbankと呼ばれるテムズ川の南側で、国立劇場や美術館などがある文化エリアである、そこに早めに行って川沿いを歩いてみようと思ったが、食事もしないといけないためそんなに散策の時間は取れなかった

夕食は公演前にRFHのすぐ近くのレストランに入ってフィッシュ&チップスなどを食べた

この日は「ヴィキンガー・オラフソンがブラームスを演奏」と題した公演で、人気のピアニストであるオラフソンがエドワード・ガードナー 指揮のロンドン・フィルとブラームスのピアノ協奏曲1番を共演するのがメインの公演だ

19時30分開演、ホールは満員であった、我々が予約した席は中央の良いところで値段は1人51£だった、もう少し詳しい内容は別投稿で紹介したい

(続く)


2024年ロンドン旅行(初日)

2024年11月15日 | 2024年ロンドン旅行

11月5日よりブログをお休みしていましたが、今日から再開します

今回ブログを休んだのは夫婦でロンドンに旅行に行き、ノートパソコンを持って行かなかったためである、パソコンが盗難にあった場合のリスクが高すぎるので、ブログは休むことにした

今回の旅行はホテルや航空券の手配などを全部自分でやる個人旅行である、なぜそうするかというと自由度が高いため、ただ、準備が大変であり、現地でテロやフライトキャンセルなど非常事態が発生した時の対応が大変になるが、そういうやり方全体が旅の醍醐味である

今回の旅行の直前に滞在予定中の11月7日と12日にロンドンの地下鉄のストライキがあると発表されて驚いた、そうなった場合にどうするかいろいろ考えて現地に行ったが、幸いストは直前で中止され、ホッとした

今回の航空券は貯まったJALのマイルを使って入手できたが、行先と旅行期間が適当な座席の空きがロンドン便しかなかったのでロンドン旅行となった、ロンドンやニューヨーク、パリは何回でも行きたいのでそれでいいと思った

さて、初日、今回は直行便で、出発は深夜1時ころ、自宅を夜の7時ころ出発して羽田に9時半くらいに到着し、チェックイン後サクララウンジに入り、簡単な夕食を取った

飛行機はボーイング787-8Dreamliner、ビジネスクラスで個室性・独立性の強い座席、ビジネスニーズによるものだろうが夫婦で旅行というケースにはあまり向いていないデザインだ、離陸後は就寝し食事は8時間後であった、行きは和食にした

飛行ルートは日本から北上し、アラスカ上空を飛ぶ北回り、ロシア上空を飛べた時と比べ2時間は多くかかり14時間半のフライト、ヒースロー空港に朝の6時過ぎに到着した、入国審査はe-gateでOKだが私も妻もなぜかエラーで通過できなかったので有人ゲートで入国

荷物は無事に到着し、エリザベスラインに乗り、地下鉄に乗り入れ後、1回乗り換えしWarren Street駅で降りる、その駅の目の前が宿泊先のホテル、荷物だけ預かってもらって観光に向かおうと考えていたが、チェックインもできると言われ、部屋に入り荷物をほどき一休みできたのは良かった

深夜に出発し、翌朝6時過ぎにロンドンに到着の今回の便はビジネスニーズを意識したものだろうが一番きついスケジュールだ、仕事をする人は到着したら時差ぼけのまま会社直行で、9時か10時から会議だろう、本当にご苦労様だ、これを考えると観光なんてどんなきつい日程でも我慢できる

さて、今回のロンドン観光の実質滞在日数は8日、観光のプランとしては

  • 市内の代表的な地区をゆっくり歩く
  • 夜はクラシック音楽を聴きに行く、今回は夜に4回、昼に1回聴きに行った
  • ナショナルギャラリーでお目当ての絵を見る
  • 日帰り観光でオックスフォードとカンタベリーに行く

仕事で数回来ているので、仕事の前後に有休をとってある程度の観光はしているし、嫁さんも一回来たことがあるので、あまりあくせくせずにのんびり街の雰囲気を味わうことで良いと思った、そしてテロやコロナ感染のリスクを意識しなければならない

ホテルについては、日本人はみな共通だろうがバスタブのある部屋を希望した、ツインベッドでベッド横に小さい机と椅子がある、テレビ画面は大きく、冷蔵庫やドライヤーもあり合格点だったがパジャマを持っていくのは必須だ

ホテルの窓から見えるスーパーM&Sの横にはホームレスのテントがいくつも並んでいる、ホテルの付近を歩いてすぐに気付くのはゴミがゴミ箱からあふれ、乞食が少なくないことだ

ホテルで一休みした後、さっそく観光に出発だ、今日の予定はメアリルボーン地区(Marylebone、バスのアナウンスはマリーボーンと聞こえた)の街歩きだ、比較的高級な地域で洒落た店が多い、ホテルの近くのバス停からバスに乗り、ベーカーストリートで降りる、近くにはマダムタッソーがあるが、そこへは寄らず地下鉄の駅の目の前に立っているシャーロック・ホームズの銅像にあいさつ

そして、ベーカーストリートに面したシャーロック・ホームズ博物館に立ち寄る

子供のころ親しんだホームズだが、大人になってからは遠ざかっていた、昨年、久しぶりにホームズの本を読み(その時のブログはこちら)、また興味が出てきたので行ってみた

帰国してから調べてみると、博物館は1990年に開館し、場所はコナン・ドイルの小説に出てくるホームズの住んでいたベーカー街221B番地となっているが実際の番地は違うらしい

また、ホームズ自体が架空の人物であり、この博物館を開館することをコナン・ドイルの娘はホームズが実在の人物と誤解されるので反対したこともあったそうだ、確かに博物館のホームページを読むとホームズが実在の人物のように書いてあるし、博物館の中で説明してくれた係りの人も実在の人物のように説明していた

なんだか騙されたような気がしたが結構観光客は来ている人気スポットだ

次にウォレス・コレクションを訪問した、15世紀から19世紀にかけての世界的に有名な美術作品、装飾美術作品および18世紀フランスの広範囲にわたる絵画作品、家具、武具、甲冑、磁器、そしてオールド・マスターの絵画作品を25室のギャラリーに展示している美術館

コレクションの所有者リチャード・ウォレス(1818–1890)氏の未亡人がコレクションの全てをイギリス政府に追贈し、この名前がついているようだ、入場は無料

すごい作品の数々であるが、絵画に関して言えば知らない画家の絵が多かった、わずかにヴァン・ダイク、ルーベンス、レンブラント、ベラスケスなどの絵がなじみのある絵であった

その後、メリルボーンの南端まで歩き、昼時となったので日本でも見たことがあるプレタ・マンジェ(PRET)に入った、この店は英国を拠点とするサンドイッチチェーンだが、最近日本から撤退した

料理はおいしかった、次にPRETのすぐ横にあったスーパーのMarks& Spencer(M&S)に入った、このスーパーはロンドン市内でよく見かけた

そして、M&Sの向かいにあるデパートのセルフリッジズに入ってみた、高級百貨店であり館内を見て回ると、クリスマスプレゼントを集中的に展示してあるフロアーがあり、華やいだ雰囲気で多くの客が入っていた、今回はいくつか百貨店をのぞいてみたが、セルフリッジズのクリスマス売場が一番良かった

さて、この日はメアリルボーンだけの予定だったけど、時間が余ったのでサウス・ケンジントンにあるロンドン自然史博物館へ、入場料無料、ここは映画パディントンで使われたので行きたくなった、元は大英博物館の一部門、自然史系の博物館としては世界でもトップクラスの規模

中に入ると広々した中央ホールがあり、そこにシロナガスクジラの全身骨格が展示してあり、この博物館の目玉となっている、これに圧倒された、この中央ホールを取り囲んで恐竜や鉱物などのいろんな展示室がある、シロナガスクジラの後ろには2階に上がる階段があり、2階からもこのシロナガスクジラを眺めることができる

今日は初日であり、夜の予定は入れなかった、ホテルに帰る途中でパディントン駅に寄った、ヨーロッパの鉄道の駅特有のホームが旅情を誘う、1番線のホーム脇にはパディントンがいたが見てる人はあまりいなかった

駅には食事する店もあるので、そこで見つけた日本料理の「わさびwasabi sushi & bento」で夕食を取ることにした、お寿司と温かいカツカレーを買って横のイートスペースで食べたところ、おいしかった、結構人気があるようだった

(続く)


松井今朝子「一場の夢と消え」を読む

2024年11月05日 | 読書

松井今朝子「一場の夢と消え」(文芸春秋)をKindleで読んだ、著者の小説を読むのは初めて、著者は1953年生れ、小説家、脚本家、演出家、評論家

京都祇園に生まれ、早稲田大学大学院文学研究科(演劇学)修士課程修了後、松竹に入社、歌舞伎の企画・制作に携わり、退職後フリーとなり武智鉄二に師事して、歌舞伎の脚色・演出・評論などを手がけるようになる。1997年、『東洲しゃらくさし』で小説家としてデビュー、2007年 「吉原手引草」で第137回直木賞受賞

この小説は、「曾根崎心中」、「冥途の飛脚」や「国性爺合戦」など数多の名作を生んだ近松門左衛門の創作に生涯を賭した人生を描いたもの

歌舞伎や浄瑠璃などについては入門書を読んでも面白くなく、歌舞伎役者などを主人公にした小説を読む方が好きだ、例えば、以前もこのブログで紹介した宮尾登美子の十一代目市川團十郎とその妻の人生を書いた「きのね」や、河竹黙阿弥の人生を書いた奥山景布子の「元の黙阿弥」(ブログはこちら)、歌舞伎の裏方の世界を描いた永井紗耶子の「木挽町のあだ討ち」(ブログはこちら)などだ

歌舞伎を鑑賞するとき、近松門左衛門の名前を何回も見てきたが勉強する機会はなかった、最近、この本が刊行されたのを知り読んでみたくなった、やはり日本人であれば、歌舞伎ファンであれば近松のことを知っておかなければいけないでしょう

越前の武家に生まれた杉森信盛(のちの近松門左衛門)は浪人をして、京に上っていた。京の都で魅力的な役者や女たちと出会い、いつしか芸の道を歩み出すことに。

竹本義太夫や坂田藤十郎との出会いのなかで浄瑠璃・歌舞伎に作品を提供するようになり大当たりを出すと、「近松門左衛門」の名が次第に轟きはじめる。

その頃、大坂で世間を賑わせた心中事件、事件に触発されて筆を走らせ、「曽根崎心中」という題で幕の開いた舞台は、異例の大入りを見せるのだが・・・

この本を読むと近松の浄瑠璃や歌舞伎に関する考えなどが示されているところが多く参考になった、そのいつくかを書いてみると

  • 当時、かぶき狂言は役者が書くものだった、能狂言の物まねで始まったのが歌舞伎狂言であり、見物客を笑わせるのが主眼だった、歌舞伎は浄瑠璃と異なり役者が多く、それぞれの役者は自分が目立つように自分のセリフを作者に無断で変える、それをすると筋がおかしくなってもかまわない、作者はそれぞれの役者が自分の見せ場があるようにセリフを考えなければならない
  • 浄瑠璃作者が歌舞伎狂言を簡単に書けるわけではない、両者は別物だ、浄瑠璃は話を組みたてて詞章を考えればよいが、歌舞伎は役者それぞれの得意な芸にセリフをどう当てはめるか考えなければならない
  • かぶき狂言に剽窃はつきもので、自分も能の謡やその他もろもろの和漢書から引用して作品を作った、むしろ自分の作品を他人が剽窃するのは一種の誇りと言ってもよい、この話は奥山景布子の「元の黙阿弥」でも出てきた話だ、当時は著作権などない時代、それを最初に確立したのは黙阿弥だったと書いてあった

  • 浄瑠璃は七五調にすればよいというものではない、それでは耳にセリフが引っ掛からず、さらさらと聞き流される
  • 役者は誰にでもできる芸をやっていただけでは売れないし、作者も誰もが思いつく筋ばかり書いていては長く務まらない、興行師も道具方その他誰にでも無理をさせて、その人のためならだれもが無理をする人物だからこそ務まる稼業だ
  • 役者は贅沢ができたとしても京の極寒の冬の冷たい板敷の床を裸足で踏むことを考えると他人がうらやむような稼業では決してない

  • 声量に恵まれた太夫や美声に恵まれた太夫は、自分の声を聴かせたい気持ちが強く、「歌う」ことに傾きがちで、「語り」本来の役割を忘れてしまう恐れがある、歌と語りの相克があるが「語り」の本分に徹してきた
  • 信盛が豊竹座から引き抜いた政太夫と対面したとき、政太夫が自分の声量が少ないのを卑下して自分の声がらが無いことを言うと、信盛は「自分を限るまいぞ、よいか、人は自分で自分を見限ってはならんのだ」と言う、「天性は天の定めるところ、人は確かにその定めを引き受けなければならない、しかしそこに安住し、自らを限って目の前に立ちふさがる壁からいつも逃げ出してしまえば、天から与えられたこの一生が、何やら物足りない気はせぬか」と諭す、その通りだと思った
  • 同じ劇場で披露される芸でも、操り浄瑠璃と歌舞伎芝居は演じるほうも見るほうも相当の懸隔があって、太夫と役者は気質の違いも明瞭だ、総じて太夫は物語の世界を司る孤高の身だけに、悪くするれば尊大になりやすいが、独歩の姿勢を貫く分、自制に富んだものが多く、片や歌舞伎役者は舞台を共にする仲間との絆が何より大切だから、人当たりが良くても内実が伴わないきらいがあるし、ともすれば自制が書けていて享楽に身をゆだねる人が多かった

  • 竹本義太夫は、浄瑠璃の歌を何度も繰り返して読んでいると、そこに絵が浮かんでくるので、その絵を写し取るような形で語るのだと極意を述べた、そして人形遣いもその同じ絵を見て舞台でしっかりした形にしなければならない、もちろん絵は作者の心にあるのだからそれを太夫と人形遣いに見えるようにすることが仕事である
  • 虚と実をつなぐ薄い皮膜のようなものが芸である、その芸こそが虚を実に変え、実を虚に変えて人の心を慰めるのじゃ
  • 紀州出身の吉宗公は宝永の大津波の被害にあった国を立て直した功績があるが、倹約が過ぎて庶民の生活まで細かい口出しをするようになり、舞台の演劇にも贅沢禁止の影響がでた、また、曾根崎心中などの心中ものが信盛の得意演目となったがこれにも幕府は心中するものが増えると難色を示したので、信盛は芝居ももう終わりだと思った
  • また、セリフの中に江戸のご政道を皮肉るようなものがあるのは幕府批判として周りの者が非常に神経質になった、江戸には目安箱ができて信盛の浄瑠璃の文句を批判する投書があった、もともと目安箱は役人の不正などをあぶり出す目的だが違う目的に使用され自分が批判の対象になったことに不愉快になった

この小説を読んでいると近松の作品の多くのものは現実の世界で起こっている心中や事件などに接し、すぐさまそれを題材にして物語を創作をするということが多いのがわかる、程度の差こそあれ、小説や作曲というような創作は皆同じなのかなと思った

この小説の中には信盛を取り巻くいろんな人物が出てくるが、Kindleには巻末の解説が出ていないので、どこまでが史実でどこが著者が作った架空の人物やできごとかはわからないが、信盛の人間らしさを描いた部分は興味深く読んだ、例えば、

  • 自分の二人の息子のうち次男坊が定職にもつかず、ブラブラし、金の問題も起こしたりして信盛を心配させる、信盛も仕事が忙しくきちんと子供と向き合ってこなかったことを悔いるが、最後は・・・
  • 著者は小説中で信盛に「芝居小屋では役者同士のもめごとを捌くのに苦労し、家では嫁と姑のいさかいをとりなすのが大変でありたまったものではない」と言わせている、我々凡人と同じような人間臭い悩みを抱えていたのだと親近感がわいてくる
  • 信盛は自分は武家の次男坊に生まれたが武家を継がず、世間から見ればろくでもない商売である芝居の世界に入り親の期待を裏切ったことを後ろめたく感じていた、当時の狂言作者や役者などは社会的地位がそれほど高くなかったのでしょう
  • 武家の家を出て、近松寺にこもって読書三昧の生活をして知識つける、それがその後、公通という公家の目に留まり、公通の代役で浄瑠璃を作ることになり、公通の紹介で舞台の世界に入り、狂言作者として成功のきっかけをつかんだ、努力が実を結んだと言える

どこまでが実在の人物かという点でいえば、公家の公通、友人の英宅、大阪の芝居茶屋の女将の加奈、丹六大尽(にろくだいじん)という金主などが挙げられよう、これは小説を面白くする存在であり、架空であったとしても許されると思う。偉大な人物の来し方には、これらの人たちに類した支援者がきっと周囲にいたのでしょうし、その人たちを引きつけて自分の支援者になってもらうような魅力が主人公にあったのでしょう

楽しめた小説でした