先日、マニア次長さんが 「スターティングフルード」に関して
コメントしてくれたことがあった、
恥ずかしながらそれまで そのスターティングフルードの存在を知らなかった私、
そんななか、ふと思い出したことがあった、
私がガキのころ、
オヤジ(私の父親)は建築関係の職人さんをしており、
当時乗ってたのは0.75トン積みのトラック(ガソリン車)だったと思う、(写真も何もないので定かではないが)
現場が遠い時は2~3時間かけて行ってたこともあった、
子供だった私もちょくちょく一緒に連れてもらい、
見ず知らずの街並みをぺらっぺらのシートでAMラジオを聴きながら走る、
この往復のドライブ?、これが私はたまらなく好きだった。
ある日のこと、仕事を終えて さあ帰ろうとしたとき、エンジンがかからない、
今思えばバッテリーが弱くてかからなかったんだろう、セルモーターの回りが弱かったような気がする、
ブースターケーブルで助けてもらえば済むことだが、
他の職人さん達は既に帰ってしまい残るは私と親父だけだ、
さぁ困った、
子供ながらに不安で仕方なかったを覚えてる、
しかし、親父はあわてなかった、
弱ったバッテリーで無理にクランキングはせず、
車載工具の中からプラグレンチを取り出すと4発の内の2本のプラグを外した、
いや、外したんではなく緩めただけだった、
(外してしまってはシリンダーからの吹き返しでプラグは付けられないでしょうから)
そんな状態でクランキングし、2発を殺してエンジンはかかった、
プラグを緩め2本分の圧縮を抜いたことによりバッテリーの負担を軽くしてかけてたんですね。
当然のこと、かかったエンジンの振動はハンパない、
そんな状態なのに、頭はエンジンルームに突っ込み、足ではアクセルペダルを調整しながら、
緩めたプラグを締め付けプラグコードを差し込み、何もなかったように帰ってきた、
(プラグコードを差すときはビリビリ来なかったんだろうか? ウエスでも巻いてたのかな~)
あの時は、
「すごい! 親父できるなぁ」 そうは思わず、「帰れる」 って安堵でしかなった、
多分、こんなかけ方をしたのはあの時が初めてではなかったんだと思う、
バッテリーが弱ってきたんだったら取り換えればよかったのに、と思うが
裕福とは言えなかったあの頃、そんな簡単におふくろに言い出せなかったのかな、
そう考えたら何とも切ない。
私が今、もし、ハスラーのバッテリーが弱ってきて
「バッテリーを替えたい」 と奥さんに言ったら
「買えばー」と簡単に言うでしょう、
あの頃って極端にべらぼうにバッテリーが高かった訳ではなかったと思う、
でも買えなかった、
それとも、「買わなかった」 のか・・・
現在、足を悪くし施設にお世話になってる親父、
近い内に顔見に行こうかな~。
手回しはー怖い、
私がハナタレ小僧の頃、父親が発動機をかけるのをよく見てました、
フライホイールにちょこっとだけ出たアームを
反動付けてかけてましたっけ、
かかったら今度は長ーいベルトを付ける、
命がけでしたよね、今では考えられない光景です、
あのベルトに塗ってた羊羹のあんちゃんみたいなの、
あれも懐かしい
昔、T社に勤めていた頃、冬場の除雪にハンドブルを使用していました。
ハンドブルとは、トラクターに鉄のキャタピラーを履かせ、排土板を取り付け、石油ディーゼルエンジンで動かすミニブルトーザーです。
始動はクランクレバーで、バッテリーさえ無く、デコンプの無い手回し手動です。
オッカナビックリだと逆が来て、過去に3人ほど手首骨折をやっています。
鉄のキャタピラーだからディーゼルだったんだろうけど、正直恐怖。
外気温は氷点下。
始動前にエンジンに熱湯をかけ、気合で回す。
当然1発ではかからない・・・。
こんな時、エーテルを使うと熱湯をかけなくてもかかる。
これがスターティングフルードでした。
1,000人以上のT社で、ハンドブルのエンジンをかけられるのは、ワシと相馬の二人だけ。
なんとなく懐かしい、古い思い出がよみがえりました。
でも、内心恐怖。