草の実窯だより

岐阜県のはしっこの里山のふもとから おりにふれて陶器や窯や、草木の色や雲の様子や…そよっとふく風のようにお伝えできたら

くり猫のこと

2015-12-15 20:54:30 | 日記
今年は干し柿を作りました。

先月の末、この柿を干そうと日だまりの縁側へ行ったとき、くり猫に異変が起きました。寝そべっているように見えたくり猫を、ちょっとどいてとウッドデッキのほうへ押しやった時、手足をひどく痙攣させはじめ、うんと長く感じたその状態が終わったとき、彼は自力で移動することが出来なくなっていました。


動けなくなってからのくり猫は、何度ももう駄目かと思う時を迎え、そのたびに彼の耳元で一緒に暮らしてくれたことへのありがとうと、いつもそばにいることを伝え続けていたのでしたが、くり猫は生きる意欲を失わず、水や流動食を懸命に飲み、食べては私達を勇気づけてくれました。しかし、12月12日の夜、とても静かに、苦労のないところへ行くことにしたのでした。


くり猫が春先に脱水で倒れてから、くり猫♀(クリネコノハハ)は夜の不自由さを少しは助けたいと一緒に寝ていたのですが、その9か月余りの密接な時間は、大きな苦痛はなかったらしいくり猫からの暖かいプレゼントだったような気がしています。


くり猫♂は、くり猫♂(クリネコノチチ)としての最後の仕事を見事な優しさでつとめてくれました。あまりに穏やかな寝姿なので動かしがたくて、寝かせたままにしてある布団の枕元にやさしい色の椿を飾り、先立ったキャラ猫兄ちゃんの墓のとなりに几帳面な墓穴を掘り、はなやかに送るために脚立を出して高いところの花をとってくれました。


くり猫♂が言う通り、自然に恵まれ、自由気ままに暮らし、大勢の人たちに可愛がっていただいて、20歳までと猫として長生きもできた彼の猫生は、幸せなものだったと思います。

不自由な肉体を脱ぎ捨てたくり猫は、軽やかに宇宙とひとつになり、同じ軽やかさで私達や共に育ったこども達の心のなかへも引っ越しを済ませたようです。
このブログをとおしてくり猫を知り、気にかけてくださっていたかたがた、また草の実窯にいらしたおりにくり猫と親しく触れあってくださったかたがた、ほんとうにありがとうございました。