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第37回上尾市美協展開催

日本画家の関根将雄氏が死去 “告別式参列”

2013-04-20 22:07:46 | 上尾市文化団体連合会
関根将雄先生が死去「埼玉の文化発展に貢献」元埼玉県文化団体連合会会長


                  



私は、平成25年4月11日の葬儀告別式に上尾市美術家協会会長と埼玉県文化団体連合会理事(美術部)
として参列いたしました。告別式は、午前10時30分~12時15分(ご出棺)まで。
 会場:さがみ典礼「やすらぎホール岩槻」にて。




                  


日本画家として大きな功績と埼玉県に尽力、貢献されると共に人間性があり幅広い交流があったことが
よく理解できました
 2013年4月6日(享年93才)に亡くなった、日本画家の関根将雄先生は、1919(大正8)年生れ。
生家は、岩槻藩城代家老職を務めた名家とのこと。旧制、粕壁中学(現春日部高校)在学中に画家を
志したが父親に反対されたが、美術教師になるならと許され東京美術学校(現東京芸大)に入学された
とのことでした。





 戦後は、日展で活躍し、46年に「さとの秋」を出品して初入選。「双楽」(55年)「洗礼」(66年)で特選
 ・白寿賞を受賞した。
 ◆埼玉県在住の洋画家で、日展常務理事・県美術家協会長の塗師祥一郎さんは「伊東深水先生の弟子
 としてその教えを受け継ぎ、人物画を中心に描かれていたとのこと。(共同)



 ◆関根先生と親交があった美術評論家で、元県立近代美術館学芸員の坂本哲男さんは、「関根さんの絵は
 ハイカラな感じがする。ご自身がとても、ダンディーだったことと関係していたのでは」と話す。
 「気さくな人柄で人望もあり、埼玉県文化団体連合会会長として、埼玉の文化発展に対する影響力は大きかった」
 と評価する。

 洒脱(しゃだつ)な文章も書き、埼玉文芸家集団のメンバーでもあった。関根さんの自宅を度々訪れていた同市在住
 の作家・歌人の太田代志朗さんによると、晩年の関根さんは「笑句」と称して俳句に熱中していたという。
 「『筆先もあわれ楽しき九十四』など、人生を振り返りながら、これからも頑張ろうという関根さん独自のダンディズム
 ではなかったか」と話していた。(共同)



                 






        「町田譽曽彦と絵のお話をしたあと」 関根将雄先生自宅にて(2012年夏)

 ■教育・文化振興に尽力/清水勇人さいたま市長の話
 関根将雄画伯は画業の傍ら、旧岩槻市教育委員として、また埼玉県文化団体連合会会長として、教育・文化の
 振興にご尽力いただいた。個人的には県議時代、美術部の講師としてご指導いただいたことが懐かしく思い出さ
 れます。このたびの訃報は市としても大変残念なことであり、ご冥福をお祈り申し上げるとともに、ご遺族の皆さま
 に心からお悔やみを申し上げます。


 ◆日本画家の関根将雄氏が死去◆
 関根 将雄氏(せきね・まさお=日本画家、本名雅雄=まさお)6日午後1時ごろ、老衰のためさいたま市岩槻区
 の自宅で死去、93歳。
 さいたま市出身。葬儀・告別式は11日午前10時半からさいたま市岩槻区本町3の12の12、やすらぎホール岩槻で。
 喪主は長男和雄(かずお)氏。
 55年と66年に日展特選・白寿賞を受賞したほか、文部大臣地域文化功労賞や埼玉県文化功労賞などの受賞歴を持つ。
 91年度から06年度まで埼玉県文化団体連合会会長を務めていた。(共同)
日本画家の関根将雄氏が死去
 関根 将雄氏(せきね・まさお=日本画家、本名雅雄=まさお)6日午後1時ごろ、老衰のためさいたま市岩槻区の自宅で
 死去、93歳。さいたま市出身。葬儀・告別式は11日午前10時半からさいたま市岩槻区本町3の12の12やすらぎホール
 岩槻で。喪主は長男和雄(かずお)氏。
 55年と66年に日展特選・白寿賞を受賞したほか、文部大臣地域文化功労賞や埼玉県文化功労賞などの受賞歴を持つ。 
 91年度から06年度まで埼玉県文化団体連合会会長を務めていた。(共同)

 (アルベルト譽)

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