前回までのあらすじ。南雲は航空爆撃を防ぐために、米兵の死体を刀で固定して生きているように見せた。
八日目朝。
竹田に行かせた。立てひざのやつをみせるんだ。米軍司令官はおもむろに地雷探査係が斧で一家五人を、惨殺した事件を説明する。
米軍医 検死書類を書けない。
「進軍を片側だけにして」
米軍医 地雷探査係二〇〇人。
午前九時。西側にだけ部隊がきた。
長野君 西側は海側の下板、山側の上板(高台になっている)にわかれてます。
「一枚板に変換できるね」
長野君 はい。変換しました。
米軍医 倫理協定。午後五時に三一人。明日代表一名。
「僕がか」
午後五時。東側に米兵を乗せたトラックが来た。斬り込み(鋼鉄線の全身よろい兵士かよろい)で近づくとすぐに投降。
「来たは目の前に来たときだけ漢字」
M 死亡二〇〇名。捕虜三一名っ。
九日目朝。
僕が捕虜三一名を連れて司令室に行く。軍医二人とH.スミス(米国海兵隊中将)がいる。
「他に捕虜や負傷兵はいないのか」と孫タイテンが問いかけてきた。
「同時通訳できる茶髪イギリス人カメラマンが曲射砲部隊の写真を撮ってる」と答えた。H.スミスが
「フイルムの残りが少ないだろう」と言う。捕虜の受けとり証とタクシーチケットをくれた。明日から東側にタクシートラックがくるようだ(解放された捕虜の受けとり用)。東海岸の先に海水蒸留装置がある。海水蒸留装置を破壊されると終わりだから助かった。今日から東側は中立地帯。スーツを着た男からフイルムと、細いベルトを受けとって帰る。
「長野君、イギリス人の解説して」
長野君 茶髪イギリス人は日本の映画会社で働いていて日本語字幕を考えながら、写真を撮るそうです。細いベルトがタオルですね。
タッポーチョの頂上で孫タイテンが手を振っている。サインボードの束を下に置いて去った。
「今日は、なにをやるんだ」
米軍医 新兵の訓練。
昭和一九年六月。アメリカ海兵隊ラスク・ドナルド中尉三〇歳はサイパン島で戦っていた。その日ラスクは、志願兵二〇名と囚人兵二〇名の混成部隊を率いて、前線を突破して二〇〇m進軍して、草を焼いてから捕虜になる任務だ。日本兵とのサインは「細いベルト」で囚人兵に、見抜かれないように、直前まで上着をズボンの外へ出すように指示していた。ラスクの混成部隊は前線を超えて二〇〇m地点に着く。囚人兵三人が火炎放射器で草を焼き始める。しかし囚人兵も上着をズボンの外に出していて見わけがつかない状態だった。するとよろい装備の日本兵が小走りに近づいてくる。五〇mぐらいに近づくと、ぶら下げるように持っていた軽機銃で火炎放射器の三人を続けて撃った。ラスクは全員に武器を、捨てるように指示する。日本兵は後ろ向きで三〇mくらい歩きながらついてくるように合図していた。ラスクと三七名が高さ二mぐらいの穴までついていくと、入り口に日本兵が立っている。入り口の日本兵はベルトを確認すると、囚人兵に一〇ドル紙幣を渡して「チェンジャー」と言って、もうひとつの穴へ行くように指示していた。ラスクが一番後ろで見ていたらもうひとつの、穴の前で、別な日本兵がなにかの値段を書いたボードで説明している。最後の囚人兵がそこへ向かうと、穴から軽機銃を持った日本兵が出てきて囚人兵は全員射殺された。
斬り込みが新兵を機銃で撃つ。
「わざわざ二人で一人を撃つな」
「入社式の会場で暴動。全員射殺だ」戦車のなかになん人いるんだ。
「負傷兵は射殺して」海岸で高年の陸軍将校が、ピストルで負傷兵の頭を撃ち抜いている。
M 死亡一二三名。捕虜一七三名っ。
米軍医 水を一杯やって。
つづく