今年の11月下旬から、このブログでも紹介したキング・クリムゾンの来日公演が始まる。良い機会なので過去に行ったコンサートの感想を述べたい。私は5回、キング・クリムゾンのライブをこの目で見て、その素晴らしい音楽を生で聴いたわけだが、どれもとても満足のいく内容だった。その全てが一生の思い出に残るほどに感慨深い音楽体験だ。初来日の1981年から1984年、1995年、2000年、2015年の計5回だが、今回は初来日の1981年の来日公演を取り上げる。
この時の来日メンバーはロバート・フリップ、ビル・ブラフォード、トニー・レヴィン、エイドリアン・ブリューの4人。日本でも人気の高い大物ミュージシャンの初来日ということもあり、会場は超満員の大盛況であった。このファンの歓迎ぶりは、1974年に正式に解散していたキング・クリムゾンが再結成し、新たなメンバーで「ディシプリン」という非常に完成度の高い新作をリリースした衝撃を引っ提げての来日だったことが大きい。
新しく加わったメンバーはベースとヴォーカル担当のトニー・レヴィンとギターとリード・ヴォーカル担当のエイドリアン・ブリューだが、この2人はアメリカ人であることから、歴代メンバーが全てイギリス人だった過去とはかなり趣を異にしている。またそればかりか音楽的にも大きな変化を遂げた。当時のロック・シーンは民俗音楽の再評価が高まっていた時期であり、メッセージやメロディーよりもリズムが注目され重視されていた。そんな時代的潮流の中、全世界を震撼させるほどのインパクトを与えた音楽作品は1980年にブライアン・イーノのプロデュースでトーキング・ヘッズがリリースしたアルバム「リメイン・イン・ライト」である。そしてこのアルバムにサポートメンバーとして参加し鋭いギタープレイで大活躍していたのがエイドリアン・ブリューなのだ。要は彼は、トーキング・ヘッズからキング・クリムゾンに抜擢されたようなものである。
キング・クリムゾンの中心人物はファーストアルバム「クリムゾンキングの宮殿」からずっと在籍しているロバート・フリップだが、彼曰くこの「ディシプリン」というアルバムはスタジオ録音した作品の中ではベスト3に入る名作らしい。収録されている全7曲はどれも迫力ある曲ばかりで、民俗音楽へのアプローチも極めて誠実な印象を受ける。私が特に魅かれるのは、ビル・ブラフォードが叩く自家製のガムラン風の打楽器が清々しい「シェルタリング・スカイ」と「ディシプリン」である。「シェルタリング・スカイ」は映画にもなった北アフリカの砂漠を舞台にしたポール・ボウルズ原作の小説世界を音で表現したような雄大かつ玄妙な曲だ。アルバムタイトルにもなっている「ディシプリン」は同じリズムと旋律が反復されながら進化していくような曲で、1981年の初来日公演では最初に演奏された。私は今でもこの時の情景を鮮明に覚えていて、薄暗い照明のステージにロバート・フリップが制作した環境音楽がBGMで流れている中、メンバー4人が静かに登場し「ディシプリン」の演奏が始まったのだ。
この初来日公演ではニューアルバム「ディシプリン」からの全曲と、聴いたこともない完全な新曲が3曲、そしてキング・クリムゾンの過去の有名なレパートリーから「レッド」と「太陽と戦慄PARTⅡ」が演奏された。またビル・ブラフォードのドラムソロも時間をかけて披露された。これがまた垂涎もので、なぜなら、それ迄プログレッシヴロックの重鎮バンドで来日していなかったのはキング・クリムゾンだけであり、EL&Pのカール・パーマー、イエスのアラン・ホワイト、ジェネシスのフィル・コリンズ等の演奏技術の高いドラマーで未だ見ぬ強豪は彼一人だけだったからだ。そしてそれはギタリストのロバート・フリップにも云えたことである。未だ見ぬ強豪ギタリストの彼のソロ演奏は比較的少なかったのだが、ギター・シンセサイザーの導入でギターらしからぬ様々な音色を鳴らしていた。キング・クリムゾンはデビュー以降、フルート、サックス、ヴァイオリン、ストリングス系のメロトロンといった、バラエティに富んだ様々な楽器を楽曲に取り入れていたのだが、それらを補って余りある表現の底力を感じた。これは当時の最新鋭の技術環境を意欲的に導入していた証拠で、この辺りはメロトロンが1970年代前半においてはオーケストラの音色を独特なテイストで表現できる最新鋭の楽器だったことも考えると、キング・クリムゾンが時代に関わらず音楽表現において技術革新に肯定的なグループだということが理解できる。
演奏時間は約2時間弱ほどだったと記憶しているが、あれよあれよという間に終わってしまった。実に名残惜しく儚い時間だった。確かこの来日公演はどこも満員御礼だったはずである。ただ再結成したキング・クリムゾンに首を傾げたファンも少なからずいたのも事実で、そういう人々の大半はリードヴォーカルに対する違和感が多かったようだ。確かにエイドリアン・ブリューの声質は、グレッグ・レイクやジョン・ウェットンといった重厚な低音を響かせるタイプとは違う。またボズ・バレルという狂気を感じるような凄みのある叫びを表現できるタイプでもない。しかし、低音の魅力や狂おしい迫力には欠けていてもアメリカ人らしい伸びやかで大陸的な広がりのある声や、演劇的な語り口調はこれまでのキング・クリムゾンには無かった要素であり、新風を巻き込むことに成功していたように思う。またライブでの歌も上手かった。そしてトニー・レヴィンのベースも、前任のジョン・ウェットンのようなアグレッシブなスタイルではないが、堅実かつ独自性のあるスタイルで新曲にも旧曲にも上手くマッチングしていた。特に彼が操るスティックというベースと琴が合体したような新しい楽器も存在感が抜群だった。
以上のような次第で、私は1981年の12月にキング・クリムゾンの初来日公演に遭遇したわけだが、驚いたことにこの当時のコンサートの模様がライブ盤として発売されている。これはコレクターズクラブと名打ったコンサート記録をシリーズ化した商品の一つである。そしてロバート・フリップは、ディシプリン・グローバル・モビールというキング・クリムゾンの音楽を含めた全存在価値を扱う企業形態の創始者でありその代表だ。今年来日するメンバーは前回の2015年の7人編成からジェレミー・ステイシーというドラマーが増えた8人編成になっている。この人はプライベートではピアノの先生もしているということで、ドラムだけではなくキーボードの演奏も兼ねる。しかも彼が加入してからのライブ活動では「ディシプリン」も含めた1980年代の楽曲も演奏されている。これは期待大ではないか。実際にリリースされた2016年のウィーン公演や2017年のシカゴ公演のライブ盤を聴くと、1980年代の楽曲が新しいアレンジで魅力的に蘇っていることを確認できる。
今のキング・クリムゾンは全ての時代の楽曲を厳選して公演日ごとにセットリストも変えてきており、自分が聴きたい曲を漏れなく聴くには複数回、コンサート会場に足を運ぶしかない。事実、前回の2015年の来日公演では全公演を体験した猛者もいたようだ。今年は前回よりも日時と場所が増えている。北海道、東北の仙台、北陸の石川、首都圏の東京、近畿圏の大阪、中国圏の広島、九州の福岡とまさに日本縦断である。首を長くして彼らの来日を待ちたい。
この時の来日メンバーはロバート・フリップ、ビル・ブラフォード、トニー・レヴィン、エイドリアン・ブリューの4人。日本でも人気の高い大物ミュージシャンの初来日ということもあり、会場は超満員の大盛況であった。このファンの歓迎ぶりは、1974年に正式に解散していたキング・クリムゾンが再結成し、新たなメンバーで「ディシプリン」という非常に完成度の高い新作をリリースした衝撃を引っ提げての来日だったことが大きい。
新しく加わったメンバーはベースとヴォーカル担当のトニー・レヴィンとギターとリード・ヴォーカル担当のエイドリアン・ブリューだが、この2人はアメリカ人であることから、歴代メンバーが全てイギリス人だった過去とはかなり趣を異にしている。またそればかりか音楽的にも大きな変化を遂げた。当時のロック・シーンは民俗音楽の再評価が高まっていた時期であり、メッセージやメロディーよりもリズムが注目され重視されていた。そんな時代的潮流の中、全世界を震撼させるほどのインパクトを与えた音楽作品は1980年にブライアン・イーノのプロデュースでトーキング・ヘッズがリリースしたアルバム「リメイン・イン・ライト」である。そしてこのアルバムにサポートメンバーとして参加し鋭いギタープレイで大活躍していたのがエイドリアン・ブリューなのだ。要は彼は、トーキング・ヘッズからキング・クリムゾンに抜擢されたようなものである。
キング・クリムゾンの中心人物はファーストアルバム「クリムゾンキングの宮殿」からずっと在籍しているロバート・フリップだが、彼曰くこの「ディシプリン」というアルバムはスタジオ録音した作品の中ではベスト3に入る名作らしい。収録されている全7曲はどれも迫力ある曲ばかりで、民俗音楽へのアプローチも極めて誠実な印象を受ける。私が特に魅かれるのは、ビル・ブラフォードが叩く自家製のガムラン風の打楽器が清々しい「シェルタリング・スカイ」と「ディシプリン」である。「シェルタリング・スカイ」は映画にもなった北アフリカの砂漠を舞台にしたポール・ボウルズ原作の小説世界を音で表現したような雄大かつ玄妙な曲だ。アルバムタイトルにもなっている「ディシプリン」は同じリズムと旋律が反復されながら進化していくような曲で、1981年の初来日公演では最初に演奏された。私は今でもこの時の情景を鮮明に覚えていて、薄暗い照明のステージにロバート・フリップが制作した環境音楽がBGMで流れている中、メンバー4人が静かに登場し「ディシプリン」の演奏が始まったのだ。
この初来日公演ではニューアルバム「ディシプリン」からの全曲と、聴いたこともない完全な新曲が3曲、そしてキング・クリムゾンの過去の有名なレパートリーから「レッド」と「太陽と戦慄PARTⅡ」が演奏された。またビル・ブラフォードのドラムソロも時間をかけて披露された。これがまた垂涎もので、なぜなら、それ迄プログレッシヴロックの重鎮バンドで来日していなかったのはキング・クリムゾンだけであり、EL&Pのカール・パーマー、イエスのアラン・ホワイト、ジェネシスのフィル・コリンズ等の演奏技術の高いドラマーで未だ見ぬ強豪は彼一人だけだったからだ。そしてそれはギタリストのロバート・フリップにも云えたことである。未だ見ぬ強豪ギタリストの彼のソロ演奏は比較的少なかったのだが、ギター・シンセサイザーの導入でギターらしからぬ様々な音色を鳴らしていた。キング・クリムゾンはデビュー以降、フルート、サックス、ヴァイオリン、ストリングス系のメロトロンといった、バラエティに富んだ様々な楽器を楽曲に取り入れていたのだが、それらを補って余りある表現の底力を感じた。これは当時の最新鋭の技術環境を意欲的に導入していた証拠で、この辺りはメロトロンが1970年代前半においてはオーケストラの音色を独特なテイストで表現できる最新鋭の楽器だったことも考えると、キング・クリムゾンが時代に関わらず音楽表現において技術革新に肯定的なグループだということが理解できる。
演奏時間は約2時間弱ほどだったと記憶しているが、あれよあれよという間に終わってしまった。実に名残惜しく儚い時間だった。確かこの来日公演はどこも満員御礼だったはずである。ただ再結成したキング・クリムゾンに首を傾げたファンも少なからずいたのも事実で、そういう人々の大半はリードヴォーカルに対する違和感が多かったようだ。確かにエイドリアン・ブリューの声質は、グレッグ・レイクやジョン・ウェットンといった重厚な低音を響かせるタイプとは違う。またボズ・バレルという狂気を感じるような凄みのある叫びを表現できるタイプでもない。しかし、低音の魅力や狂おしい迫力には欠けていてもアメリカ人らしい伸びやかで大陸的な広がりのある声や、演劇的な語り口調はこれまでのキング・クリムゾンには無かった要素であり、新風を巻き込むことに成功していたように思う。またライブでの歌も上手かった。そしてトニー・レヴィンのベースも、前任のジョン・ウェットンのようなアグレッシブなスタイルではないが、堅実かつ独自性のあるスタイルで新曲にも旧曲にも上手くマッチングしていた。特に彼が操るスティックというベースと琴が合体したような新しい楽器も存在感が抜群だった。
以上のような次第で、私は1981年の12月にキング・クリムゾンの初来日公演に遭遇したわけだが、驚いたことにこの当時のコンサートの模様がライブ盤として発売されている。これはコレクターズクラブと名打ったコンサート記録をシリーズ化した商品の一つである。そしてロバート・フリップは、ディシプリン・グローバル・モビールというキング・クリムゾンの音楽を含めた全存在価値を扱う企業形態の創始者でありその代表だ。今年来日するメンバーは前回の2015年の7人編成からジェレミー・ステイシーというドラマーが増えた8人編成になっている。この人はプライベートではピアノの先生もしているということで、ドラムだけではなくキーボードの演奏も兼ねる。しかも彼が加入してからのライブ活動では「ディシプリン」も含めた1980年代の楽曲も演奏されている。これは期待大ではないか。実際にリリースされた2016年のウィーン公演や2017年のシカゴ公演のライブ盤を聴くと、1980年代の楽曲が新しいアレンジで魅力的に蘇っていることを確認できる。
今のキング・クリムゾンは全ての時代の楽曲を厳選して公演日ごとにセットリストも変えてきており、自分が聴きたい曲を漏れなく聴くには複数回、コンサート会場に足を運ぶしかない。事実、前回の2015年の来日公演では全公演を体験した猛者もいたようだ。今年は前回よりも日時と場所が増えている。北海道、東北の仙台、北陸の石川、首都圏の東京、近畿圏の大阪、中国圏の広島、九州の福岡とまさに日本縦断である。首を長くして彼らの来日を待ちたい。