■■■■■
帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
国文学が無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直している。古今和歌集の歌には多重の意味があり、その真髄は、公任のいう「心におかしきところ」である。人のエロス(生の本能・性愛)の表現で、俊成がいう通り、歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる。
歌のエロスは、中世に秘事・秘伝となって「古今伝授」となり、やがて、それらは埋もれ木の如くなってしまった。はからずも、当ブログの解釈とその方法は「古今伝授」の解明ともなるだろう。
古今和歌集 巻第五 秋歌下 (254)
(題しらず) (よみ人しらず)
ちはやぶる神なび山のもみぢばに 思ひはかけじうつろふ物を
(題知らず) (読み人知らず・女の歌として聞く)
(ちはやぶる神の座す山の紅葉に、思いを掛けまい、やはり・衰え枯れるのだから……血早振る上の貴身の激情の山ばの、も見じ端に、思いを懸けないわ、衰え涸れゆくのですもの)
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「ちはやぶる…神の枕詞…千早振る…血早振る…勢い盛んな人」「神…かみ…上…上に乗ってる男」「神なび山…神の鎮座する山…上な火山…上の男の激情の山ば」「び…火…激情のたとえ」「もみぢ葉…秋の木の葉の色…厭きの男の身の端の色情…も見じ端…もう見ない身の端」「見…覯…媾…まぐあい」「じ…打消しを表す」「うつろふ…悪い方に変化する…衰える…枯れ落ちる…涸れ逝く」「物を…感嘆・詠嘆を表す」。
ちはやぶる神の鎮座する山のもみじ葉にも、思いは掛けない、やはり枯れ落ちるのだからなあ。――歌の清げな姿。
血気盛んな上のお人の激情の山ばの、飽きの色情の身の端にも、思いは懸けないわ、あっけなく衰え逝くのだから。――心におかしきところ。
匿名の女歌三首は、おとこの盛りの、早い移ろいを、心におかしく表現した歌だろう。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)