帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第五 秋歌下 (254)ちはやぶる神なび山のもみぢばに

2017-07-15 20:52:34 | 古典

            


                        帯と
けの古今和歌集

                      ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直している。古今和歌集の歌には多重の意味があり、その真髄は、公任のいう「心におかしきところ」である。人のエロス(生の本能・性愛)の表現で、俊成がいう通り、歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる。

歌のエロスは、中世に秘事・秘伝となって「古今伝授」となり、やがて、それらは埋もれ木の如くなってしまった。はからずも、当ブログの解釈とその方法は「古今伝授」の解明ともなるだろう。

 

古今和歌集  巻第五 秋歌下254

 

(題しらず)               (よみ人しらず)

ちはやぶる神なび山のもみぢばに 思ひはかけじうつろふ物を

(題知らず)                (読み人知らず・女の歌として聞く)

(ちはやぶる神の座す山の紅葉に、思いを掛けまい、やはり・衰え枯れるのだから……血早振る上の貴身の激情の山ばの、も見じ端に、思いを懸けないわ、衰え涸れゆくのですもの)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「ちはやぶる…神の枕詞…千早振る…血早振る…勢い盛んな人」「神…かみ…上…上に乗ってる男」「神なび山…神の鎮座する山…上な火山…上の男の激情の山ば」「び…火…激情のたとえ」「もみぢ葉…秋の木の葉の色…厭きの男の身の端の色情…も見じ端…もう見ない身の端」「見…覯…媾…まぐあい」「じ…打消しを表す」「うつろふ…悪い方に変化する…衰える…枯れ落ちる…涸れ逝く」「物を…感嘆・詠嘆を表す」。

 

ちはやぶる神の鎮座する山のもみじ葉にも、思いは掛けない、やはり枯れ落ちるのだからなあ。――歌の清げな姿。

血気盛んな上のお人の激情の山ばの、飽きの色情の身の端にも、思いは懸けないわ、あっけなく衰え逝くのだから。――心におかしきところ。

 

匿名の女歌三首は、おとこの盛りの、早い移ろいを、心におかしく表現した歌だろう。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)