6月7日
<三笠宮寛仁さま ご逝去>
6月6日 20時29分
天皇陛下のいとこで「ひげの殿下」として知られる三笠宮寛仁さまは、
のどのがんの手術を受けたあと入院を続けていましたが、
容体が悪化して6日午後3時35分亡くなられました。
66歳でした。
<7日から弔問の記帳受け付け>
赤坂御用地にある寛仁親王邸では、7日から当分の間、
一般の人たちの弔問を受け付ける記帳所が設けられます。
記帳は、▽7日は午前10時から午後7時まで、
▽8日以降は午前9時から午後7時まで
受け付けられます。記帳を希望する人は、赤坂御用地の南門から
徒歩で入門することになっています。
寛仁さまは、昭和21年1月5日、三笠宮家の長男として誕生されました。
天皇陛下のいとこにあたられます。
みずからを「福祉の現場監督」と呼び、福祉団体の会長を務めて障害者の
自立を支援したり、学生時代に磨いた技術を生かして障害者のスキーの指導に
当たったりするなど、障害者福祉に積極的に取り組まれてきました。
また、日英協会や日本ノルウェー協会の名誉総裁として国際親善に務める一方で、
がんの研究基金の総裁としてがんの撲滅運動にも取り組まれてきました。
ご自身もがんとの闘病が長く、平成20年の手術では声を出すことができなくなり、
人工喉頭と呼ばれる器具をのどに当てて会話をされるようになりました。
去年5月には、東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県を訪れて
被災した人たちを励ますなど、
去年まで精力的に公務を続けられていました。
NHK (抜粋)
私が、野外でのコンサ―トで指揮をした時がありました。
その時、お忍びで目の前のバルコニ―におひとりで座られ、
ご覧になっていらっしゃいました。
何度かふと、空を見上げながら振った時に目に入るお姿が蘇りました。
国民のひとりとして、こころよりのご冥福をお祈り申し上げます。
今日も見に来てくださってありがとうございます