風と花とわたし 〜

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肌で感じる時代の変化 続く引退 斎藤佑樹選手も引退式

2021-10-18 16:42:01 | 日記

2021年10月18日

 

 

ぐっと気温が下がって、

電気ストーブを出して暖を取った昨夜。

 

日も短くなり、少しずつ秋の淋しさを感じる頃となりました。

 

そんな中、衆議院選挙が今月末。

 

野球界では、

日本ハムの栗山秀樹監督

ソフトバンクの工藤公康監督

相撲界では、

横綱白鵬 が引退。

ひとつの時代を作った人達が去っていく。

 

更には、異例のお相手との異例な経緯での皇族のご結婚。

原因があって、長い時間を経ての結果ですから、

驚きもありませんが、あの時さえ…と思う残念な悔しい想いと、

今後の皇室の在り方さえも揺らいでしまうのではという危機感を

感じてしまいます。

 

そして中でも、日本ハム 斎藤佑樹選手(33)の引退は、

その時が来たのか…と時代の変化をより一層感じ。

 

斎藤佑樹選手も、もう、33歳でしたかあ。

2019年には結婚もされて。

 

早稲田実業学校高等部3年生の夏。

甲子園に投手として出場。

お尻の後ろポケットから四角にたたまれた青いハンカチを出して、

顔の汗を拭う様子から“ハンカチ王子”と呼ばれ、

試合も決勝戦へ。

決勝戦は、田中将大との投手戦。

延長15回でも決着がつかず、引き分け再試合。

翌日の再試合で先発を志願し4連投。

息詰まる中、最後のバッターボックスには田中君。

あの時、テレビ画面には、田中君の何とも言えない横顔が

大きく映され、それに比べ、斎藤君は顔色ひとつ変えずに

バッターに向かっていた映像が今でもはっきりと思い出され、

偶然にも先日テレビで放映されている時には、

瞬時にあの時が思い出され、感動が蘇ったことが驚きでもあり、

やはり、斎藤佑樹君は、紛れもない、野球人として、

私達を魅了した人物だったのだと改めて実感しました。

 

そして、試合は、田中君を三振に打ち取って13奪三振。

早実は夏の甲子園で初優勝。

この大会での投球回69、投球数948はどちらも一大会に

おける記録としては史上最多、一大会における奪三振78は、

1958年の板東英二(徳島商業高校)の83個に次いで歴代2位。

 

その後、大学野球へと進み、早稲田大学野球部へ。

大学時代も数々の活躍を重ね、記録を作り、

輝く栄光は  Wikipedia 

2010年に4球団から1位指名をされ、日本ハムへ。

そこからは、2軍生活。怪我。そして、世間からの誹謗中傷。

 

長い11年という歳月を、よく、耐えて、引退を決められて、

素晴らしいです。

普通の人なら、3、4年で辞めていることでしょう。

 

引退式も王貞治さんはじめ、たくさんの人達から

温かいメッセージや花束が送られ(田中将大選手からも)、

斎藤佑樹選手の栄光と慕われ愛される人柄ということを

教えてもらいました。

 

早稲田実業高等部の野球部練習場の近くに住んでいた子供時代。

詰め襟に角帽の選手の人達が、きちんと整列して、

最寄り駅から練習場まで行き来する姿は、地元民の誇りでした。

 

本当に、お疲れ様でした!

そして、月並みですが、感動をありがとうございました。


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