オウムの人々が、死刑になった。
サリンで殺された人たちは、問答無用に殺された
坂本弁護士さんや子供に何の罪があったろう
奥さんにも
なのに、
オウムの人たちが死刑になることを残酷だと世界がざわめく
殺された人たちには裁判を受ける時間も、殺されなければならない理由の説明も
死を待つ何十年もの時間もなく、すぐに殺された
たくさんの人を不幸にしてきたこの宗教団体の教祖を
どうして「理由を言うまで生かしておく」必要があったと言うのか
人を殺す行為に至った理由などない
人を殺したかったから 殺した それだけだ
理由なんて聞く必要なんかない
周りがわるかったから?
社会がわるかったから?
だったら、
罪のない人たちを、
宗教上の理由で殺してもいいのだろうか。
殺人も犯罪も、ひとえに その殺人者と 犯罪者が行うものであって
なんの理由があったからといえ、それが「仕方ないこと」「理由があるもの」と処理するべきではない
だって殺されるひとには、「殺されるべき理由なんてない」のだから。
問答無用に殺されるのだから。
殺人者には人権なんかなくていい
殺人された人に、人権がなかったからだ。
なんの理由もなく殺された人に、人権があったのか
人の命を奪っておいて自分の人権を主張するなんておかしい。
なんで、あいつらを守るようなこと 言うんだ。
私は覚えている
テレビが、報道が、いかにオウムを すごいもの、なにか崇高なものがありそうな 組織、宗教団体だと
みせかけたことを
北野武が、麻原を褒めたことも
報道は
メディアこそが
あれを巨大に仕立て上げた 一つの勢力だと思う。
なにかを偉大なものに仕立て上げる
今もたった今も、そういうことがなされている
スターでない人をスターにして
偉大でない人を 偉大にみせかけ
人気のないものを 人気者にみせかけて。
報道は 害悪だ。
報道は、害悪だ。