自分たちは
家畜であったし
今も家畜である
同じ人間の
おなじ人間なのに
家畜を飼っていると自覚している人間と
家畜として飼われていると 自覚していない人間(と 自覚している人間)
とにわかれている。
家畜であることに気づいていない人間は
幻想の中で喜び 楽しみ 生き 死ぬことで良いと思っている
仕方ないとおもっている
殺されても
金儲けされても
人権を破壊されても
しかたない
抗えない
だから、幻想のまま
騙されているほうが得だと思っている
中には、自分は家畜の中では上のほうだから
他の家畜よりも上だからいいと思っている
なんなら他の家畜を押さえつけ 自分も家畜を飼う側に立って
他の家畜から儲けたり 他の家畜を殺したり 踏みつけにして
飼育者にとりいって より快楽に生き延びようとしているものもいる
知らないで犠牲者になっても、
自分たちは自立した存在で、自由意志で生きられて、楽しいことがいっぱいある。誰かに作られた幻想を生きて 喜び 楽しみ 苦しみ 死ぬことが
本望だと思い込みたい人々が大勢を占めるなかで
真実に気づいて
自分が蟷螂の斧を振り翳しているだけで
飲み込まれる小さな存在であっても
真実を知りたいと思っている人々は
苦しんだとて、一矢報いたいという思いで行動する
信じられないような支配の強化でもって
思ったことを 思わないと否定せねばならぬ
思うことも 禁止される
幻惑されて 自分が考えていることが支配されていることも知らぬ
生き物になっていくことを
誰もが信じられないでいる
信じられないような戦争を 私たちは仕掛けられた
私たちは 自分の身体に侵入されて、侵されて
戦いは お互いに やらされているんだ
戦いは 市民の暮らしの中に投下されて
その戦いを生きていることに 気づかずに
侵略されて 殺されて 数十万人が不自然に死んでも
お金のために 人間らしい健康な生活を
人とのコミニュケーションを 家族とともの生活を奪われても
気づくことができずに
誰かの言っていることが正しいと信じ込んでいる
自分の心の声を聞けずにいる
目を輝かすこともできず
のたのたと 毎日を 生きる
私たちは 家畜であることに気づかないで
生きていくことを 望んでいるのだろうか
事実は知りたくないのか
現実を 歪めて伝える 媒体に翻弄されて
現実を現実として認識できずに過ごす
誰もが他人事
誰もが他人事
家族のことも他人事
自分のことさえ 他人事
そうやって
牛のように
豚のように
どこかで 密かに処分されているとも知らずに。