ネコのヒトビト

ネコにまつわるヒトビトについてのお話等

人道に対する罪

2022-02-14 07:45:26 | 思ったこと
人道に対する罪
という言葉が、
なんとなく意味がよくわからなかったのだが、
この数日、

関連の記事
(見も知らぬいろいろな人が翻訳したり、情報を提供してくれるのでありがたいです)を読んでいて、なんとなくわかってきた。
法律(裁判)が開かれない、既存の裁判所が動かない、
あるいは「法律に規定がない」場合
人道(だれもが、人だったら知っている、あるいは人として生まれたからには自ずと持っているはずの善悪の基準)に対する罪を裁く
という手続きが、アメリカにおいて認められているらしい。
裁判所からでて
大陪審というのは、要するに
人民による  人民のための 裁判 
ということなのだ。

ライナー・フェルミッヒさんが早い時期から登場していながら、
なかなか裁判が開かれなかったのは、
あちこちで訴訟を起こしても、なかなか裁判がひらかれなかった
という経緯がある。
要するに
裁判所もあちら側で、人民の側には立っていないということ。
お金による腐敗。

おかしいですよね
みな ひとりひとり、「人民」であることにかわりはないのにね。
どれも人。だれもが人。
でも、だれかがだれかの支配をする。
だれかが、だれかの「自由を拘束する権利がある」と 勘違いしている
そんな世界。

すくなくとも、私の知っている世界は、
だれもが「だれかの健康、健やかで心穏やかに過ごせるように」
一人一人が、この世の中をよくしていくために尽くす、
その一つ一つの努力が、世界をだんだんよくしていく
という世界
それが、普通だと
それが、進んでいかなければ、というふうに
みんな 思っているものだと思ってた
だから、病院でも在宅でも、介護や、治療について
みんなよく勉強していたし、だれも上からなにかを与えるという
感覚ではなくなってきていた、と思っていた。
でもそうじゃなくて、

今みたいな世界が、隣にあって、
いつでも赤が黒になったり
青が白になったり、
とんでもない変化をする可能性を秘めていたんだなあと
今更になって思う。

昨日、
和の町医者 長尾和弘先生のニコニコ動画を見た。
テレビに出ている「専門家」や厚生省の偉い人、
ダイアモンドプリンセス号の件に関わったお医者さん、
多くの責任者と、実は知り合いだったり、仲良しだったりしたというのだ
でも、
今先生が行っている活動についてはまったくの無視だそうだ。
なにを言っても通じないのだと。
それが悩みだという。

お医者様になる、あるいは厚生省に入るというのは
志あってのことだろうし、
だれも、苦労して誰かを不幸にしたいなんて思わ無いはずなのに
どうして、ここまでひどいことを、できるんだろう?と
不思議に思う。

どこかの国で、行われていたことが
いま眼前に迫っていることで
はっと気づく

テロとの戦い、という言葉で
イラクや、アフガニスタン などで行われている
米軍の人殺し作戦を「自分の安全を護るためなのだから、反対しても仕方ない」と思ってなかったか?と思う。
どこでも
どこで起こっていても
それは罪であり、
それは 私たち一人一人に対する「侵略行為」なんだと
それに気づけていなかった。
だれかが誰かを傷つけたり、だれかを拘束して、自由を奪ったりする
正当性がないのに、それが当然だと主張する。
そんな
理不尽な動きに対して、
NO
と言えなければ
だれかが、
だれかが、なるのは しかたない
というメンタリティが、もう古いのかもしれない。

人類として進歩しなければ

人類としての、進化を問われている時なのだと思う。

何ヶ月か前
知り合いに電話した
「ワクチンしましたか」
「しましたよ」
「大丈夫でしたか」
「大丈夫。」
「なかには具合が悪くなる人もいるかもしれないけど、わずかでしょう」


最初からちがっていた
マスクの時から、
人を入れた時から。
マスクを送って、
防護服を送って

すべての動きが。
その理屈が。

どうして、それに気づか無いのか
どうして、それが薄まっちゃうのか。
よくわからない。

人として無視されているのが今の状態。
人間としての権利が、無視されている。
人間として、国民としての権利が、無視されていることに
みんな気づか無いふりをして
その日をやり過ごしている。

自分の心も人の心も無視している。

こんな人の心の動きを、全力でもって、そうなるように
誘導した
ひとのこころをここまで壊した。
これこそが、
人道に対する罪




最新の画像もっと見る