今、自宅にいる。
自宅は、田舎の自宅。
数ヶ月前は、都会にある建築物(マンション)に住んでいた。
事情があって、そこに引っ越したのは7年も前
田舎の家を置いて、私たち家族は猫をつれて、
そこへ引っ越した
私は自然の環境が好きだったので
都会に住むことになると思っていなかったので
どうしても違和感があった。
白い壁紙の部屋で
毎日、どうしてここにいるんだろうと思っていた。
今は、こうして古い方の自宅にいろんなひとの援助を受けて住んでいる
どういうわけか、というか、
コロナの時代がきたから、どうしてもこちらにこなければ
私の心が崩壊寸前だった。
ある日、白い壁の家にいる。
LEDの電気で煌々と照らされた室内はどこにも逃げ場がない
窓をあけると、どこまでもコンクリートで覆われた世界が広がっている
これだけ、たくさんのひとが住んでいるのに、なぜ?と思う
どうして、こんなことが罷り通るのだろうと
見知らぬ人しかいない見知らぬまちの
白い部屋で、
自分は、今までのことを捨て去って
「生きる」
生きるってなんだろう?
あたたかな木の温もりや、
慣れた場所 慣れた顔
自然の季節の匂いをかぎながら、四季を感じながら、過ごすことが
なぜでき無いんだろう?
食べ物と水と、寝床と、白い部屋があれば、生きていけはするけれど
それが、生きているなのか
切り花の気分
根っこがないのだ。
そして、毎日目がさめる
ここはどこ?
わたしはだれ?
施設に入った親戚のおばさんの話を聞いて、
人の人生は容易でないな、と思った。
自分の入る施設を決めるんだと彼女は言っていた。
それは、まもなく実現してしまった。
認知症という診断がくだって
彼女の一人暮らしは、強制的に終了した。
彼女の娘は、
「主治医の先生は、俺にまかせておけって言ってくれましたから」
「今は歩け無いんですよ」
つい最近まで歩けたのに・・
病気が進んだから?
久しぶりに会話した 叔母は前と変わらぬ声
会って見なければわからないけれど、
ふらつき、転倒する可能性があると言われている
副作用のある薬を処方されている。
あの小さな体に、規定通りの処方量
それが原因だと、言い切れるわけではない。
でも、それは・・・
「歩け無いから、介護3になれば、これから特別養護老人ホームへ申請が出来ると思います」
娘さんは、そう言った。
それからいくら連絡してもつながらない。
あの、白いマンションの部屋に住むことがなければ
お年寄りが、施設に入るということの
意味が、身に染みてわからなかった。
自分ごとと考えられなかった。
施設に入るという選択が全て悪いといっているわけじゃない
生きるためには、仕方ないということも確かにあるのかもしれないけれど
通帳がなくなった、
ガス料金が払えなくなったという
現実 生活の支障
施設に入るしか、生きていく道はないという選択
それ自体、だれが責められることでも
ないのかもしれないけれど。