ごみ鯰
2015-07-07 | 随想
七月の「北の句会」の「梅雨」を読み込めという課題句として次の句を出した。
「草深き溝をゆらゆらごみ鯰」
票は2票で、有季定型の凡作。しかしある程度予想はしていたが、「ごみ鯰」をリアルなイメージとして持っている人はいなかった。消え去っても誰も困らない語であるが、自分はいささか思い入れがある。いやこのような光景を取戻すことこそ、豊かさではないかという気もしてくる。
この語は次の文章で説明される季語である。
「・・・産卵期の梅雨鯰の類題や水田小溝に遡(さかのぼ)るのをごみ鯰と称する題もある。・・・」(岩城久治「きょうの季寄せ(六月)より」 http://kyoto-np.jp/kp/kyo_np/info/nwc/serial/1306/0616.html )
梅雨鯰というのも同じ意味らしい。梅雨時や台風の時には、田んぼの畦の脇を流れる細い溝にときどきとんでもない大きな魚が現れる。増水して飼われている鯉などが池から逃げ出してくる。特に鯰は6月が産卵期で細くて深い溝に登ってくるようだ。僕は乏しい小遣いをためて買った溝幅いっぱいになる竹枠の網を持ちだした。これで受けて、流れの上から竹の棒や足で追うと大物が簡単にゲットできた。網で受けるときは竹の棒の先に棕櫚を付けておくと魚のパニックを誘いよく追えるのだが、狭い溝ではそんな仕掛けも不要である。網の糸も荒くても良い。
さてなぜゴミか。まず「ごみ鯰」は鯰の一種を指す語ではない。ネット図鑑で調べたが、日本の淡水ナマズ科は
ナマズ、アカザ、ギギ、イワトコナマズ、ビワコオオナマズ
などで、どれもゴミナマズなどの異称を持たないようである。(蛇足だが、アカザやギギはヒレに刺す針を持っていて、捕まえても痛い目にあった。アカザは僕は丹波でアカシシと呼んでいた。)ナマズ目まで広げても「ごみ鯰」は見つからない。
僕は歳時記を知った中学時代に、この季語を発見してピンときた。上述のように溝から網ですくい上げたナマズは、おびただしいちぎれた藻や田から流れた浮草などの芥の中でぬらぬら動いているのである。「ごみ鯰」はそれを適確に表現している。溝にたまったものが増水した時に一斉に流れ始めるから、芥でいっぱいなのである。そしてナマズは芥と一緒に流れ、ごみ鯰となる。この語源の説明はまったく我流でたてたものであり、文献の裏付けはない。しかし強固な実感がある。
1950年代頃から用水路はコンクリートで固められ、次第に細い溝にまで及んだ。そして魚類も消えたとてもさびしい川となる。
現在は魚の住む隙間を作る川岸・川底の工法も工夫されているらしい。深みやウロ(洞〉や段差を避ける魚道までは作れるだろう。でも見ていると鯉の独占する川になるだけである。水の汚濁が改善され、鯉が戻ってきた時は嬉しかったが、最近は鯉の食害が注目されている。動植物なんでも食うのである。魚卵も食われる。そして川は荒れる。小さな魚の隠れ場所が要るのである。
他方で、底の泥や砂も必要ではないのか。泥や砂地が消えると、シジミやカラス貝なども消えた。貝がいなくなるとそれに依存する。タナゴやホタルも消えた。砂や泥は川の生物の多様性に必須であると思う。これには小さな遊水地のようなものが必要になるだろう。そのような条件が整えられ、水生昆虫を含む生物多様性が復活すれば、ナマズもまたゆらゆらと大きな姿を現すであろう。
「草深き溝をゆらゆらごみ鯰」
票は2票で、有季定型の凡作。しかしある程度予想はしていたが、「ごみ鯰」をリアルなイメージとして持っている人はいなかった。消え去っても誰も困らない語であるが、自分はいささか思い入れがある。いやこのような光景を取戻すことこそ、豊かさではないかという気もしてくる。
この語は次の文章で説明される季語である。
「・・・産卵期の梅雨鯰の類題や水田小溝に遡(さかのぼ)るのをごみ鯰と称する題もある。・・・」(岩城久治「きょうの季寄せ(六月)より」 http://kyoto-np.jp/kp/kyo_np/info/nwc/serial/1306/0616.html )
梅雨鯰というのも同じ意味らしい。梅雨時や台風の時には、田んぼの畦の脇を流れる細い溝にときどきとんでもない大きな魚が現れる。増水して飼われている鯉などが池から逃げ出してくる。特に鯰は6月が産卵期で細くて深い溝に登ってくるようだ。僕は乏しい小遣いをためて買った溝幅いっぱいになる竹枠の網を持ちだした。これで受けて、流れの上から竹の棒や足で追うと大物が簡単にゲットできた。網で受けるときは竹の棒の先に棕櫚を付けておくと魚のパニックを誘いよく追えるのだが、狭い溝ではそんな仕掛けも不要である。網の糸も荒くても良い。
さてなぜゴミか。まず「ごみ鯰」は鯰の一種を指す語ではない。ネット図鑑で調べたが、日本の淡水ナマズ科は
ナマズ、アカザ、ギギ、イワトコナマズ、ビワコオオナマズ
などで、どれもゴミナマズなどの異称を持たないようである。(蛇足だが、アカザやギギはヒレに刺す針を持っていて、捕まえても痛い目にあった。アカザは僕は丹波でアカシシと呼んでいた。)ナマズ目まで広げても「ごみ鯰」は見つからない。
僕は歳時記を知った中学時代に、この季語を発見してピンときた。上述のように溝から網ですくい上げたナマズは、おびただしいちぎれた藻や田から流れた浮草などの芥の中でぬらぬら動いているのである。「ごみ鯰」はそれを適確に表現している。溝にたまったものが増水した時に一斉に流れ始めるから、芥でいっぱいなのである。そしてナマズは芥と一緒に流れ、ごみ鯰となる。この語源の説明はまったく我流でたてたものであり、文献の裏付けはない。しかし強固な実感がある。
1950年代頃から用水路はコンクリートで固められ、次第に細い溝にまで及んだ。そして魚類も消えたとてもさびしい川となる。
現在は魚の住む隙間を作る川岸・川底の工法も工夫されているらしい。深みやウロ(洞〉や段差を避ける魚道までは作れるだろう。でも見ていると鯉の独占する川になるだけである。水の汚濁が改善され、鯉が戻ってきた時は嬉しかったが、最近は鯉の食害が注目されている。動植物なんでも食うのである。魚卵も食われる。そして川は荒れる。小さな魚の隠れ場所が要るのである。
他方で、底の泥や砂も必要ではないのか。泥や砂地が消えると、シジミやカラス貝なども消えた。貝がいなくなるとそれに依存する。タナゴやホタルも消えた。砂や泥は川の生物の多様性に必須であると思う。これには小さな遊水地のようなものが必要になるだろう。そのような条件が整えられ、水生昆虫を含む生物多様性が復活すれば、ナマズもまたゆらゆらと大きな姿を現すであろう。