acco ZONE

コトバにしなきゃ伝わらないこともある
コトバにしなくても伝わることもある
accosのつらつら日記

固定観念だらけ

2020年08月15日 | こころ
5月か6月頃
断捨離をした


Wikipediaによると

断:入ってくる要らない物を断つ
捨:家にずっとある要らない物を捨てる
離:物への執着から離れる

とのこと


【断】は
ロックダウンで
生活必需品しか入手できなかったから
実行しやすかった

要る!と思って
Am★zonで探してみると
結構な割合で配達不可だったりするので
要ると思っていた物は単に欲しい物で
実は要らない物だったんだと
客観的に知ることもできた


【捨】と【離】は同時進行

物への執着を切り離して
要らない物を処分していった

「何かに使えそうだから取っておこう」
で取っておいた物は
大抵の場合
何にも使えないのです

家の中からだいぶ物が減りました


それまで
あって当然だと思っていた物も
案外要らない物だらけで

固定観念って
判断力をかなり鈍らせるんだなと
改めて思い知りました



余談だけど

「誕生日には誕生日ケーキ」
っていうのも
固定観念だわと思って

昔の日本では
誕生日をどう祝ってたのか
何を食べてたのか
気になって調べてみたら

昔は数え年で年齢を数えてて
新しい年を迎える時に
みんな一緒に年を取るから
個人の誕生日は祝ってなかったらしい


なるほどと思いつつ
誕生日をお祝いするということ自体が
固定観念だったのかと気付き
軽く衝撃を受けました



常識だと思っていることや
習慣になってしまっていることも

改めて意識的に向き合ってみると
なかなか面白いものがあります

リサイクル回収

2016年02月18日 | こころ

言い訳や

タイミング

めんどくさいと感じる怠惰のせいで

隅に追いやられて
すっかり鮮度を失ってしまった好奇心


そういえばぐらいにしか
思い出せないものも多いけど

かなりの数の項目が未だに
自分の中に散乱したままであることに
改めて気付く


それを回収していく作業は
好奇心に向き合わなかった自分の情けなさや
弱さを突き付けられるようなものでもあるから

心臓がグッてなったり
また見ないふりをしたり
また言い訳を見つけようとしたり
してしまいそうになるんだけど


純粋に生まれたものほど特に
強く深く根付いている気がするから
何とか回収してみることにする


今なら
できることもあるかもしれない



好奇心は
溜めておいても全然意味がないのだ

真面目

2014年10月05日 | こころ
真剣に
誰かと向き合って

自分の想いや感情をさらけ出す

または

他人の真剣な想いや感情に向き合う


そういう
真面目な人間関係を築くのは
非常に難しい


こちらがそれを望んでも
あちらがそれを望まなければ成立しない関係だから


ある日

他人のことを想って
真剣にアドバイスする人を
嘲笑う人を見た


とても乾いた
悍ましい笑い声


一体
何がおかしいの?



真面目な人が
馬鹿を見て辛い想いをする世の中で

多くの人々は
真面目にならないように
努めている


だって
辛いから

確かに辛いから


真面目じゃない方が
楽だもんね


かつて
人生に絶望した時に
一度無くしてしまった“他人”への関心や興味が

様々な人との出逢いを通して
嘆きや不満や悲しみを伴って疼き出している


私は
真面目な人間関係を
築いていきたい



真面目な事が
全く楽じゃないってことは
嫌と言うほどわかっているけど


楽したいわけじゃない


楽になんてならない


だから
せめて自分は
自分自身と真面目に向き合う



真面目で何が悪い



私は
真面目に
生きていきます

悲観的と言うわけではなく

2014年08月28日 | こころ
世の中は
驚くほど悪意に満ちている

仮想空間に浸ることからの影響なのか

“ココ”に存在するはずの人の感情や感性に
ひどく鈍感な人々が多いように感じる

自身のそれにも無頓着というか…



若い世代と接すると
平気で汚い言葉を吐くし
他人がどう感じるかということに
思考がまったく及ばない

想像力とか
創造力が決定的に欠けている



たまたま
ここ最近接する人たちが
そうなのかもしれない


何というか
恐ろしいんだ


たしかに
私が二十歳そこそこの時にも
そういう人はたくさんいた


だから
時代がどうのこうのではないのだろうが

得体の知れない
何か不気味な存在が
もうかなり覆ってるよね

人間社会を





それでも

ずるい人や
良心のない人たちが
得をするような世の中でも


全員が全員
そういう人間というわけじゃない


かなり劣勢だけど
そうじゃない人間だっている



まだ


いるから



私も
こうやって
生きていられる



敵は常に
自分の中にいる

迷子

2012年12月13日 | こころ

嘆きの中から見つけた

私だけの真実は


揺るぎない

正しく真実ではあるけれど



それを
真実と呼ぶには

あまりにも心細すぎる



しかし

そんなもの

大して意味も持たない物だということも

実は知っているのである



じゃあ

私は一体

何が言いたいんだろう



何を嘆いているのだろう

アウェイ

2012年11月21日 | こころ



それにしても

鎧と仮面をまとい

武器を構える人の多いことよ



彼らは彼らの事情で

攻撃と防衛を
必死になって繰り返しているのだろう



私は無防備だ

自分を護る術だって知らない



でも
それでも構わない


彼らの攻撃を受けても
きっと痛みなど伴わない


イツワリの傷しかできない



血など流れない

涙など流すな





真実には勝てないのだから





そう信じたい





ドクタースランプ

2012年10月21日 | こころ

今日は
とってもスランプ状態

もう全っ然ダメ



ふて寝しても改善されない


何かザワザワトゲトゲしてる



むむむ~



たぶん
デリーでの生活に
不安があるってことが原因かと思われます


私もこっちに移る前から懸念していたし
チェンナイ時代の友人も心配してくれてたんだけど
やっぱりデリーはあんまり肌に合わんかもなぁ…


地下鉄は通ってるし
服装もそんなに気にしなくていいし
外食しようと思えばそれなりに何でも食べられるし
便利なことも多いけど


何ていうかさー


どちらかというと
のんびりしとる性格だけんね
人が多くてセカセカしている環境がねー
どうもねー


大都会だけん
スレてる感じの人も多い気がするしねー


何だろーなーこの窮屈感…

仕事始まるまでにメンテナンスせねばなー



とりあえず
ストレスになってるっぽいことを
一つずつ少しずつ減らしてみる作戦を実行


ということで
今日は人混みの中をゆっくり歩いてみた


ゆっくり歩いてみて初めて
いつも無理して早く歩いてたんだなと気付いた


あと
不思議と
気持ちにも余裕が生まれる気がした



たぶん何をするにしても
自分のペースってもんが大事なんだろうね


デリーの喧騒に
ペースを乱されまくっていますが
何とか頑張るしかない



のびのび生活したい

2012年10月20日 | こころ

街を歩くだけで

「コニチワードコイキマスカ?」

とか

「ジャーパニー」

「チャイニーズ」

とかイチイチ言われたり

ジロジロ遠慮なく見られたり

部屋のドアに向かって石とかゴミを投げ入れられたり

「ゴミを上から落としている」と言いがかりをつけられたり


平気なふり
気にしていないふりをしていても
やっぱりちょっとしたことは積み重なるもんです



他人の言うことなんて
制御できないし気にしないに限るけどね


こういうことは
何年住んでも気に障るときは障ります


快適な日本から戻ってきたばかりということもあるけど
なーんかねー





部屋に閉じ籠っていても
あんまり落ち着かないしちゃんとリセットされないんだよなぁ


『勇者ヨシヒコ』とか観ると
笑ってちょっとスッキリできるけどね


要はリセット方法だよねー


読書はいい
瞑想のような役割を果たしてくれる


ぐっと集中できるし感性も刺激される


一応デリーには
日本語の本を貸してくれる図書館もあるみたいなので
今度様子を見に行ってみよう



みんなのお気に入りの本とか
おススメ本があれば教えてください

好きな作家は

伊坂幸太郎
奥田英朗
重松清
坂木司




とりあえず今日は
近くのマーケットに
携帯電話買いに行こうかなと思ってます

インドは
話し好きが多いからなのか
一人でいる時も誰かと話したくてたまらないからなのか
携帯電話はかなり普及してる

SIMフリーがほとんどだし
機種もメーカーも結構いろいろあって
なかなか選び甲斐がある

アナログな私も
遂にスマホデビューを果たしそうです

しずくさえ

2012年08月21日 | こころ


雨は降っているのに


雨は降っていない

降っているはずがないのだと


わたしの心は思いたがる




雨は降っていなくても


雨は降っている

降っているはずなのだと


わたしの心は疑いたがる




こうやって

心というものは

複雑なようですごく単純に

捻じれてしまっているのだろう



大きく深呼吸

2012年05月14日 | こころ


何か嫌なことがあると
上半身に力が入ってしまって
胸が狭くなる


そうすると
呼吸がうまくできずに
全身の血の巡りが悪くなる

そして
胃腸の活動が衰え頭もが重くなる


思考もうまく巡らなくなる


何もいいことがない


嫌だなと感じてしまうことをコントロールするのは難しいから
とりあえず深呼吸して体に酸素を取り入れるところから始めよう



ハッとする感覚は意図して得られるものではない

2012年04月22日 | こころ

『河合隼雄のカウンセリング教室』
という本を読んでいる


大学では
建築を専攻していたので
共通科目の講義の大半は
数学やら物理やら理系寄りの科目が多かったが
言語や文系科目も共通必修科目としてカリキュラムに組まれていた

その文系選択科目の一つである
『心理学』を選択して
息抜きと言っては失礼かもしれないが
結構熱心に講義に参加していた

理系学生にとって
こういった文系科目は
単位のために仕方なく受講するようなものなのだろうが
私はこういった科目が
結構好きだった

いや

むしろ
理系科目の講義よりも熱心に受講したものだ



さて

その講義で耳にした『河合隼雄』という名前


もちろん
この分野に精通しているわけでもないので名前しか知らないのだが
今回借りてきた本を読んでみて「あぁ…この人は結構好きだな」と思った


こんな人にカウンセリングをやってほしい



やってほしかった


そのように直感的に思った

カウンセラーとはクライアントにとって
こういった感覚的なところが決め手となる職業なのだろう




半分ぐらい読んだ時点で
ハッとした文章がある



「本当に苦しい人は苦しいことを表現できない」

「日常会話はカウンセリングと全く違う」


前者は
私が以前
どうにもこうにも調子が悪くなって
精神科に行ってみた時のエピソードに由来する「ハッ」である


どうにもこうにも苦しくて
意を決して専門家の所に行ったのに


「あなたは元気です」


と言われたことがある



別の医院では


「あなたはコミュニケーションのキャッチボールができない」

と言われたこともある


コミュニケーションのキャッチボールができないと悩んでいるから医院を訪ねたわけで
このように言われてしまうことに絶望を覚えた






もちろん
私が適切に自分の状態や症状を説明できなかったのかもしれないが
救いを求めていった専門医からこのような言葉を浴びせられたことに
かなりの衝撃を受けたことを覚えている


衝撃というよりも
自分が感じていることを全否定されたような気がして
虚無感を覚えた



私は
平気に見えるのだ

見えてしまうのだと思う


もしかしたら
平気ではないと思っているのは自分だけで
実は平気なのかもしれない



…いや
自分が平気じゃないと思ってる時点で
平気じゃないか





次に後者

何とも恥ずかしいことなのだが
私は日常会話が求められている場面でも
カウンセリングのような対応をしているなと気づかされた



たとえば

「私〇〇さんのこと大っ嫌いなんだよね」

とある人が言ったとする


この時
日常会話では
その発言の本意や真相に至ってしまうのを回避するための会話が求められる

私は日常会話が苦手なので
こういった時にどのような会話が成り立つのかよくわからないが


「でもあの人のこと好きだよね?」


とか


「そうなんだーところで駅前のおいしいケーキ屋さんなんだけど…」


とかいった具合なのだろうか


とにかく
本音に至らないようにコントロールされている会話が日常会話



カウンセリングは
その言動をする心の動きを捉えようとすることで

「そっかそっか嫌いなんだね」

という受け入れる発言をしながら

“何でこの人は〇〇さんの事が嫌いなんだろう”

とか

“きっと母親と似ている言動を取るから嫌いなんだろう”

とか
そういったところに目を向けることなのだという





この文章を読んで
私は日常生活での会話が求められているのに
カウンセリングのようなことを延々とやり続けているのかなと思った



そして
自分自身に対しても
自分で自分をカウンセリングしている状態を続けているのかなとも思った




カウンセリングは
時間がある程度制限されていないと
救う立場であるカウンセラーも破滅してしまうとも書いてあった




そして
自分で自分を治すことなど絶対にできないとも書いてあった





苦しい苦しいと気づかないまま幼少時を過ごし
気づかないうちに苦しいことにさえにも麻痺してしまった自分を救いたい


河合隼雄氏は
自分で自分を救うことはできないと言及していたが
こういった自分の不安定な面を託せる信頼できる専門家が周りに見当たらないため
当面は自分で自分を救う試みを続けていくことになりそうだ


もちろん助けは必要だし
周りの人々はかなり支えになってくれている



しかし最終的には
自分でしっかりと立っていくしかないのだ




これに気づけていることだけでも
救いなのだろう






開けゴマ

2012年02月15日 | こころ


ここんとこ
あんま調子よくなーい


ちゃんと
出しきらんけんだろうねと思う


いつも怒っとるし悲しいし怯えとるし
もやもやしとるんだけどね


何かを見たり何かをしたりして
感じることも多いはず



でも
それがうまく流れずに
どんどん溜まってくるとたいねー


息苦しくなって
とうに飽和状態を超えてるはずなんだけど
出口がない



堆積物はもう化石化しとるよ
たぶん



そもそも
自分の話を
誰かと共有するっていう習慣がないっていうのが
困りもん


どうせ
私の話なんか興味なかろねと
端から諦めている




何かを感じて
それを探ったり表現したりするよりも
他人の思考の想像に勤しんでしまう




話を聞くのは好き
でも自分の話はうまくできない




どこ見て
生きてきたんだろうって思う



もはや
自分がどう感じているのかさえ
よくわからんし

どうやって
助けを求めればいいのかさえ
よくわからん




ずっと
私は平気じゃないと思い続けてきたんだけど
実は平気なんだろうか…




とりあえず
こんなふうに
ネトッとしたことをうだうだ考えとっても
私は元気でいられます


愛想はなくなるけど
飄々としているふりは得意です





accosの操縦士は
一体どこへいってしまったんだろう