雨が上がった
晴れ間を窺って
つつじ園に行ってきました
2012-04 Daily |
老人ホームのおじいちゃんやおばあちゃんたち
ほろ酔いご近所さんグループ
初々しそうなカップルや夜のお仕事系のカップル
ワッハッハと楽しそうなおばちゃんたち
ポカポカ日差しに包まれて
各々の豊かな時間を過ごしているようでした
瑞々しい花びら
花びらに映える鮮やかな黄緑の葉っぱ
白が強めの青の空
猫
透き通った空気
風にサラサラと揺れる木々の葉音
気持ちよかった
『河合隼雄のカウンセリング教室』
という本を読んでいる
大学では
建築を専攻していたので
共通科目の講義の大半は
数学やら物理やら理系寄りの科目が多かったが
言語や文系科目も共通必修科目としてカリキュラムに組まれていた
その文系選択科目の一つである
『心理学』を選択して
息抜きと言っては失礼かもしれないが
結構熱心に講義に参加していた
理系学生にとって
こういった文系科目は
単位のために仕方なく受講するようなものなのだろうが
私はこういった科目が
結構好きだった
いや
むしろ
理系科目の講義よりも熱心に受講したものだ
さて
その講義で耳にした『河合隼雄』という名前
もちろん
この分野に精通しているわけでもないので名前しか知らないのだが
今回借りてきた本を読んでみて「あぁ…この人は結構好きだな」と思った
こんな人にカウンセリングをやってほしい
やってほしかった
そのように直感的に思った
カウンセラーとはクライアントにとって
こういった感覚的なところが決め手となる職業なのだろう
今
半分ぐらい読んだ時点で
ハッとした文章がある
「本当に苦しい人は苦しいことを表現できない」
「日常会話はカウンセリングと全く違う」
前者は
私が以前
どうにもこうにも調子が悪くなって
精神科に行ってみた時のエピソードに由来する「ハッ」である
どうにもこうにも苦しくて
意を決して専門家の所に行ったのに
「あなたは元気です」
と言われたことがある
別の医院では
「あなたはコミュニケーションのキャッチボールができない」
と言われたこともある
コミュニケーションのキャッチボールができないと悩んでいるから医院を訪ねたわけで
このように言われてしまうことに絶望を覚えた
もちろん
私が適切に自分の状態や症状を説明できなかったのかもしれないが
救いを求めていった専門医からこのような言葉を浴びせられたことに
かなりの衝撃を受けたことを覚えている
衝撃というよりも
自分が感じていることを全否定されたような気がして
虚無感を覚えた
私は
平気に見えるのだ
見えてしまうのだと思う
もしかしたら
平気ではないと思っているのは自分だけで
実は平気なのかもしれない
…いや
自分が平気じゃないと思ってる時点で
平気じゃないか
次に後者
何とも恥ずかしいことなのだが
私は日常会話が求められている場面でも
カウンセリングのような対応をしているなと気づかされた
たとえば
「私〇〇さんのこと大っ嫌いなんだよね」
とある人が言ったとする
この時
日常会話では
その発言の本意や真相に至ってしまうのを回避するための会話が求められる
私は日常会話が苦手なので
こういった時にどのような会話が成り立つのかよくわからないが
「でもあの人のこと好きだよね?」
とか
「そうなんだーところで駅前のおいしいケーキ屋さんなんだけど…」
とかいった具合なのだろうか
とにかく
本音に至らないようにコントロールされている会話が日常会話
カウンセリングは
その言動をする心の動きを捉えようとすることで
「そっかそっか嫌いなんだね」
という受け入れる発言をしながら
“何でこの人は〇〇さんの事が嫌いなんだろう”
とか
“きっと母親と似ている言動を取るから嫌いなんだろう”
とか
そういったところに目を向けることなのだという
この文章を読んで
私は日常生活での会話が求められているのに
カウンセリングのようなことを延々とやり続けているのかなと思った
そして
自分自身に対しても
自分で自分をカウンセリングしている状態を続けているのかなとも思った
カウンセリングは
時間がある程度制限されていないと
救う立場であるカウンセラーも破滅してしまうとも書いてあった
そして
自分で自分を治すことなど絶対にできないとも書いてあった
苦しい苦しいと気づかないまま幼少時を過ごし
気づかないうちに苦しいことにさえにも麻痺してしまった自分を救いたい
河合隼雄氏は
自分で自分を救うことはできないと言及していたが
こういった自分の不安定な面を託せる信頼できる専門家が周りに見当たらないため
当面は自分で自分を救う試みを続けていくことになりそうだ
もちろん助けは必要だし
周りの人々はかなり支えになってくれている
しかし最終的には
自分でしっかりと立っていくしかないのだ
これに気づけていることだけでも
救いなのだろう
ほんとうは
みんな
どれだけ年を重ねても
“おとな”というカテゴリーに属するこどもなんじゃないかと思う
おとな
生まれてからある程度の年月が経ったっていうことだけを表す言葉
ただ
それだけ
もちろん
おとなとしての
責任や役割はあるから
ぜひとも果たしてほしいんだけど
ヒト全員にそれが果たせるかと言えば
そうとも限らない
宇宙人が見たら
大きくても小さくても
結局
ヒトはヒト
みんな
こどもと同じなんだ
想いや概念には
曖昧さを許容すれば
数多くの言葉が紐づけられる
でも
厳密に言えば
一つ一つの言葉には
使い方の違いや元々持っている意味に違いがあったりするもの
何に対しても
漠然としている表現ばかり使っていると
本来伝えたいものや感じてるものをできるだけ忠実に表現しようとする習慣がなくなってくる
改めて
普段使う語彙が減ってきたなと痛感している今日この頃です
ミスチルの桜井和寿が
国語辞典を読んでいたという話
そんなミスチルファンのクミコが
“すごい”は形容詞じゃないんだ!
と力説していたこと
そんな逸話を思い出しながら
ぼやけてしまった頭の中の想いや概念を整理すること
それを文章にすること
言葉の使い方をできる範囲で追及することを
習慣にしていこうかなと思っています
さて余談ですが
ビザ申請が受理されず
ガッカリしています…
書類は足りないわ
契約書に不備はあるわで
現地の会社から再度書類を送ってもらわなきゃいけない
迅速に対応してくれるといいんだけど…
しばらく時間かかっちゃうね…
ふぅ…
先が思いやられちゃうわ
諦めることと
受け入れること
受け入れるっていうのは
諦める+前進するための術を見つけて進む
ってことなのかなと思う
私は
諦めたり
ちょっと期待したり
裏切られてまた諦めたり
っていうのを延々と繰り返している
受け入れるっていうところまでなかなか進めない
受け入れるには
安全な環境と冷静さとエネルギーが要る
ここは安全じゃない
淀みがちなこの思考のサイクルを
軽やかで爽やかな風車か何かが
請け負ってくれたらいいのに
2010年 日本
監督 石井裕也
★★★★☆
「しょうがない」が口癖で
どこか諦めに近い虚無感を漂わせて
東京で妥協だらけの人生を送っていたOLの佐和子が
病気で床に臥してしまった父に代わり
田舎の家業であるしじみ工場を
継ぐことになる
この佐和子の思考回路がすごく新鮮で面白かった
私の思考もかなり刺激してくれました
現実にありそうでないようでありそうだと感じさせる演出が巧妙で
楽しませてもらいました
主演の満島ひかりの演技には
かなり惹きつけられます
暴力的なものも醸し出しつつ繊細さもあるといった
不思議な魅力があります
好きな女優さんの一人です
私なんて所詮
中の下の女だから
頑張るしかないから頑張るわ
淡々と言い放つ佐和子は
見ててものすごく清々しいです
監督 石井裕也
★★★★☆
「しょうがない」が口癖で
どこか諦めに近い虚無感を漂わせて
東京で妥協だらけの人生を送っていたOLの佐和子が
病気で床に臥してしまった父に代わり
田舎の家業であるしじみ工場を
継ぐことになる
この佐和子の思考回路がすごく新鮮で面白かった
私の思考もかなり刺激してくれました
現実にありそうでないようでありそうだと感じさせる演出が巧妙で
楽しませてもらいました
主演の満島ひかりの演技には
かなり惹きつけられます
暴力的なものも醸し出しつつ繊細さもあるといった
不思議な魅力があります
好きな女優さんの一人です
私なんて所詮
中の下の女だから
頑張るしかないから頑張るわ
淡々と言い放つ佐和子は
見ててものすごく清々しいです