昨日少し書きかけていたけど
消えたから
改めてタイトルもカテゴリーも
それ用にして書いてみることに
昨日とか、今日もそうだが
人とほとんど接触しないで
一日を過ごすと
とても平穏な時間を過ごせている。
それだけは確かだ、
これは何を表しているかと言えば
俺が気持ちを乱すというか
落ち込んだりネガティブになるのは
人との接触によって起こっているんだということ、
つまり、
俺自身が自分の思考で堕ちているとか
そういうことはほぼない、ということ。
これだけはハッキリしている。
まぁこのことは過去からずっと書いていることだけど
だから、極論ではあるが
内服薬的な
精神薬等を用いたところで
問題が解決することはあまり期待できない、ということは
間違いないわけで
だからこそそっちで何とかしようという気が
まるで無いとも言えるんだが
それはそうだ、
解決するのは簡単なんだから
人と接触しなければいい、それだけのことなんだから・・・
それで俺の生活が上手く回って行けば、っていうだけの話で
そこが上手く回らないから
困っているわけで
で、
身体のことを具体的に書くと
3度目の手術の時とほぼ変わっていない。
というか
俺の憶測なんだが
恐らく1度目、2度目の手術の時も
それほど変わっていないんだろう、
まぁ勿論、1度目、2度目、3度目と
脇という部分に関しては変化はあったんだろうが
手術をするに際し
俺は毎回思っていたこと
手術後、すぐに反応される。
普通ならあり得ない。
他の人が俺のことをどういう人間と
評しているのか
俺自身はよくわからないが
俺自身でココだけはハッキリしている。
俺は最低でも物事は論理的に考えれらる人間だと
自分では思っている。
基本オカルトは信じない、
だから
原因を取ったにも関わらず
事象がなくならない、
そんな現象はあり得ないんだ。
つまり、
今の俺に起こっていることにも
勿論それなりに
確実な原因とそうなっている論理がある筈なんだ。
脇の原因を取ったにも拘らず
たまに感じるそれ、と反応は
ほぼマックス、
その後ケアをしようが
手術をしようが
何も変わっていない。
つまりそういうこと・・・
いじっていないところが原因なんだろ
勿論これは仮説
で、
少し話を変えるというか
切り口を変えるが
結論としてどうなったら
俺としては嬉しい、というか
進歩なのか、
それは多分コントロールできるようになったら
嬉しいんだろうな、
0にすることは難しい、
そうなれば、
いいだろう・・
とは正直あまり思わない。
この分野は相変わらずあまり
研究が進んでいないのは感じるが
快、不快があるもので
それには個人差がある。
だから不快に感じる人に合わせて物事を考えると
何もかもが凄いシビアな基準になってしまって
世の中が非常に生き辛いものになる。
ここ何年か
世の中がにおいに非常に敏感になっていて
それ自体が俺自身かなり生き辛いと感じるようになってしまっているのも
確かで
日常でも俺自身からあまり臭いとかにおいの話とかをすることを
躊躇うようになったのも確かだ。
バランスの問題っていうのを
結構前から
常々考えるようになったのも
そういうこともあるんだが
簡単に言うと
潔癖って言われる男性と結婚したがる女性はあまりいないと思うんだな、
結局行き過ぎると逆に付き合いづらくなる、っていうのは
間違いないんだと思う。
今現在で
というかそれよりも前からずっとなんだろうが
俺自身で一番困っているのは腋臭のにおいなんだと思う。
勿論、俺自身はそれ以外にも
口臭とか体臭(ノネナール系)加齢臭とかもある。
それに洗濯物の生乾き臭もあって
それを全部無くすっていうのは
かなり大変だと思う。
ただ、
腋臭臭とそれ以外では
レベルが違うというか
それ以外については
対応のしようがあるにはある。
でも腋臭臭に関しては
結局言えば何も変えられていない、ということなんだろう。
具体的な話を書くと
今現在でも
洗濯物とかで腋臭臭を感じるのは下着
つまり、陰部、尻とかだな。
確かにそこは手術する前から
何にもしてこなかった、
毛を剃ったりはしたことはあるが
それで変化をしたりもほとんどない、
まぁ過去から何度も書いているし
今更あれこれ書く気はないが
腋臭というものを持っている人は
基本デオドラントとかそういうものは一切効かない。
手術して取るか、そのままか
2択みたいなところがあるからなぁ
言ってみれば、それを知っているからこそ
昨今悩んでいるライトな人を見ても
そんなので手術しても・・・って
思うわけで
まぁでも
結局あれこれ書いたところで
俺の理想というか
考えとして、最初の部分に戻ってしまうことに変わりはないわけで
誰とも接触しなければ
落ち込むことも行動が抑制されることもないわけで
フラットな自分でいられるんだから
そっちになった方が楽なんだけどね。
それでも
何かしらの変化を期待して
人に近づいたりしているっていうのが
昨今なんだろうね。
でも、
異性の話は別として
この身体の問題で何がどうなったら
良い方向へ行くのか
そういう理想的な展開を考えてみてもなぁ
ちょっとカテゴリーの違う話になってしまうが
夢を実現する、的な話というか
空想を実現する人の論理を書くと
道筋が見えているものは現実になる。
っていう風に俺は思うんだ、
野球の話なんかを前に書いたかもしれないが
野茂さんは偉大だっていう話ね、
当時メジャーに行く方法がなかった、
いくら実力があってもMLBに行く手段がなかったので
メジャーの選手になれなかった、
それを道筋を作ったから、野茂さんは偉大だと
評価されるんだ。
選手としての凄さ、というよりも
その道を作ったことが偉大だと後世に言われるだろう。
もう俺がココを書き出しても10年近いか、
悩みだしてからは既に30年以上
何がどう変化した?
手術方法が多少変わったくらい、
デオドラントは確かに研究しているみたいだけど
そんなに大きく変化しているとも思えない、
つまり、この分野は結構遅れているんだっていうのは感じる。
出す方だけじゃなくて
受ける方にしかりね、
嗅覚の方の分野もそれほど
進歩をしている、とも思えないんだな、
嗅覚の機能判定、
俺も年齢的にもというか、
俺の鼻の方が悪いんじゃないのかって
疑ったりもしたけど
それを調べることすら
簡単には出来ないような世界なんだな、今
そのくらいのレベルなんだよ、今の世の中でも
ほとんどが手探りでやっているような感じで
こうなればああなるっていう結果を望んだところで
出るわけもなく
俺は相変わらず仕事が嫌いで
そりゃそうさ、
仕事の評価=幸せにはならないから
俺の身体の評価=俺のすべて
が
変わることはないんだし
お金をどれだけ貰おうが
結果、一人で居られる可能性が高くなれるっていうだけで
ほとんど良いことなんかない。
自己実現したいと思っても
俺の身体とはどうやっても切り離されることはないし
何処に行っても居ない方がいい存在なのは変わらないわけで
普通の人の感覚で動いていないことだけは確かだ。
それを理解してくれる人が居れば
それでも幸せなんだろうけど
それすらあまり居ないっていうのが現状かな
やりたいことはほぼ叶ったんだと思う。
少なくとも14の時に絶望して以降
その時点で描いていた夢なんて
ほぼほぼ叶えたわ、
そういう意味じゃ幸せだった。
今のままで老いていくことは正直不可能だろう
この先に行くには
この問題を何とかしないとならないと思う、
でもそれは世の中の制度でどうにかするのか
俺を精神疾患もしくは障がい者扱いで年金出すか
それとも
治る道筋が見つかるか
いずれにせよ、なるようにしかならないだろうが
俺の居場所が出来ないことには
いずれは終わる。
今はたまたま、偶然で存在出来ているに過ぎないんだから
消えたから
改めてタイトルもカテゴリーも
それ用にして書いてみることに
昨日とか、今日もそうだが
人とほとんど接触しないで
一日を過ごすと
とても平穏な時間を過ごせている。
それだけは確かだ、
これは何を表しているかと言えば
俺が気持ちを乱すというか
落ち込んだりネガティブになるのは
人との接触によって起こっているんだということ、
つまり、
俺自身が自分の思考で堕ちているとか
そういうことはほぼない、ということ。
これだけはハッキリしている。
まぁこのことは過去からずっと書いていることだけど
だから、極論ではあるが
内服薬的な
精神薬等を用いたところで
問題が解決することはあまり期待できない、ということは
間違いないわけで
だからこそそっちで何とかしようという気が
まるで無いとも言えるんだが
それはそうだ、
解決するのは簡単なんだから
人と接触しなければいい、それだけのことなんだから・・・
それで俺の生活が上手く回って行けば、っていうだけの話で
そこが上手く回らないから
困っているわけで
で、
身体のことを具体的に書くと
3度目の手術の時とほぼ変わっていない。
というか
俺の憶測なんだが
恐らく1度目、2度目の手術の時も
それほど変わっていないんだろう、
まぁ勿論、1度目、2度目、3度目と
脇という部分に関しては変化はあったんだろうが
手術をするに際し
俺は毎回思っていたこと
手術後、すぐに反応される。
普通ならあり得ない。
他の人が俺のことをどういう人間と
評しているのか
俺自身はよくわからないが
俺自身でココだけはハッキリしている。
俺は最低でも物事は論理的に考えれらる人間だと
自分では思っている。
基本オカルトは信じない、
だから
原因を取ったにも関わらず
事象がなくならない、
そんな現象はあり得ないんだ。
つまり、
今の俺に起こっていることにも
勿論それなりに
確実な原因とそうなっている論理がある筈なんだ。
脇の原因を取ったにも拘らず
たまに感じるそれ、と反応は
ほぼマックス、
その後ケアをしようが
手術をしようが
何も変わっていない。
つまりそういうこと・・・
いじっていないところが原因なんだろ
勿論これは仮説
で、
少し話を変えるというか
切り口を変えるが
結論としてどうなったら
俺としては嬉しい、というか
進歩なのか、
それは多分コントロールできるようになったら
嬉しいんだろうな、
0にすることは難しい、
そうなれば、
いいだろう・・
とは正直あまり思わない。
この分野は相変わらずあまり
研究が進んでいないのは感じるが
快、不快があるもので
それには個人差がある。
だから不快に感じる人に合わせて物事を考えると
何もかもが凄いシビアな基準になってしまって
世の中が非常に生き辛いものになる。
ここ何年か
世の中がにおいに非常に敏感になっていて
それ自体が俺自身かなり生き辛いと感じるようになってしまっているのも
確かで
日常でも俺自身からあまり臭いとかにおいの話とかをすることを
躊躇うようになったのも確かだ。
バランスの問題っていうのを
結構前から
常々考えるようになったのも
そういうこともあるんだが
簡単に言うと
潔癖って言われる男性と結婚したがる女性はあまりいないと思うんだな、
結局行き過ぎると逆に付き合いづらくなる、っていうのは
間違いないんだと思う。
今現在で
というかそれよりも前からずっとなんだろうが
俺自身で一番困っているのは腋臭のにおいなんだと思う。
勿論、俺自身はそれ以外にも
口臭とか体臭(ノネナール系)加齢臭とかもある。
それに洗濯物の生乾き臭もあって
それを全部無くすっていうのは
かなり大変だと思う。
ただ、
腋臭臭とそれ以外では
レベルが違うというか
それ以外については
対応のしようがあるにはある。
でも腋臭臭に関しては
結局言えば何も変えられていない、ということなんだろう。
具体的な話を書くと
今現在でも
洗濯物とかで腋臭臭を感じるのは下着
つまり、陰部、尻とかだな。
確かにそこは手術する前から
何にもしてこなかった、
毛を剃ったりはしたことはあるが
それで変化をしたりもほとんどない、
まぁ過去から何度も書いているし
今更あれこれ書く気はないが
腋臭というものを持っている人は
基本デオドラントとかそういうものは一切効かない。
手術して取るか、そのままか
2択みたいなところがあるからなぁ
言ってみれば、それを知っているからこそ
昨今悩んでいるライトな人を見ても
そんなので手術しても・・・って
思うわけで
まぁでも
結局あれこれ書いたところで
俺の理想というか
考えとして、最初の部分に戻ってしまうことに変わりはないわけで
誰とも接触しなければ
落ち込むことも行動が抑制されることもないわけで
フラットな自分でいられるんだから
そっちになった方が楽なんだけどね。
それでも
何かしらの変化を期待して
人に近づいたりしているっていうのが
昨今なんだろうね。
でも、
異性の話は別として
この身体の問題で何がどうなったら
良い方向へ行くのか
そういう理想的な展開を考えてみてもなぁ
ちょっとカテゴリーの違う話になってしまうが
夢を実現する、的な話というか
空想を実現する人の論理を書くと
道筋が見えているものは現実になる。
っていう風に俺は思うんだ、
野球の話なんかを前に書いたかもしれないが
野茂さんは偉大だっていう話ね、
当時メジャーに行く方法がなかった、
いくら実力があってもMLBに行く手段がなかったので
メジャーの選手になれなかった、
それを道筋を作ったから、野茂さんは偉大だと
評価されるんだ。
選手としての凄さ、というよりも
その道を作ったことが偉大だと後世に言われるだろう。
もう俺がココを書き出しても10年近いか、
悩みだしてからは既に30年以上
何がどう変化した?
手術方法が多少変わったくらい、
デオドラントは確かに研究しているみたいだけど
そんなに大きく変化しているとも思えない、
つまり、この分野は結構遅れているんだっていうのは感じる。
出す方だけじゃなくて
受ける方にしかりね、
嗅覚の方の分野もそれほど
進歩をしている、とも思えないんだな、
嗅覚の機能判定、
俺も年齢的にもというか、
俺の鼻の方が悪いんじゃないのかって
疑ったりもしたけど
それを調べることすら
簡単には出来ないような世界なんだな、今
そのくらいのレベルなんだよ、今の世の中でも
ほとんどが手探りでやっているような感じで
こうなればああなるっていう結果を望んだところで
出るわけもなく
俺は相変わらず仕事が嫌いで
そりゃそうさ、
仕事の評価=幸せにはならないから
俺の身体の評価=俺のすべて
が
変わることはないんだし
お金をどれだけ貰おうが
結果、一人で居られる可能性が高くなれるっていうだけで
ほとんど良いことなんかない。
自己実現したいと思っても
俺の身体とはどうやっても切り離されることはないし
何処に行っても居ない方がいい存在なのは変わらないわけで
普通の人の感覚で動いていないことだけは確かだ。
それを理解してくれる人が居れば
それでも幸せなんだろうけど
それすらあまり居ないっていうのが現状かな
やりたいことはほぼ叶ったんだと思う。
少なくとも14の時に絶望して以降
その時点で描いていた夢なんて
ほぼほぼ叶えたわ、
そういう意味じゃ幸せだった。
今のままで老いていくことは正直不可能だろう
この先に行くには
この問題を何とかしないとならないと思う、
でもそれは世の中の制度でどうにかするのか
俺を精神疾患もしくは障がい者扱いで年金出すか
それとも
治る道筋が見つかるか
いずれにせよ、なるようにしかならないだろうが
俺の居場所が出来ないことには
いずれは終わる。
今はたまたま、偶然で存在出来ているに過ぎないんだから