豊田の実家で85歳になる父が一人で暮らしております。
あれこれと一連の検査をおえて手術のスケジュールが決まり
父に報告せねば・・
週に一度父のおかずを作りに実家通いが7年目になっています。
私が到着するのはPM8:30過ぎ、既に床に就いている父は
眠い目を擦りながら一度は必ず起きてくる
父の人生、仕事がら常に事件や事故に囲まれている人なので
ちょっとやそっとの事で動揺するお方ではありませぬ
判っているのに顔を見てふっと言葉を見失う私がいました。
あれあれっという感じ。
今まで健康優良児の私は自分の病気を「親」に伝えるすべを持っていなかった
先日、ちょっとした事情で病気を知った方が顔を覗きに来てくれた。
後で他方から奥さんを乳がんで亡くされてるからねぇ~と聞かされた。
人は人生の奥にさまざまな事を抱えている事を垣間見る。
そして私の身近にいる心強い二人の乳がん経験者の友人。
一人は入院期間中、退院後の治療の事まで事細かに記録に残しています。
そしてもう一人はリンパ切除までしているので病理的にはステージⅡとなるはず
なのですが彼女は自分は「ステージ0」だと言います。
彼女がそう云うのであればステージ0で良いのだと思います。
そして「あっ~忘れた忘れた、どうしてたんだろう。嫌な事は忘れるの」と。
それが彼女の治癒ならばそれも一つの在り方なのだと。
以前、初期の乳がんが見つかった助産師さんの記事を目にした事がありました。
彼女の母親は乳がんで亡くなっていて母親の記憶は無いそうです。
そして乳がんが見つかった時「ああ、お母さんと繋がってる」と思えて
変なんだけど嬉しかったと記されていました。
助産師という仕事を選んだ人生と遺伝的癌の受け止め方に彼女の凛とした強さを感じました。
遺伝的乳がんを恐れ発症する前に全摘をする女性もいます。
出産を控えた若い女性ならば恐怖や絶望感は計り知れない事だと想像できます。
人それぞれの痛みの深さがあります。
一晩時間をおいて朝食を食べながら父に報告。
案の定淡々と話を聞き
「50代は身体を気遣い生活を立て直して、老後に備える10年だ」との格言
(お酒やたばこを控えたり運動する習慣をつけたりする準備) 流石です
そして子であり親である私
2人の子供たちにも伝えました。
「はっ?」と言って固まった太郎に「大丈夫だから口とじて」
そして看護学生の長女は至って冷静、頼もしい
兎にも角にも家族に言いにくい事が
出来るだけ少ない方が良いに決まっている
そしてこんな事でも人生の肥やしとなりますように。
言いそびれた自分にドギマギしながら実家の亡き母の台所で物思い。
人の痛みを感じながら「事」を乗り切れたらいいなぁ~と。