実家の父が「米寿」を迎えました。
1年5ケ月前に病気が見つかり
医療従事者の兄の采配でゆる~~い抗がん治療をしつつ
病気と共存
小康状態を保ち元気に87歳になりました。
暦の巡りにも恵まれ なんと「日曜日」
小技を加え親族全員が大集合です
ひ孫でやっと家族に目が向くようになった父
私たち兄姉も孫の成長も現役真っ盛りで
意識は常に社会情勢にあり
改めて家族と自分を観察する穏やかな時間が訪れています。
予後という時間があるのもある意味幸せなことなのかも知れません。
ここからは毎日が記録更新
父の破天荒人生に寄り添い悟りに至った母は
まだまだ天国で高みの見物をしている様子
もう少しゆっくりさせてあげましょう。
父が昇るとまたきっと振り回されることでしょうから
父よのんびり昇れ
2024年6月2日 満88歳 祝
京都から沖縄料理の本が届きました。
10数年ほど前に水道管の取り換え工事をしなくてはならなくなり
お店を5日間も! 閉めなくてはならなくなった時がありました
今でこその笑い話ですがマスターが大病を患った後で
入院、手術、治療・・そこに乗っかる土管工事費
まだまだ幼い子達と認知の始まった姑
しっかりと肩にのっていた返済
母子家庭を想像してガタガタしていた数か月。
自分に何が出来るのかを自問自答する日々でもありました。
私は元々ちゃんと料理など習った事もなく
特別な資格も持ち合わせていません
喉元過ぎた後でもこの思いが忘れられず、
突然湧いた5日間を無駄には出来ませんでした。
当時 太秦にあった「にんじん食堂」さんへ
料理を教えてもらいに伺った黄金の3泊4日。
今ある「あんまープレートご飯」もコロナを乗り越えた「お弁当」も
この時間があったからこそ。
そんなにんじん食堂さんからこの度大切な沖縄料理の本をお譲り頂きました。
メモ書きや線が引かれたりとじっくりと研鑽されたご様子が
あちこちに残った有難い本です。
あの時走った鴨川の河川敷の景色、趣のある上七軒通り、
京都御所で迷走しながらも
いろんな思いを抱えていった京都で
にんじん食堂さんと過ごした時間の中で
ぴょんと心臓に毛がはえた瞬間でもありました。
三人で呑んだお酒がオイシかった
にんじん食堂さんとのご縁に感謝です。
今後の藍風に活かせていけますように
しっかりと受け継がせて頂きます
2023年の大晦日。
私は嫁に行ってから初めて実家で父と二人で年越しをしました。
「明日はオトンが餓死するまでには起きるから・・・」と言って
念願の朝寝坊宣言をして迎えた元旦
素晴らしい一年の始まり
毎日「やる事がある」から起きる役割 (母&嫁&妻)
いくつになっても「娘」に戻れる実家の醍醐味です。
こんな有難い居場所がもうすぐ無くなる事になりました
数か月前にまわりの住宅事情や私たち兄姉の事情も加わり
気持ちが追いかける形で土地の問題点がいくつも上がり
父がぼちぼちと始めた終活が
最後に「家を取り壊す」という大きな決断をするに至りました
「終の棲家」の予定でいた父にとっても青天の霹靂
4月から姉夫婦と一緒に暮らすことになった父
86歳にして50年住み慣れた場所を離れるとは
何十年も朝のお散歩してきた逢妻女川
徘徊に近い未明。
月明りの下、星を探しながら
小一時間は歩く老人の朝の日課です。
毎日のルーティーンがありあちこちタッチしながら
スタスタテキパキ歩きます。
橋の真ん中の折り返しで四股を踏む
予後宣告をされた86歳の逞しい日課です😆。
どうか新しい環境に
順応する力が残って居ますように・・
人生はまたまだあれこれと巻き起こる
2024年3月21日 逢妻女川の最後のお散歩
私が物心ついた頃にはすでに祖父母の家に
飾ってあった「ウミガメ」
7歳の時に同居となり祖父母とともにやって来た。
50年近く実家でふつーに景色となっていたウミガメさん
実家の断捨離が本格化しつつあり、
毎週帰るたびに置きっぱなしの私の荷物を持ち帰る日々と
誰の物でもない実家の思い出がいっぱい蘇る「物」たちを
「捨てる」or「残す」かの二択をひとつひとつ区別していきます。
ワシントン条約以前に乱獲され、新築祝いとして贈られることが
多かったとうウミガメの剥製。
黒歴史でもありますが 改めてマジマジと
お顔を眺めると手放す事も出来そうにありません
捨てるときは可燃ごみだそうです
藍風さんで よんな~よんな~
「またんめんそーれ(また来てください)」係さん。
娘が編んだ毛糸の帽子
怖くないように色々工夫してみたのですが・・
ナデナデしてあげてくださいねぇ~
亀さんの甲羅に被せたてぃーさーじ(手ぬぐい)は
五つと四つの模様が織り込まれている物で
「いつの世までも・・」という願いが込められています