アスリートクラブ(コモディイイダ)ブログ

秋は日体大長距離競技会からスタート

つぶやき132 箱根駅伝付き添い今昔物語

2014-01-05 09:47:38 | 会沢陽之介
駅伝部ブログにて、児玉選手が箱根駅伝の思い出をアップしていましたので、私も付き添い秘話?をアップさせていただきます。

今回お話しますのは、1997年1月3日、3年時に東海大学の7区を走る志田淳先輩(NECで活躍し、2000年には世界ハーフ日本代表選手、現在は盲人ランナーの伴走兼盲人の世界選手権の日本チームコーチなどをされています)の付き添いをした時のことです。

当時の東海大学は区間付き添いと選手につく正付き添いがいて、私は、正付き添いとして3年の箱根駅伝を迎えました。
正付き添いは、エントリー発表から常に選手と行動をともにするという仕事で、朝練や当日のアップも一緒に行います。

選手ではないもののちょっと、選ばれた感のある仕事。

では、はじまりはじまり・・・。
1月3日午前3時、東海大学正門前で志田さんと待ち合わせ軽く朝練習。当時はまだ携帯電話をもっておらず、待ち合わせの時間から少しおくれてきた志田さんを待つのに、「場所間違えたかな?」などと不安を感じながら待っていました。

そして、何時か覚えていませんが、予定して時間に待ち合わせ、電車でかざまつり駅へ。

ストレッチをし、アップを始めるわけですが、その時には、すでに7区の区間付き添い組が場所を確保してくれていました。

せっかくの機会で目立ちたがり屋の私は、選手っぽく、アップ用にサブブレーカーをきて、ストレッチ。絶好調!最初から攻めるよなどといいながら、準備していました。

いざ、アップ開始。当時から沿道には朝から多くの方が沿道にいました。そんな中、選手っぽくフォームを意識して、志田さんと道路のコースでウォーミングアップ。
30から40分程度のジョグでしたが、志田さんのアップペースがはやくて、けっこうきつい(笑)
ジョグのはやい先輩として、有名な先輩でした・・・。

そして、そのまま、先輩から「流しいくぞ」といわれ「ハイ」と答える会沢。そして流しをスタート。私は流しはいつも100メートル前後なのですが、そのつもりでスタートすると、志田さんの流しはやいアンド長いで、私がもう終わりかな?とスピードを緩めても、がんがん見えなくなるまで何処か遠くへ・・・(汗)
そうです。私、正付き添いながら、選手を見失ってしまったとです・・・。

その後、もたされた部の携帯電話に、選手の状態はどうだ?と電話が・・・。見失ったとは言えず、取りあえず、アップは快調ですと答えたのを憶えています。

その後、私も志田さんを探し、志田さんも私を探すという、付き添いとしては「まさにつかえない仕事」をし、最終的には、競技役員に東海大学の付き添いの方!と呼び出され、選手が探してるから、ここを動かないようにと指導される始末・・・(笑)

まあ、よい思い出です。

付き添いは、なんと選手のふりをしてコールも行う役をしたりします。私も先輩から箱根駅伝のゼッケンのついたランシャツをあずかり、召集場所へ。そのころには、中継所には3重4重の人だかり。
応援してくださっている方からは、まさに私は選手にみえたことでしょう(エヘン)

そして、続々と選手が山をくだってきて、東海大学のコールがかかり、選手から羽織っていたコートをあずかり、役目終了。
箱根終了後、来年はでろよ!と声をかえてもらいましたが、結局でれずに私の大学4年間はおわりました。



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