表題は、「・・・最期」でありますが、 「論争再び」 といった感のある本書です。
古九谷が、石川県を除く公の世界では、「伊万里九谷焼様式」 とされるに至った経緯を語っています。
曰く 「登り窯では色絵付けの磁器は焼けない。 焼くのは錦窯である。 証拠が出た山辺田窯は登り窯である。 その周辺から錦窯は発見されていない。 古九谷は磁器である。 山辺田窯から出た証拠とされるものに陶器も含む。 発見された陶磁器片は登窯跡地の表層から見つかったとされるが、考古学的に300年以上も前のものが表層にあったというのはオカシイ。 などにより陶磁器片には証拠能力が無いのは明白。 それでも、明治以前から続く産地論争に決着をつけるべく、伊万里産派である学会・文化庁の権威・権限のある方々の強引な論調に押切られてしまった」 のだそうです。
で、疑問に思うのは 「なんで証拠を捏造してまで伊万里にしたかったのだろう?」 ってことです。
それについて 「・・・古美術商が研究者以上に、古九谷を伊万里焼古九谷様式」にするのに熱心だった。・・・ただでさえ骨董の世界では「買いの伊万里、売りの古九谷」の言葉で内密に売買されていたこともあったが、それ以後は、古伊万里を古九谷として公然と売買され・・・」 といいます。
「な~るほどぉ~」 です。
でもって、権威・権限のあるところには、金も集まってくるんでしょうね。
そこで、とある骨董商のHPを覗いてみると、古九谷様式として数十万円の値がついたものが載っていました。
でも、殆どが染付(酸化コバルトを主原料とする顔料を用いて青色の絵柄をだしたもの)の皿であり(下図参照)、古九谷本来の色絵の様式とは全く異なるものばかりが並んでいます。
九谷焼といえば世界的にも有名だそうです。 名前次第で高く売れるのかもしれませんね。
恐るべし商魂とでもいいましょうか・・・
↑ ↑ とても古九谷とは思えないような古九谷の数々
ところで、権威ある方々は、いまさら間違いでしたとは言いづらいでしょうね。
その権威が有る限り、それ以上の圧力が働かなければ再検証なんてことにはならないかもしれません。
本書の発売は一地方の新聞社です。
こうした問題があることを一般にも広く知らしめるべくメジャーな活動が必要かもしれませんね。
石川県の業界の方々には益々頑張って欲しいもんであります。