傑作です!
またしても友人N氏のお薦めマンガ
大まじめなローマのお風呂設計技師と
ゆるーい日本のお風呂・温泉文化が繋がって
スペクタクルな物語が繰り広げられるのです。
映画も面白そうですね。そのうち観にいきたいものです。
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カブの走行距離、出かける前が18650kmでした。
帰ってみれば20943kmで、旅で走った道のりは2293km。
使ったガソリン36.19? で、旅の間の燃費が63.4km/?。
ところで、山形から新潟に入ったところあたりから、減速時にガチャガチャと不審な音が出始めました。
これはヘンだと思い、ガソリンを入れたついでにチェーンを見ると・・・伸びているのだろうという予想に反し、弛みがほとんどゼロでした。
こりゃ益々ヘンだ! と、よ~く見てみると、殆どのリンクが屈曲したまま連なっており、そのせいでチェーンの長さが見かけ上縮まっていたのでした。
すなわち油切れにより屈曲不良を起こしていたわけです。
この時点での走行距離が20500kmほどだったので、家を出てから2000km近くほったらかしでした。
それまで500km毎に注油していたことを思うと、こうなってもしょうがないかもしれません。
とりあえず ガソリンスタンドでオイルジョッキの底に残っていたエンジンオイル頂いて振り掛けて再出発です。
すると、あーら不思議、不審な音は消えて とても快調です。
それ以来、今に至るもそのままですが、屈曲不良は解消し油切れも無く良好な外観を呈しています。
ただし、屈曲不良が解消した分、そのときに摩耗伸びしたのでしょう、弛みが大きくなっていました。 それを調整すると下の写真の如く新車時(矢印部分の傷が新車時のときのものだと思います)から3mmほど伸びているようです。 スプロケットの前後軸間距離は約469mmですから、約0.6%伸びたようです。 チェーンの摩耗伸び限界は2%程度とのことなので、 限界までには・・・
2%÷0.6%×2万km≒6万km とすれば、まだまだ使えそうです。
それと、余りもののエンジンオイルで事足りるなら高価なチェーンルブは不要かな?
それ以外、汚れと錆を別にすれば、相変わらずに軒昂なカブであります。
十和田湖にて
胎内市 越後の里親鸞聖人立像・・・
失礼とは思いますが、正直なところ不細工
ちょっと あんまりじゃぁないでしょうか?
加賀市にも加賀温泉駅の後ろに金色の観音様が佇立していますが、
こういう目立つものを造るときこそ景観を守るべき規制ってのが必要なんじゃないでしょうか。
日本人の品性が問われるようなものを造るべきじゃないと思いますがどうでしょう・・・
そういえば、加賀市の観音様の次に目障りだと思うのが小松ドームかな・・・
白山を眺めようとすると、白骨化したガメラの甲羅が転がっているようで無粋です。
雪が残る新潟の山の中から海沿いの街にでると、なぜかほっとします。
往路とは反対に右に海を見ながらひた走り家路に・・・
しかし、雨の中 魚津の町で力尽き もう一泊することに
駅前の近くにはコンビにすらないビジネスホテルの一室で長い夜を
ホッとするやら、ちょっと物足りない気がしないでもないやら・・・と
余韻を楽しみつつ過ごしたのでありました・・・(^^)
写真は秋田の「日本国花園」にて
8日目の夜は朝日岳の東に位置する白鷹村ふるさと自然公園にてキャンプ。
またしても誰もいません。 焚き火で暖をとったあと早々に就寝。
山の中とあってとっても寒く、早々に目を覚まし出立。
被災地をめぐり、その強烈な印象が残ったままなので、以降の道すがら眺めを楽しむ気分は小さくて、淡々と新潟県を南下するばかり。
↑ 白鷹村ふるさと自然公園の付近から
↑ 新潟との県境付近
9日の終わりは、新潟の米どころ 魚沼
気仙沼大島の休暇村ロビーに翌日の日の出時刻が掲示されていました。 その時間4時半ば・・・
6時に起きたとしても既に陽は高くて、寝坊したような気分になるこの頃です。
というわけで、起床4時! 旭日を拝みに いざ亀山山頂へ!
後になって知ったのですが、この大島には鳴き砂の浜があるそうです。 津波を受けても健在だということで、また行ってみたい気仙沼でした。
気仙沼の市街に残された貨物船。 異様な光景です。
気仙沼から直線距離にして20kmほど南下したところにある歌津
志津川の町外れにある神社前にて・・・
石巻市、石ノ森萬画館にて
震災から1年余りが過ぎて瓦礫の撤去はほぼ終わったようです。建ったままの家も多いので、被害は少ないのかと思いきや、死者、行方不明者の数は一番多くなっています(突出している)。 不思議に思って 「津波詳細地図」 という本を見てみれば、低地にひろがる街の規模が大きいことと、入り組んだ海岸線が多いことから、その分被害も大きかったようです。 と比較してもしょうがなくて、とにかく頑張ろうニッポン・・・
ところで、気仙沼に着くまでに通り過ぎた海に面した町の多くは、後ろを山に囲まれて比較的小さなところが多かったのですが、その分街の大半・・・というか、全体が壊されていて、建物の基礎だけが並んでいる中に、鉄筋コンクリート製の公共施設、あるいはホテルなどの骨格が、ぽつん ぽつん と残っているといった感じでした。 そして街を守るはずだった防潮堤も無残に破壊されていました。 その防潮堤ですが、造られていたのは岩手県側で、宮城県側には見当たらなかったように思います。 今回の津波が堤防を越えなかったとしたら、また越えたとしても破壊されなかったとしたら(普代村では津波が堤防を越えたものの壊されはしませんでした。その結果、津波の勢いを削いで、引き波による被害も免れたのではないでしょうか。 他の場所では、堤防が破壊されて引き波により海へ浚われていったとのことです。また津波は繰り返し襲ってくるので、その差は歴然のように思います)、 岩手と宮城にて被害は大きく違っていたかもしれません。 行政の考えか、地形や街のあり方により堤防を築くのに無理があるのかもしれませんが・・・気仙沼以南、宮城県側は無防備だったように思います。
さて、気仙沼も大きな被害に遭っているのですが、高台にある民家やホテルは無傷のようです。週末ということもあってか、そのホテルの前には大型の観光バスが何台も停まっていました。
無傷だったところが活性化して、少しでも早く復興できればと思いますが、被災地の惨状は目を覆うばかりであり訪れる方も心境複雑であるに違いありません。
それでも、みんな元気をだしていくしかないのです。
先の登山姿のポスター、小さな字で書かれている文を読み、とりあえず納得・・・
曰く 『 確かにそこはアルプスだった 打ち寄せる荒波を泡と砕き散らす 断崖絶壁の連峰 「黒崎」 三陸の海のアルプスは 紺碧の空を切り裂くように そびえ立っていた 』 ってことで。
で、その展望台に立てば、まさに断崖絶壁 脚がすくむ感じです。
ところで、宿泊客の殆どは仕事で連泊されているような人たちばかりでした。
連休の間は観光客で賑わっていたそうですが・・・ 年間を通して賑わうようになってほしいものです。
6日目、この日も小雨が降る肌寒い一日で、移動するのが面倒になり近くをウロウロすることに。
宿から少し南のところに弁天崎というところがあって、そこにある ”山海ろばたハウス” でうどんをいただきながら、店員のオバチャンとしばし談笑。 震災前は近くにある海岸沿いのホテルに勤めていたそうですが、3階まで被災したので改修が終わる年末まで、ここで働いているとのことでした。
大変だろうとは思いますが、がんばって欲しいものです。
↑ 陸中海岸を代表する北山崎の眺め