カティンの森を見てきました。

2011-05-21 22:44:56 | 大きなこと
今日は、神戸で「カティンの森」が上映されるということで、三ノ宮(元町)の映画館に行ってきました。

神戸の映画サークルの定期上映会、ということなんですが、この映画、


第二次世界大戦中に起きた、ポーランド将校の大量殺人事件の真相を暴く、メッセージ性の強い作品でした。


そもそも去年の春に、海外インターンでポーランドに行って、

カティンの森事件のことを知ったのは、帰国後なんですが、

帰国後の翌日くらいに、ポーランドの要人を乗せた専用飛行機が墜落した、という、痛ましい事件が起きて、


この飛行機が向かっていた場所が、まさにカティンの森事件があった、ロシア連邦スモレンスク地方だったわけです。


それから、「カティンの森事件ってどんなんやろ?」って思うようになったんですが、


簡単に説明すると、第二次世界大戦が始まったときに、旧ソ連がポーランド人の将校をスモレンスクまで連れて行き、殺した。

当時は、ソ連がその事実を隠していて、ドイツ(ナチス)の仕業にしていたのですが、時間と共に真相が分かっていって、


ちょうど去年の4月に、ポーランドとロシアで、事件解決に向けた一歩が動き始めたところだったわけです。


あ、歴史的事実について、厳密にいえば、ソ連がやったことは分かっていた(いろんな情報を通じて)のに、その事実を各国が認めていなかった、というのが正しいと思います。


この映画についても、詳しいことは全く知らずに見に行ったのですが(たぶん、グロい映像は出ると思っていました)、


やはり、監督が巨匠と呼ばれるアンジェイ・ワイダだけあって、そのメッセージ性と描写は、強かったです。


話の展開としては、ポーランド将校の妻が、夫がカティンに連れて行かれ、殺されたことを知らず、ずっと帰りを待つ、というものなのですが、

話が進むと、夫が死んだ、ということが伝えられる。

しかも、その事実が分かるまでに、いくつか伏線が引かれているのですが、


この伏線の張り方には、はっとさせられました。


どういうことかというと、収容中の夫が、別の将校と上着を交換し、それで殺されてしまうんですが、

街中で流れる、志望者リストには、その知人の名前が出てきて、妻は「死んでいなかった」と喜んでいる。

それが、場面が変わって事実が分かるんですが。


これにうなりました。


そして、ナチス側から、「ソ連が行った行為」として、ポーランド人にも伝えられますが、ナチスは降伏して、ポーランドはソ連支配下になる。

その時に、カティンの森はドイツの仕業だった、という言説が出てくるのですが、事実を知っているポーランド人は、それは認めない。

でもそうすると、「事実を認めない」とソ連に言われ、拷問を受けたり殺されたりする。

要するに、精神の自由が認められていない。


その描写もリアルでした。


最後には、事実を暴くために、カティンの森での出来事の一部始終が描かれているわけですが、

その描写も、気持ち悪くなるほど鮮明に描かれています。


無造作に将校を殺すプロセスが何度も描かれ、拳銃で頭を撃つ映像が何度も出てきました。

さすがにここは最初、目をつぶってしまいましたが…


ワイダの作品は、この春にも集中講義で見たのですが、やはり「巨匠」であることは間違いない、と思いました。

ビデオ借りて、家で一人で見ていたら、たぶんもっと怖かったと思います。


でも、妥協せずにここまでの作品を描く力は、すごいと思います。



そして、一番思ったこと。


人間は、負の側面を背けて言い面だけを切り取ろうとする動物だな、と思った。


ポーランドの歴史が書かれた本を読んでいると、「ポーランドは不死鳥の国。何度も国境が分断され、国が消滅したが、それを克服してきたすごい国」みたいに書かれていることが多いんですよ。


でも、そんなのとんでもない、って思った。


もちろん、ポーランドの国が不死鳥、っていうのは、描写としては間違っていないと思う。


でも、その国が背負ってきた負の歴史、プロセスに目を向けることをせずに、「ポーランドってすごいね」っていうのは、絶対にダメだと思った。


今回のカティンの森にしても、第二次世界大戦の歴史にしても、

ポーランドはアウシュビッツもあって、数え切れないくらいの命が消されてきた。


この映画も、少しは脚色入ってるんやろうけど、でも、その壮絶さを目の当たりにしたら、軽く「ポーランドってすごいよね」なんて、絶対に言えない。


それで、この考え方って、今の日本にもあてはまるな、と思って、


震災後、海外からも多くの人がPray for Japanって言って、いろんな応援してくれたけど、


もちろんそれは嬉しいんやけど、でも、その言葉に乗っかってしまって、何も考えず、何も知らず「日本ってすごいよね」って言っている自分もいる。


この震災で、多くの命がなくなったのは事実。

数を言葉にするのは簡単やけど、その重さは、自分には絶対に測れない。


僕は被災地に行ったこともないし、それなのに、何かを知っているつもりになっていた自分がいた。


気づかされました。


それを踏まえて、今自分ができること。


原体験を持った人から、いろんなことを吸収する。


そして、「ただしいこと」を、自分で形にして伝えていく。


とても傲慢に聞こえるかもしれないけど、それが自分のすべきことなんじゃないか、って思っています。

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