昨日7月30日(土曜日)劇団四季のミュージカル「美女と野獣」を観にいってきた。
B席の後ろのほうだったけど、発音が明瞭、くっきりはっきり聞こえる あの発声法は賛否両論は
あるようだけど はっきりわかるという点で凄いと思う。
そういえば渡辺美里も発音がすこぶるよい。あんな早口言葉みたいな曲をきちんと歌うので
はまった。思えば劇団四季と渡辺美里も共通点だったりする。
美しい日本語講座というのに参加したときも目からうろこだった。
美しい日本語を守り、通じさせようとする姿勢は本当に感銘がもてる。
母音を明瞭にし、子音部分は乗せるように発声している。
セミナーでは「ともだちはいいもんだ」の歌詞を取り上げ、
ともだちはいいもんんだ の母音だけでメロディに乗せて歌う練習をしていた。
おおあいあいいおんあ のように、さらにそれぞれの母音の口の形まで講義なさっていた。
一曲 母音で歌うだけであごが・・・痛い。
つまりは日ごろ、いかに適当にしゃべっていたわけで反省である。
そしてもう一つ、この曲小学生の頃から歌っているはずだけど、
四季の劇団員の方と一緒に歌ったら 異様なほど音程が難しく、歌いきれていないこともわかった。
話は少し変わるが、
近頃の若者たちが使う平板調なことば使いに内輪だけで通じるような省略語にますます???な気持ちになった。
例えば
おな小→同じ小学校 まあこれはわからなくはないが
オナ中→同じ中学校 や オナマン→同じマンション
これらはどうだろう?初めて聞いたとき何を言っているのと身構えてしまった・・・(笑)
他にもオコ→怒っている 「ちゃんと言え!」と言ってやりたい。
こう言ったことばはいずれ廃れる運命なのだろうけど
自分が中高生だった頃、一種連帯感の表れのような若者語にどんなものがあっただろうか?
ちょべりば、まじうんこ(ちくしょうってことらしい)などあったけど使った記憶がない。
むしろ 「すごいいい。」と言われると
「すごくいい。」いいは形容詞なのだから それを修飾するのは副詞だろ!
と思っていた節がある。理屈っぽかった。
全体の傾向として 文章、言葉は簡略化される方向になっているように思える。
ツイッターの○○ナウ だってそうだ。現在○○している と言わないのは字数制限のせいばかりでは
ない気がしてならない。
ケータイ小説が流行らないのは 読みやすいのだろうが
読後感 特になし。本を通して別の世界に誘ってはくれない。
読者に想像や影響を与えることも特になしだからではないか。
これからの日本語の行く末が気になる。
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