五、「教会とわたしたち」(301)
4.近代の教会の夜明け
―宗教改革―スコットランド
(またこのことは、当然、ノックスに精神的打撃を与えたことはいうまでもない。 そのころから、彼の健康は著しく衰えたといわれる。その年、すなわち1570年10月に彼は(56歳)軽微な脳出血に見舞われた。ノックスはエディンバラを去って、静かな聖アンドリューズで養生することとなった。彼はその地でおよそ半年間、半身不自由に悩んだが、それでも宣教をやめなかった。そのときの大事な仕事は、根強く残っていた教会のカトリック的監督制度の変革であった。改革派的な会議制度の形式に全体として変革させるのに成功したが、なお無秩序な混乱が残り、忙しく過ごした。彼のその後の健康は一層悪化し 、(ここまで前回)
さらに体力の衰弱をもたらした。それでも彼は彼の忠実な補助者リチャードソン・バレンデンに支えられながら上り下りして講壇に立ち、病を抑えて、静かな調子であるが熱意を込めて説教を語った。しかしながら、病弱が進むことを恐れエディンバラに帰るよう勧める者もあり、また、エディンバラ市民の代表者が来て教会の指導を熱心に願い出たこともあり、聖アンドリューズを離れて、1572年に、移って来たその年の8月末の聖日に、再び懐かしいエディンバラの教会に帰着して説教を語った。しかしその声は弱く、かつての面影はなく、彼の方から小さな会堂(つづく)