日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2015-03-11 07:00:08 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(302)

4.近代の教会の夜明け

―宗教改革―スコットランド

(さらに体力の衰弱をもたらした。それでも彼は彼の忠実な補助者リチャードソン・バレンデンに支えられながら上り下りして講壇に立ち、病を抑えて、静かな調子であるが熱意を込めて説教を語った。しかしながら、病弱が進むことを恐れエディンバラに帰るよう勧める者もあり、また、エディンバラ市民の代表者が来て教会の指導を熱心に願い出たこともあり、聖アンドリューズを離れて、1572年に、移って来たその年の8月末の聖日に、再び懐かしいエディンバラの教会に帰着して説教を語った。しかしその声は弱く、かつての面影はなく、彼の方から小さな会堂を求めた(ここまで前回)

ので、大会堂のセント・ジャイル教会からエディンバラ城の方に古典道路約五百米上ったところにあるトルブース教会が選ばれることになった。今日は尖塔が高く(18世紀建築)、エディンバラでは目立つ教会である。(つづく)

遅れたことをお詫びして、参考資料を記しておく。スイスのカルヴァンのときの資料は、多くあった。その一つ渡辺信夫著「カルヴァン」(清水書院1968)中心に用いた。スコットランドについてはこの日本に一つしかない資料今村好太郎著「ジョン・ノックス.その生涯と事業」(新教1966)を中心にエディンバラで1974年に入手したJ.S.Mcwen:The Faith of John Knox 1960、その他ネット資料用いている。


聖書研究

2015-03-11 06:58:50 | 大分中央ウィークリー

創世記20章16節である。「また、サラに言った。『わたし

は、銀一千シェケルをあなたの兄上に贈りました。それは、

あなたとの間のすべての出来事の疑惑を晴らす証拠です。これでわたしの名誉は取り戻されるでしょう。』」と。「銀一千シェケル」とは、この時代、銀30シェケルが奴隷一人の代価であった(出21:32)。その総額「銀一千シェケル」とは、アビメレクが自分の罪を認めたその評価の大きさを表している。 

「疑惑を晴らす証拠です。」とは思い切った意訳である。口語訳は「償いをするものです」という。直訳は「(他人の)眼を覆うもの」つまり見えなくする」ということば、「なかったものと見なす」という法律用語である。 

17節である。「アブラハムが神に祈ると、神はアビメレクとその妻、およびその侍女たちをいやされたので、再び子供を産むことができるようになった。」という。アブラハムが75歳(12・4)のときカナン地方を襲った飢饉のために、エジプトへ逃れた。そのときも、妻サライについて「妹である」といって同じ方法を用いた。それも神の力によって、その虚偽が発覚してエジプトを出なくてはならなくなった(12・20)。 

ここは年齢99歳(17・24)であった。ここネゲブ地方ゲラルの王アビメレクはその妻を戻すのに破格の誠意をしめした。その誠意に応えアブラハムは王とその家臣たちのために祈った。感謝の祈りをもって次の行動に移ろうとする信仰の円熟した姿をわれわれは読み取らねばならないであろう。


牧 会 通 信

2015-03-11 06:33:03 | 大分中央ウィークリー

 

(原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 第9歌(カッコ内は筆子、その5)

◯そこに同時にぱつと直立したのだ、血まみれの三人の地獄のフリエ(神話に出てくる三女神、仇に報い、罪ある者を罰する女神)たちが、その肢体と態度はいかにも鬼女らしく、濃緑の水蛇(「ヒドラ」)が腰に巻きつき、小蛇と角蛇どもが髪の毛で、狂暴な顳顬(こめかみ)にギリギリ巻きついてゐた。

きりのない哀哭(悲しんで声を上げて泣く)の女王のこの下女たちを、よく知つてゐた師はわたしに言つた、「見ろ、残酷なエリネ(フリエの別名?)たちを。(ここまで前回)

◯左側のあれがメヂェラ、右側で哭いてるのがアレット、テシフォネが真中にゐる。」それきり黙ってしまつた。

鉤爪でみんなてんでに自分の胸を掻き裂き、両掌(て)でわが身を打つて、恐しく甲高く叫んだので、わたしは怯えてひしと詩人に寄りすがつた。

来いメドゥサ(神話、三女怪の一) 奴を石にするのだ、」とみんな下を凝視して言つた、「テセオの攻撃を罰しそこねたのはまづかつた。」(つづく)

 

◯2015年3月8日は、今年の第十主日である。日聖協の「聖書愛読こよみ」は、サムエル上記17章49節である。「ダビデは~、石投げ紐を使って飛ばし、~石はペリシテ人の額に食い込み、彼はうつ伏せに倒れた。」という。この神の業がわたしたちの日常の生活であるといえる。

 

◯写真は、吉野川梅林の満開風景、3月6日、16時ころ撮影。